お正月も半ばを過ぎてしまいました。遅ればせながら新年を寿ぎたいとは思っています。とはいえ年寄りのぼくにとっては、それは冥土への一里塚でもあり、単純に喜べない気分でもあります。
そんな個人的な感懐とはべつに、いまの世界はじつに混沌とし、その混迷の度合いはますます深まっているように思えます。
実はこの稿は、新年早々に書く予定をしていたのです。
ところが、世界では次々と事件が起こり、それのはっきりとした分析や納得できる説明もないような感じでした。世界中で先が見えないようなことが多く、情緒不安定というか落ち着かない気分で、なかなかキーボードを叩く気になれなかったのです。
昨年からずっと気になっていたのは、イスラム国のことでした。いまの世界を動かしている国々にとって、とても認められないような、國とは呼べないと考えられるようなこの國は、しかしそんなことにはおかまいなしに、勝手にイスラム国を名乗りました。そして、もともとはイギリスとフランスが密約によって勝手にむかし引いたイラクとシリアの国境線などを無視して、支配領域を広げてゆきました。
少し統制の取れたテロ集団と考えられていたこの國は、そうではないことに世界は気付かされてきました。
かつて世界の中心であったともいえるオスマン・トルコをモデルとした国家を目標としており、いわゆるカリフを最高権威とする国家を目指していることなどが分かってきました。
少し調べてみると、この國・ISISの発生と発達を助けたのはアメリカだったということは、容易に理解できます。もっと遡れば、湾岸戦争に行き着きます。サダム・フセインは、「まあ好きにしたら」という感じのアメリカ大使の口車に乗って、むかしの領土だったクエートの領土の一部の奪還に乗り出し、ここに侵攻しました。こうして湾岸戦争が始まりました。イラクははめられたといえます。サダム・フセインはパパ・ブッシュに叩かれることになりました。しかし、アメリカ軍はバクダッドへまでは攻め込みませんでした。サダム・フセインの政権を潰す気はなかったといえます。
ムスリムには大きく分けて、スンニ派とシーア派の二つがあります。世界中のムスリムはこうした派の違いによって争うことはありませんでした。長い歴史と文化を持つイラクという國はそれなりに安定していたといえます。それを壊し、めちゃめちゃにしたのはアメリカでした。
ここまで書いて、中断していた時に、「イスラム国」による日本人の殺人予告のニュースが飛び込んできました。また書けなくなって、何日か経った所でまた続けることにしました。
湾岸戦争はなぜおこったか。イラクが軍事的に強くなったからです。なぜ強くなったかといえば、アメリカの傀儡政権であるイランのパーレビ国王が、ホメイニ革命によって倒され、敵国となったイランと戦っていたからです。いわゆるイラン・イラク戦争で、アメリカはイランと戦うサダム・フセインを徹底して助けました。
イラクはアメリカとはどんどん仲良くなるし軍備も増強してもらいます。フセインはムスリムの統一を夢見るようになります。それは困ると、掌を返すようにアメリカはイラクを潰しにかかった訳です。
湾岸戦争から10年経った2001年に9.11同時多発テロ事件が起こります。アメリカ国民にとっては当然のこと、それは世界中を震撼させた事件でした。アメリカはこれを機に全く異なった國になったといえます。自由と平等を掲げるアメリカンドリームの平和な国ではなくなったといえるでしょう。
ブッシュはテロとの戦いを宣言します。10年ほども前にソ連邦は崩壊しており、冷戦は終結しアメリカは戦う相手を失っていました。こんな説があります。アメリカは軍産共同体によって成り立つ國であり、戦争を必要としている。ソ連が消えたため冷戦の代りとしてテロ戦争を設定した。その仕掛けが9.11であったというのです。冷静に分析すると、確かにおかしい所が多く、仕組まれたものであるという疑いは
捨てることができないと思っています。
アメリカは、この9.11の犯行の頭目はビン・ラディンであるとして、それをかくまったアフガニスタンのテロ組織アルカイダへの報復攻撃を始め、いわゆるアフガン紛争が始まりました。
だいぶ経って、ビン・ラディンは、パキスタンの陸軍の町・アボッタバードに隠れ住んでいる所をアメリカ軍の特殊部隊の急襲によって殺害されたのですが、アフガン紛争は終わることなく、なおいまも継続中です。
このビン・ラディンを育てたのも、アメリカでした。この筋書きは、いまからですと30年ほども遡ります。
アフガニスタンは、もともとアレキサンダーも越えたカイバー峠をもつ歴史ある國でした。ここにソ連が傀儡政権を作ろうとします。この政権への肩入れが昂じて、ソ連は武力介入をすることになりました。
共産主義の政権など許せないとして、世界中からムジャヒディーン(聖戦士)が馳せ参じました。こうしたことは他の宗教には見られないことで、ムスリムを信奉する人たちの連帯感は、とてつもなく大きいのです。
