PCR法と電気泳動法について(それに繋がる回想)

 コロナウィルスの検出方法として、PCR法はよく知られています。極超微細なウィルスを倍々とその数を数億倍にします。そうしないと見ることができないからです。
 ではどのようにして見るのでしょうか。調べてみると、電気泳動法を使うことを知りました。
 電気泳動法というのは、ゲル(例えば寒天)の中を試料を移動させて、分離観測する方法です。単純な例で説明してみましょう。長方形の箱の一端に、小さな棒状の板を立て寒天を流し込んだのち、このこの板を引き抜くと、一端に穴の空いた寒天ができます。この穴に資料を入れ、両端を電極につなぎます。
 コロナウィルスはマイナスに帯電しているので、反対側をプラス極にすると、そちらに引っ張られ、移動してゆきます。この時、その大きさや形状によって、動きの速さが異なるので、各成分ごとに分離し帯状に別れる訳です。その位置によって判定をおこないます。
 その原理は、ぼくはよく竹藪の駆けっこと言っていました。太っちょはどうしても遅くなります。ぼくの大学の卒論のテーマは脂肪酸の簡易ペーパークロマトグラフィーでした。
 電気泳動の原理もペーパークロマトグラフィーと同じです。当時は最先端であったペーパークロマトグラフィーは、その後、濾紙の代わりにガラス板にシリカゲルを塗った薄層クロマトグラフィー、円筒菅にシリカゲルを詰めたカラムクロマトグラフィーと進化してゆきました。

 話のついでに、ぼくの卒論の話をしましょう。
 ぼくの指導教授は、脂肪酸のペーパークロマトで何度も受賞している第一人者でした。この野田万次郎先生がぼくに与えたテーマは、脂肪酸のペーパークロマトを簡略化する方法を考えろというものでした。お前は、山登りもせんなんから自分のペースでやれるテーマを選んでやったんだということでした。
 校庭にある南京ハゼの実の脂肪酸組成の変化を追うとか、孵化する鶏卵のタンパク質の変化の観察などというテーマを貰った友人は、もうそこを離れることはできません。ぼくはラッキーでした。
 ペーパークロマトグラフィーというのは、物資成分を分離同定する方法です。長方形の濾紙をの一端に、試料を染み込ませ(スポットし)その濾紙を溶剤で飽和状態にしたガラスシリンダーに垂らすように置きます。溶剤が下から染み上がる(展開する)とともに、試料も溶けて染み上がるのですが、各成分の分子量や分子の形状によって、移動の速度が異なるため、一列の斑点状に分離してきます。
 溶剤の先端を1とした時、斑点のそれぞれの位置を数値化すると、それは1以下の数値となり、これを RF値と呼ぶのですが、このRF値は物質固有の値となって、成分の同定が出来、分離もできる訳です。

 ペーパークロマトグラフィーの一番の問題点は、展開時間だと思いました。10時間近くもかかるのが普通でした。先生は何のアドバイスもしてくれません。全て自分で考えろということでした。
 文献を読む必要に迫られました。外国の文献は当時は、まだドイツが主流で英語のものは少ないようでした。ドイツ語には苦労しました。
 上に向かう展開だから遅い。下向きに展開したらと考えたのですが、人間考えることは誰も同じのようで、失敗の報告がありました。

 それなら水平の展開はどうだろう。そういう報告は見当たりません。でもどうやって、水平に展開できるのか。大体通常の方法では、重力に抗して毛管現象で染み上がるから展開できているのです。
 そこでぼくが考えたのは、水平での円形の展開でした。短冊状の専用濾紙ではなく、通常の円形の濾紙を使います。ぺークロ用の濾紙は30センチ以上もありますが、通常の濾過用濾紙は直径10センチそこそこ、値段も格段に安価です。これをシャーレに置きフタをします。中心に濾紙のこよりを差し込んで、ここから溶剤を吸い上げさせます。
 かたや30センチ、こちらは5センチそこそこの円形濾紙、果たして展開分離してくれるのだろうか。展開は扇状になり、その結果各スポットは細い線となって見事に分離、正しいRF値を示したのでした。展開時間は2時間もかかりませんでした。

 こんなふうに書くと、簡単に楽々と進行した様ですが、実際は結構大変で、いくつもの試行錯誤の繰り返しがあったのです。
 こんなことが何度もありました。例えば、ある問題が発生したとします。その解決法として3つが考えられました。その方法を順に試してゆくのですが、ここで先生と意見がいつも対立したのです。
 ぼくはいつも一番成功率の高い方からやろうとしました。しかし先生はこれに反対なようで、上手く行かないとぼくが思っている方法から試せとおっしゃるのです。「そんなん多分ダメです」「何でじゃ。やってみんと分からん」
 ダメと分かってるのをやるのは時間の無駄とぼくには思え、よくこうした対立が起こり、ある時など先生は「もうよい。わしがやる」と怒りをあらわにされたこともありました。

 こうして、脂肪酸の円形クロマトグラフィーという方法は進行していったのですが、一つの問題が立ちはだかりました。不飽和脂肪酸の処理の問題です。高級脂肪酸には二重結合を持つものがあり、例えばオレイン酸はパルミチン酸と炭素の数が同じ15個で、この場合同じ RF値をとります。つまり重なってしまうので、どちらを意味するのか判定できないのです。そこで、取られていた解決法は低温処理でした。二重結合を持つ不飽和酸は、融点が低いので冷蔵庫で展開すると不飽和酸は動きません。
 シャーレを冷蔵庫内に置けばいいだけのことでしたが、ぼく何か独自の方法を考えようと思い、思いついたのがドライアイスを用いることでした。
 ドライアイスの薄片を円形濾紙の中心に載せるのです。上手くゆきました。「高級脂肪酸の円形ペーパークロマトグラフィーの試み」というぼくの卒論は成功したのでした。 

 卒論を手がけた学生たちの最後の関門は卒論発表会でした。学部の先生全員の前で発表を行う決まりでした。これに合格して卒業が決まります。何十枚もの図や表を模造紙に描きます。準備に1ヶ月近くかかったと思います。
 卒論発表会は学生も聞くことができました。畜産の卒論などは結構面白かった。「鶏卵の形状と産卵数について」という発表がありました。30分の大半が卵の形状をどの様に測定するかの説明に費やされました。そして最後に「結論といたしまして、卵の形状と産卵数には何の関係もないことがわかりました」
 この馬鹿げたと思える結論は、今まで誰もそういう研究をした人はいなかったし、関係ないと結論づけたのだからあれでいいのだという話でした。

 当時高度成長の波に乗った日本で、理系の学生は引っ張りだこでしたが、ぼくには就職する気などサラサラなく、大学に居残るつもりをしていました。それは困ると思われたのかどうか、野田先生はぼくを宇治の茶業研究所に送る手筈を整えていた様です。
 所長は坂戸弥次郎さんやし、きっとヒマラヤにも連れていってもらえると先生は言いました。坂戸氏はAACKの会員で、お茶の旨味成分であるテアニンの発見者として有名なかたでした。
 どうしたわけか、ぼくはその後高校の化学教師となります。人間万事塞翁が馬、幸せな人生だったと今思っています。
 タイトルと全然違う方向に筆が走ってしまいました。「PCR法と電気泳動法について」は後ろに(それに繋がる回想)を付け加えることにします。ごめんなさい。

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