コンバットといえば、ぼくが大学生のころ楽しみに見ていたもので、この旧い白黒映像を見るとなんかタイムスリップしたような気分になった。出だしのテーマ音楽や「コンバット」というナレーションも懐かしかった。
「コンバット!」は、調べてみると、1962年から67年まで放映されたアメリカのテレビドラマで、152話までのシリーズだったようだ。
当時はカラーテレビが出回り始めたころで、録画するなどということは考えも及ばないことだった。
このころ、やはり人気のアメリカテレビドラマに、「ローハイド」や「ララミー牧場」があったことを思い出した。
高度成長が始まる時期に多くの日本人は、この古き良き時代を描いた牧歌的なアメリカ製ドラマを熱中して見ていたと思われる。
その中には、安保闘争デモで反米を声高に叫んでいた学生もいたと考えられるし、これはちょっと面白い現象と言えた。
あの007ジェームス・ボンド映画の第1作が放映されたのもやはり同時期のことで、1962年のことだった。
ぼくが007シリーズのことを知ったのは、1965年のことだった。
その時、ぼくは最初の海外遠征で、パキスタン・カラコルムのディラン峰のベースキャンプにいた。隊のドクターとして同行していた作家の北杜夫氏が、熱心に読んでいる本があった。
「ドクター、なんですか」とぼくが訊くと、「いやぁ、これは面白いよ、イアン・フレミングのスパイ小説で」と答えた。
借りた一冊は帰国前に読んだと思うのだが、確かに面白かった。
帰国すると、赤痢で入院した病院で、すぐに全シリーズを読んでしまった。
スパイ小説にはまったぼくは、似たようなものがないかと探し、今度は「マット・ヘルム」シリーズという、たしかアメリカ製のスパイ小説にはまった。
脱出したら、警察が追いかけると言われたいた「隔離病棟」を密かに抜け出し、本屋に買いに出かけたりした。
この10月・11月にWOWOWで007映画の全作品を放映するということで、既に始まっている。これも全部録画することにした。
録り置いて、ぼちぼち見ているのだが、やはり最初の頃は作りが雑である。例えば、最初の歩いてきて、ぱっと向きを変え、拳銃1発を放つ画面でも、拳銃も腰も揺れていて、あれでは当たらない。
筋立てもできの悪いものもある。ぼくの思い込みかもしれないが「ロシアより愛を込めて」はよくできていると思った。
吹き替え版と字幕版が共に流されるので、両方楽しむことも可能だか、もっともそんな暇はないような気もしている。
高田直樹様
はじめまして。
やまぼうしと申します。還暦をちょっと過ぎたおばさんです。
『白きたおやかな峰』で検索して、こちらのブログを見つけました。
今も熱い思いで何度目かの読み返しをしています。
私も山が好きで、雪山や岩山を登る技術は持ちませんが、
若い頃は北岳、白馬、槍、穂高などに登ったことがあり、
今も続けています。
『白きたおやかな峰』は、隊員たちが生き生きと描かれ、
林房雄氏の論評にもあるように、実に男らしい魅力的な文学です。
北杜夫氏はすでにお亡くなりになりました。
ほかの隊員の方々も鬼籍にはいられたと思っておりましたら、
“竹屋さん”はご存命でお元気でいらっしゃったのですね!!!
私にとってなんという奇跡、なんという喜ばしい発見!
小説を読み進めますと、最後は胸が苦しくなります。
増田、田代さんが眠るディランに行って、献花したいとまで思います。
実際の遠征では、死者は出なかったのですね。
どうぞお元気で、ご活躍ください。
ブログをこれからも楽しみにしておりますし、過去ログも読ませていただきます。
追伸
アドレスを間違って送信したと思いますので、
改めて、正しいアドレスを送信します。
やまぼうしさん
北杜夫さんのファンでいらっしゃるのですね。
ご推察の通り、あの時のメンバーで生きているのは3人になりました。
北杜夫ドクターについては、<葉巻のけむり>あちこちに出てきますが、主なものは次の3つです。
北杜夫の『白きたおやかな峰』
北杜(北杜夫)ドクターの死
北杜夫ドクターのこと(承前)
検索窓で出してください。
「北杜(北杜夫)ドクターの死」に、メンバ−10人の集合写真があります。これは、帰国後、比叡山山頂のホテルに集まった時のものです。左から3・4・10番目が生き残っている3人です。読んでいただいてありがとう。