5月に入り、コロナも5類指定となるそうです。でもこれも変な話で、何を今更という気がします。もっともっと前に、2類指定を止めますといえばそれでよかった。そう思います。
でも、そうできなかった理由があるというのです。そういうのは、テレビ『そこまで言って・・・』にもよく出ていたあの京大ウィルス学者の宮崎孝幸准教授です。彼によれば、ーーコロナウィルスとワクチンの最終結論として最も伝えたいのは、今回のコロナウィルスのパンデミックは「人為的に仕組まれた」国際的なバイオテロだった可能性が高いと考えているということです。ーー(月刊誌『will』5月号「人為的に仕組まれたバイオテロだ!」103ページ)
彼によれば、政府によるワクチン推奨はそんな「プランデミック(仕組まれたパンデミック)」にまんまと乗せられたのではないか、というのです。上掲の『will』誌には「コロナ利権の闇 扇のカナメはアンソニー・ファウチ」(筑波大システム情報系准教授掛谷英紀)という稿もあって、まるでマフィア集団のような状況が明かされています。
わたしたちも、ようやく少々おかしいなと気づき出したのかもしれません。
とにかく、この3年間の間に、医者の実態、科学者の有様がよりあからさあまに現れることが多かったのではないでしょうか。
このチャイナ発祥のコロナ・ウィルスは、全盛のグローバルの波に乗ってあっという間に大パンデミックを引き起こしました。世界中の国々が対応を迫られました。その中で、唯一特別な対応を示した国がありました。それが我が国日本です。
日本は、各国政府が自由と民主主義に反するとも言える独断的対処を行う中で、全てにおいて人任せの対応をとりました。皮肉を込めて「自由と民主主義」を守り切ったと言えるのかもしれません。
オミなにがしとかいう全く無能とも見える男を頭に据えた「専門家会議」なるものを作り、対応を任せました。政府がよくやる有識者会議に類するもので、まともな指針などは作れなかったと思います。データに基づいた科学的見地が示されることなどなく、「よく分からないのですが・・・」などに始まるいい加減なメッセージを発するのみだったと思います。でもそれは、有識者会議の特徴そのままだったとも言えます。
「自由と民主主義」、これは第二次世界大戦後の日本に持ち込まれてきたものです。そして、それは日本独自の解釈がされ、以後ずった現在まで持ち続けられている考えです。日本独自の解釈とは何か。それは個人は国家権力に対する怒りを持っており、その個人の集団が市民であり、市民vs国家の対立をベースにしたものが民主主義だというのです。
しかし、その偏りにはみんな気づいていて、それを錦の御旗として掲げ続けるのは、左派政党やリベラル文化人だけでした。
自由と民主主義を守った政府は一度も、マスクを着けろワクチンを射てと強制はしませんでした。しかし、国民は色々なトラブルを抱えながらも忠実に従いました。特にマスクは、一億総マスク状態となりました。屋外でもマスク。北アルプスのど真ん中雲の平でそこを歩く一人の「独り歩き」の出演者がマスクをしている。NHKのテレビには驚き呆れました。
ぼくはワクチンは2回は射ちました。マスクは嫌いなので、持ち歩きましたが、ほとんどしません。デパートなどで注意されてしたことがありました。電車では、満員電車に乗ったことがないので、ほとんどしたことがありませんでした。
そしてずっと疑問でした。一体この一億総マスク現象はなんなんだ。ずっと考え続けてきました。気になりだすとそれが頭から離れなくなる。ぼくの悪い癖です。
最近になって、ようやくその答えが見つかった気がして、ホッとしたところです。その答えは、二つのキーワードです。日本人の持つ基本的な気質によるものです。一つは「忖度」もう一つは「甘え」でした。
忖度(そんたく)とは「相手の気持ちを押しはかること」と辞書にあります。常に相手のことを考えるというのは、日本人の特質です。甘えというのは、自分がちゃんとして居れば、相手は自分を評価してくれるはずだという、ある意味勝手な思い込みです。
この二つは、いずれも日本人の長所とも言えるものです。しかしこれが、こと外交となると問題です。戦後日本国は、特に近隣諸国との外交において、いつも失策を繰り返してきました。その原因はいつも、上の二つにあるといっていいようです。
ともかく、ずっと悩んでいた問題の答えが見つかったので、ようやく熟睡できるようになってホッとしています。