その頃のムジャヒディーンには、ぼくは何度も出会って語り合ったことがあります。大変格好よくて気っぷよくて、男気のある魅力的な男ばかりだったように思います。
彼らを援助したのがアメリカでした。この戦いはソ連軍の撤退で終わりを告げるのですが、そうさせたのは、アメリカが与えたスティンガー・ミサイルだったといわれています。この携帯型兵器によってヘリコプターが次々と撃墜され、撤退に至ったとされています。
結果、ムスリム戦士たちは大きな自信を持つことになりました。超大国のソ連を打ち負かしたのだ。アッラーは偉大なりという訳です。
9.11から2年後の2003年にイラク戦争が勃発します。じつに理不尽な戦争でした。アメリカは、フセインの独裁政権を倒そうとしました。理由は何でも良かったのです。色々とでっち上げたのですが、湾岸戦争のときと違って、各国の同意は得られませんでした。結局国連軍ではなく、米英で戦うことになりました。
戦うといっても勝敗は決まっていて、すぐに終わりました。問題はフセイン政権崩壊後の処理でした。ブッシュのブレインの一人は、日本の復興を参考にすればいい。あんなに見事に復興したではないかと考えたそうです。
全く分かっていない馬鹿げた考えです。ムスリムと日本人は同じではない。日本人が敗戦後整然と行動したのは天皇陛下の存在があったからです。終戦の詔勅で戦争は終わりました。帝国陸軍の兵士が粛々整然と武器を放棄したのに、各国の連合軍は驚いたそうです。
イスラム教徒の國は神道の國・日本とは全く違います。イラクの戦後処理は全く上手くゆきませんでした。
アメリカが戦後処理を考えていたかった訳ではありません。それなりにしっかりと考えてたつもりでした。しかし思う通りに行かなかった。アメリカが最も参考にしたのはクルド人、しかもアメリカに亡命していたクルドの知識人たちでした。
彼らは、異教徒としてフセイン政権から弾圧されアメリカに逃れていました。そして、自分たちのイラクを作ろうと大いに協力したのです。
フセイン政権は消滅したはずなのに、イラクは静かになるどころか、混沌の世界になりました。アメリカは選挙が行われれば民主化が成し遂げられるなどと単純に考えていたようですが、そうはなりませんでした。駐留アメリカ軍や警察への攻撃も激化しました。
アメリカ軍へのゲリラ戦が仕掛けられ、市街の至る所で銃撃戦が頻発し、多くの女子供が死傷しました。イラク国民のアメリカ軍への憎しみが高まりました。
フセインはスンニ派で官僚はスンニ派が多く、多数を占めるシーア派はどちらかというと冷遇されていました。だから、アメリカ軍がバクダッドに入ってきた時、民衆は大歓迎したのです。
スンニ派とシーア派。これはイスラム教の二大宗派です。イスラム教ついて簡単に説明しておきましょう。
イスラム教はアッラーを唯一無二の神としており、その超偉大な神は偉大すぎて姿を見ることはできません。だからムスリムは偶像を認めません。アッラーには従わなければなりませんが、その教えを伝えたのが預言者モハメッドでした。神の言葉を預かって口伝えたのがモハメッドで、それを書き写したのがコーランです。
だから、コーランは読むものではなく唱えるものです。ムスリム(回教徒)はかならず声を出してコーランを唱えなければなりません。
ムスリムの國・イスラム教徒の國では、法律もコーランに従ったものでなければなりません。いわゆるイスラム法です。回教国では銀行の利子は認められません。コーランが利子を認めていないからです。普通の銀行は利子によって成り立っています。しかしムスリム銀行はそうではない。
ムスリム銀行は利子なしでお金を貸し、借りた人がそれによってもうけたお金の一部を返却することになっています。
また、先物取り引きは認められていません。それは、コーランに「羊の腹子を売り買いしてはならないぞ」と書いてあるからなのです。
話しがそれましたが、預言者モハメッドが死ぬとその跡継ぎが問題になりました。跡継ぎといっても万世一系などではありません。なんとか血がつながっていればいい訳で、その結果いくつもの宗派が生まれました。これらの総称がスンニ派です。一方、そんな血筋などは問題ではないではないか。それなりの学識素養を持つ立派な人であれば預言者となれるはずではないか。こうした考え方をするのが、シーア派です。
そんな訳で、多数派のスンニ派は13億ともいわれるムスリムの7・8割を占めています。少数派のシーア派には、知識人や社会的地位の高い人が多いともいわれています。
イスラムの国々は、それぞれスンニ派の國あるいシーア派の國などといわれますが、それはどちらの派が多いかで区別している訳で、二つの宗派の人々は仲良く暮らしていたのです。これを対立抗争にしむけたのは、欧米の悪巧みといえます。
戦後のイラクでは、スンニとシーアの対立が深まり武力抗争が始まりますが、同時に駐留米軍への憎しみも増大した結果、スンニ・シーアが争いをやめ、一致してアメリカと戦うことにした時期もありました。
