エミレイツ航空は、一度乗ってみたいヒコーキだった。
今回、パキスタン行きに際してこのエミレーツを選ぶことにした。
昔は、もっぱらPIAだったが、そのころのPIAは北京で給油の為に停まり、でも空港に入ることは出来ず、もっぱら機内で時間待ちの長い時間を過ごさねばならなかった。
つぎには、タイ・エアーに乗ることが多くなった。お酒がふんだんに飲めるタイ・エアは、大いに気に入った。たとえばJALでは、追加のお酒のサーブする乗務員は、開栓した瓶を持って通行するが、気がついた時には通り過ぎていて、おかわりの要求は出来ないことが多い。しかしタイエアーでは、後ろ向きになってゆっくり歩く。大いに気に入り、タイエアばかりになった。
この場合、行き帰りともバンコックで最低一泊は必要だったけれど、タイでの泊まりは、行きは心の準備帰りは休養とおおいに有効な時間を過ごすことができたのは良かった。
エミレイツ航空は、ドバイを経由するけれど、待ち時間も適度であるし、出発が夜、到着が日中というのは都合がいい感じである。
ぼくと岩橋は、MKのシャトルバスで関空に向かった。
空港で1時間ほど待つと、チェックインが始まった。エミレーツの手荷物重量制限は30kgで、他社では20とか22kgとなっている中でこれはありがたい。
ぼくはいつものコンプレに赤系のタイにボルサリーノの紺のソフト帽といういでたちでチェックイン。こういう格好だと、エマージェンシー・ドアサイドのいい席のリクエストがすんなりと通るようなのだ。
エマージェンシー・ドアサイドに座る乗客は、緊急の場合脱出の補助を義務づけられるから、かつての一時期は英文を読まされる英語のテストがあったりしたが、いまはそんなものはなくなったようだ。
23:40にテイクオフして、しばらくして食事サービスが始まった。
食事が運ばれたのだが、飲み物が来ない。
ヨーロッパ行きでよく使うkLMなどでは、まず飲み物とおつまみが来るのだが。
外人のスチュワーデスに「飲み物は来ないの?」と訊ねると、いま来ますと答えて、そちらを指差した。でもその飲み物を配るギャレーは遥か前方だった。
ぼくは、出来るだけゆっくり食べて、飲み物を待った。
隣の岩橋がもう食べ終わった頃、ようやく飲み物ギャレーが到着した。
「Too late!! Why?」とぼくはかなり強い調子でいった。そのスチュワーデスは、
アイムベリソーリーと謝ったけれど、ぼくはなおも「飲み物は食事の前に供すべきだろう」となじった。そして、頼んだ水割りを飲みながら食事を続けていると、日本人の乗務員がやって来た。
「大変申し訳ございませんでした」と彼女は謝った。この便はJALとの共同運行だったのだ。「あのねぇ。君たち食事の匂いして来ても、その辺で無駄話をしていたねぇ。どうなってるんだ」
こうした時には、東京弁で「駄目じゃないか!」と一喝するのが一番効果があるのだが、ぼくはそうはいわず京都弁で「あかんやんか。そんなことでは」といった。
そして訊ねた。「あなたが、チーフアテンダント?」
「いいえ、違います。あのうチーフはXXXXというものです」「ああそうですか」
彼女が去り、食事を続けていると、チーフアテンダントがやって来て、名前を名乗り、詫びを述べた。そこで、ぼくは訊ねた。「この便は、共同運行だけど、どっちがイニシアを取ってるの?」
ああ、そうですか。向こうが取ってるなら仕方ないねぇ。「いえいえ、そんなことはございません。私どもの落ち度でございました。申し訳ありませんでした」
通路の向こうの席に移って食事をしていた佐藤ドクターが、聞き耳を立てながらにやにやしているようなのが気になって、若干の無駄話に話題を変えた後に、彼女は去った。
食事を終えた頃、また彼女がやって来た。
「ちょうどビジネスクラスの席が空いております。お詫びの印にお替わり頂く用意をいたしましたが、いかがでございましょうか」
それはいいなあ、とは思ったが、連れの二人も一緒にグレードアップしてほしいというのは、厚かましすぎる(そう要求したら間違いなくそうなったと確信したのだが)。そうかといって、ぼく一人が行くのは気がとがめるという感じだった。
いやいや、この席で十分ですよと、ぼくは答えた。
「そうですか。ビジネスに大変おいしいワインを用意させて頂きましたので、このお席にお持ちしましょうか」「白はソービニヨンブラン、赤ならカベルネソービニヨンでございますが、どちらに致しましょうか」
じゃあ、ソービニヨンブランを。
その後も、何度かお代わりを訊ねに来たので、ぼくはついつい飲み過ぎてしまったのだった。
危険、危険といわれているパキスタンを、けっこうリラックスして旅しながら、このエミレイツ航空の事件は何度も話題になった。
帰りが近づいた頃、同行の二人は何度も「帰りのフライトでも、きっとあのXXXXさん乗ってますよ」といったものだった。
カラチからドバイまでは、3時間ばかりのフライトだから問題ないのだが、そこから関空までは、長い旅だから大変だ。だからぼくはカラチ空港でチェックインするときにそういって、ドバイからの便の席をエマージェンシー・ドアサイドにしてくれるように頼んだ。
「ドバイからの席はここではコントロールできませんので、そう連絡しておきますので、ドバイで言って下さい」
佐藤ドクターは、「ああ言ってるだけで、絶対ゆうてませんよ」と断言した。ぼくは「そうかもしれんなあ」と答えた。
ドバイ空港について直ぐ、トランスファー・デスクに行くと、ちゃんと連絡が来ていて、その席が取れたのだった。エミレイツ航空は立派ではないか。
さて、みんなで気にしていた話題の彼女は乗務していなかった。
そして、帰りでもまた、文句を言わざるを得ないことが起こった。
帰りの深夜便の食事は、そばと親子丼ぶりだった。そばを食べようとして、割箸の袋の中に一本の箸しか入っていないことに気付いた。
大分待って、日本人のスチュワーデスがやって来たのでお箸を買えてもらった。「すみませーん。一本のお箸では食べれませんもの。お取替えします」と彼女はコロコロと明るく笑った。
それだけの話のはずだった。ところが、パンを食べようとして、バターがないことに気付いた。同行の二人に尋ねると二人ともないという。
呼びつけられて、男のチーフアテンダントがやって来た。浅黒く細身のアラブ人だと思われた。トレイにバターがないのだが、付いてないのかね、とぼくは訊ねた。
そんなことはありませんと彼は答えた。
「じゃあ訊くが、このトレイは君たち乗務員がセットするのか」
「いいえ、それはそうした会社がやっております」
「ぼくのトレーには一本しかない割箸が乗っていて、そしてバターがなかった。でも、これは君の知ったことではない。君のミステイクではではない。でも君に責任がないとは言えないよ。これは君の責任だ。違うかい。だから君は、セットしている会社にしっかりチェックしてから配達しろと要求しないといけないでしょ」You follow me?(分かるだろ)と何度か念押しをしながらぼくはいった。
「おっしゃる通りです。ご指摘を感謝します」と、アラブ人らしくない態度で彼は謝罪の言葉を述べた。
「ほかになにかご意見はありませんか。乗務員の対応に問題はありませんでしたか」ときくので、ぼくは「食事も美味しかったし、乗務員にも問題はなかった」と答えた。
リクライニングを傾け、思いっきり脚を前に伸ばした姿勢で目をつぶり、往きも復りも、文句いいの旅だったなあと思いながらぼくは深い眠りに落ちた。