先日、はじめて北海道の更別村というところへ行く機会を得ました。
「十勝さらべつ熱中小学校」での授業を依頼されたからです。
更別村というところは、人口3000の村なんですが、各戸に米国製のトラクターが複数台ある家もあるというけっこう裕福な村なのだそうです。
そこの授業では、ぼくのやってきた山登りの話をしました。ほんとうは、縄文人とアイヌ人の話をしたかったのですが、ぼくは体育特任教諭ということになっていますから、山の話をしないといけないと思ったのです。
そういうことを、ちょっと話したら、後で多くの人たちから縄文の話を聞きたかったと言われたのです。そして、夜の焚き火を囲んでの会合では、そんな話で大いに盛り上がったのです。
そんなことがあって、宇治に帰ってきてからも、前にも増して縄文に興味がわき、いろいろ調べる毎日を過ごしました。
授業でも紹介しておいたのですが、東京の国立博物館では「縄文1万年の美」という展覧会が開かれていました。
ぼくも見に行くつもりをしていましたが、行った人から、「とんでもない人で、まとも見れません。止めたほうがいい」といわれ、行かないことにしたのです。
ただ、ずっしりと重い大冊のカタログは入手できました。
縄文という呼称は、もともとは明治10年(1877)明治政府のお雇い教授だったエドワード・モースが大森貝塚から発掘した土器をCord Marked Potteryと報告したのが、索紋土器と訳されたのですが、つぎに縄紋土器となり、そして現在のように縄文土器となったという話です。
この縄文土器が作られた時代が縄文時代であり、作っていたわれら日本人の祖先が縄文人です。
これから、縄文土器、縄文時代、縄文人など縄文のあれこれを、できるだけ短くまとめて、つれづれに書き継いで行こうと思っています。