そんな訳で、自爆テロを含むイラクの動乱は一向に収まらないまま、アメリカ軍はイラクを撤退し、その力をアフガニスタンに注ぐという判断をしました。そういう公約を掲げて歴史上初めての黒人大統領オバマが誕生した訳です。
アメリカはイラク撤収前に、大量の武器弾薬をイラク政府軍の為に残置しました。そして、総選挙が行われ、マリキ首相が誕生しました。
それは、副首相のクーデター計画が露見したというものでした。
席に戻ったマリキはオバマに尋ねました。実はいまの電話はかくかくしかじかだった。どうしたらいいでしょう。オバマは答えました。
「イラクには自国の法律があるでしょう。処理するのはあなた自身でしょう」
これを聞いたマリキは、そうか好き勝手にやればいいのだ。なにをやってもアメリカは文句は言わない。そう考えたのです。
マリキの弾圧が始まります。周りがすべて敵に見え、特にスンニ派の閣僚を逮捕したりしたのです。牢屋は政治犯でいっぱいになりました。 この政治的混乱に乗じたのが、アルカイダでした。このテロ集団は、コーランの教えを遵守し、弱きを助け、飢えるものへの施しを実行したので、民衆の心をとらえました。このイラクのアルカイダは、マリキの政府軍の攻撃を受けてシリアに逃れます。
いわゆるアラブの春と呼ばれる中東の動乱がシリアに及び、アサド政権が揺らぎ、シリアに権力の空白が生まれていたからです。
イラクでは、マリキ政権がますます混乱していました。シリアに逃れていたアルカイダはイラクに戻ります。この時攻略の目標にしたのが刑務所と製油所でした。収監されていた罪人はすべて解放され、アルカイダに加わりました。その罪人には、フセイン政権時の軍人や政治家・官僚も含まれていました。
イラク政府軍は、アルカイダにおびえ、軍服を脱ぎ捨てて逃走しました。この時のアルカイダの兵士はわずか800人だったといいます。そんなに少数の兵士が2万ともいわれた政府軍を追い払ったのです。この勝利の原因は民衆の支援だったとされます。
逃走した政府軍はアメリカから与えられた近代的な武器をすべて残しました。アルカイダは強力な武器とそれを操れる熟練した兵士、戦略・戦術に精通したフセイン政権時の軍人、さらには政治や外交に通じた官僚・役人を得ることになったのです。多くのシーア派の政府軍兵士の寝返りもありました。
このテロ集団の特徴は、国家的なビジョンを持っていることです。なぜそうなるのか。なぜそれが可能なのか。それは、アメリカが滅ぼす前のサダム・フセインのイラクの政府のスタッフ、バース党の党員などが加わっているからだと考えられます。理不尽にも不当な裁判で処刑されたフセインの怨念が息づいているのかもしれません。
アルカイダを創設したのはオサマ・ビンラディンでした。彼を作ったのもアメリカです。アメリカ人を殺せというファトワ(イスラム教の布告)を発したビンラディンの言霊も、このテロ集団には息づいているかもしれません。
第一次大戦後イギリス・フランスの謀略によって無造作に引かれたイラク・シリアの国境線を意に介さない地域を領土と考え、これをオスマン帝国の領域まで広げることを夢見ているといいます。
世界(というか国連)に承認されていないと唱える人がほとんどですが、国連に承認されていない國はけっこう沢山あるそうです。早い話しが台湾だって承認はされてませんよ。インフラは完全に整い、国産ビールまで売られているのに未承認なんて國もあるそうです。
ついでながら、テレビでのISISの報道画面にあるかないかが話題になった、あのなんとかいうマークの天辺の三日月印について説明しておきます。回教国のほとんどすべての国旗には三日月のマークがあります。三日月と星とグリーン、これはパキスタンの国旗です。典型的な回教国の国旗です。
地球上の十数億の回教徒はすべて、毎年1回断食月には断食を行います。その時期はイスラム暦で決まるので一般に用いられているローマ法王が定めたグレゴリオ暦では、毎年変動します。期間といえば、月の満ち欠けと一致していて、満月が新月となり、細い三日月が現れたときが断食あけなのです。
日が落ち闇が訪れるとともに、空には光る宵の明星と、鋭く光る三日月が現れます。
人々は全員戸外に飛び出し、街路上で抱き合って断食明けを祝うのです。この三日月を確認して初めて、断食明けとなります。三日月は目視することが必要なので、雨が降っていたら、飛行機を飛ばして確認することになっています。
この光景が世界中で見られる断食明けの光景です。他の宗教にはない連帯感はこういう所からも生まれるのでしょう。
またグリーンというのは、コーランに描かれる天国というのが、草木が生え清流が流れ草の褥がある光景です。だから緑は天国の色とされています。
フランス革命以後、アングロサクソンによって形作られてきた世界規範の国家像や価値観などの欠陥やゆがみを浮かび上がらせる不思議な鏡のような働きをしながら、この危険であり不思議な國はしばらくの間存在し続けると思います。