科学分野で二人のノーベル賞の受賞があり、たいそう誇らしい気分を覚えました。いっぽう毎年、巷というか出版業界の期待を担っていると思われる文学賞では、今年も期待外れの結果に終わりました。なんだかホッとしました。
この人の作品をぼくはしっかり読んだわけではなく、何度か大変評判になったことがあったので、本屋でパラパラと立ち読みをしたくらいなのですが、なぜか買う気がしなかった。正直言って何がいいのかさっぱり分かりませんでした。無国籍の通俗小説という気がしました。それがまた、世界で読まれる理由なのかもしれないし、同時にノーベル賞が取れない理由なのかもしれない。そんな気もしています。
アジアで初の文学賞受賞者となったのは、詩聖と呼ばれたタゴールというベンガル人の哲学者で、1913年のことでした。彼の詩はインドの国歌になっていますし、バングラディシュの国歌も彼の作詞です。
ぼくがタゴールという名前を知っているのには理由があります。万博の頃、名前は忘れましたが、「今のタゴール」と言われているというインド人老夫妻が外務省の招きで来日し、その案内を頼まれたからです。ところが、そのおばあさんにぼくは大変気に入られたらしいのです。おばあさんが「昨日のあの若い人は来ないのか。呼んでくれ」と強くせがんでいるというので、職場に電話がかかり、3日間も大阪に通うことになりました。
どうしてそんなに気に入られたのが不思議だったのですが、たぶんぼくがときおり片言のヒンディー語で話しかけたりしたのが、その理由だったのではないかと思いました。
日本で最初、アジアで二人目の文学賞は川端康成でした。1968年のことでした。ちょうどその頃、やはり外務省の招きでドクター・マッキューという学者が夫人と一緒に来日し、ぼくは京都・奈良などを案内することになりました。彼はたしかアイルランド人で「ライ麦畑でつかまえて」で有名なサリンジャーの研究で著名な学者だということでした。村上春樹氏もこの作品の翻訳をしているようです。
サリンジャーは、大変人気のある作家だったのですが、ノーベル賞はもらえませんでした。
つい最近、NHKスペシャル「私が愛する日本人へ〜ドナルド・キーン 文豪との70年〜」という番組で、91歳になるドナルド・キーン氏が川端康成受賞の裏話を語っていました。
ノーベル文学賞の選定委員から日本の候補者を挙げて欲しいと依頼された。自分は谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫を選んだ。三島由紀夫を筆頭にしたかったが、日本は長幼の序を重んじる国なのでこの順にしたのだ。そして谷崎は亡くなったので川端になったのだ。そういう話でした。
キーン氏は川端康成文学の翻訳しづらさについて語っていました。たとえば『雪国』では、冒頭から大変です。「トンネルを抜けるとそこは雪国だった」には主語がない。また島村と馴染みの女性の会話。「帰る」といい、また「帰らぬ」という。その曖昧さに日本の独自性が見られると思うとも語りました。
文学には何がしかの思想性と民族性が必要なのではないかと思うのです。タゴールは民族詩人であり哲学者でもありました。川端康成も授賞式のスピーチのタイトルが「美しき日本」だったと思うのですが、もし村上春樹が受賞してスピーチするとしたら「美しいこの国」になるような気がします。
見事な無国籍性が特徴のような気もするし、家族や血縁など日本的なしがらみが描かれることはないようです。外国人にとって、どこの国の人かわからないような作者は、薄気味悪く感じるのかもしれません。
とはいえ、この人ほど多くの外国人読者を持つ日本人作家は他にはいません。でもノーベル文学賞は読者数で決まるものではないし、人気投票で決まるものでもないと思われます。
もし日本人に与えようとなった時には、村上春樹になってもおかしくない。他に世界に知られた作品を持つ作家がいないのですから・・・。
まあそのうちに受賞が決まるかもしれない。それはそれで、いいのではないか。どっちでもいいことだ。そんな気がしています。