ご飯などの炭水化物や澱粉を含む野菜を摂らない食事をつづけています。
ここでその結果データを示したいと思います。
友人の女医さんに勧められたのが、きっかけでなかば冗談半分で断食をやってみたら、不思議なことに一気に食べ物の嗜好が変わりました。
その時に彼女が、友人のドクターが置いて行ったと言って、サイン入りの一冊の本を貸してくれたのです。それは、『我ら糖尿人、元気なのには理由がある』というタイトルの本で、そこに糖質制限のことが書いてある。またまた面白半分にやってみた訳です。すぐに効果が現れたことは、前稿の「プチ断食その後、明らかな変化が」に書いた通りです。
かつてぼくは、もうずっと昔のことですが、ダイエットをしたことがあります。ソ連のコーカサスにソ連邦招待の山登りに行って、向こうの山屋さんが年がいってもバリバリ登っているのを見て衝撃を受けたのがその原因でした。
この辺の事情やダイエットのことは、『なんで山登るねん』の<30なかばの変身のきっかけはコーカサスのショック>の稿に詳しく書いています。
コーカサス遠征の年ですから1971年のことです。
このときぼくは、78キロあったのですが、これを3ヶ月で63キロまで落としました。ひと月で5キロづつ落としたことになります。テーブルの上に計量計を置いて、徹底したカロリー制限をしたのです。
それはなんとも辛いものでした。こうした苦難を耐えるには、何かイメージを描くことが大変重要です。その時ぼくが描いたイメージというのは、美人の女の子と一緒にプールに行くというものでした。
ひと月5キロというのは、けっこう凄いことで、みるみるやせて行くぼくに一番興味を持ったのは、女子生徒だった。彼女たちは、「せんせ、どないしたらやせられるの」とぼくのいる教員室に集まりました。ぼくは、ひとりづつ食べた食事のメニューを提出させアドバイスを与えていました。それで、ぼくはこれを「高田ビューティーサロン」と称していました。
それはともかく、この減量がきっかけで、バイクに乗り出した訳でもあるし、スキーもレーススキーを始め、岩登りも続けることになりました。まあ人生が変わった。
でも、いまやっているのは、そんなんではありません。この年になって人生を変えるなどと言ったら閻魔さんに笑われそうです。それにあんまりがんばってなにかをやるというのも、もともと性にあわない。その点いまやっている食事のコントロールというのは、別にコントロールいう感じではなくて、好きなものを充分食べるという感じなのです。
起き抜けのブランチは、野菜スープと野菜サラダ、ヨーグルトなどであんまり食べません。というよりそれだけで充分であんまり食べたくない。
夕食には、魚かお肉、牛、鶏、豚と野菜。野菜とお肉の食事はぼくの嗜好にあっていて、楽しんで食事が出来ます。
そんなことをつづけて、この10月の体重と血糖値のデータは、こんなことになりました。
体重はなかなか減らないんですが、血糖値は100を割ることが多くなっており、明らかに変化が見られるようです。ただ食後2時間の値が、重要なのだそうで、これを測らないといけないと思っています。