何も書かなかったこの長い間に、これを言いたいということが何度もあった。けれど野暮用とかいろいろな取り込みなどが重なって、その意欲がなくなることが続いていたようだった。
昨夜のオーストラリア戦をみて、その予想に反した展開に少しイライラしながら朝になって眠った。起きだしてコンピュータを開こうとしたら、近くに住んでいる息子の嫁から「もう起きていらっしゃるかと思って」と電話があった。
「日曜はお留守のことが多いようなので、少し早めなんですが」と父の日のプレゼントにシガーの詰め合わせを持ち来った。よくセレクトされた銘柄のものたちだった。
一時間近く話をして嫁が帰ったので、さあ取りかかろうとしたら、UEFA1012欧州選手権のギリシャ対チェコ戦が始まった。これは見ないといけない。両国ともぼくには因縁のある国である。ギリシャはぼくにサッカーへの目を開かせた国であるし、チェコは旧友のパベルの国で、息子はプラハのあの天文時計のある旧市庁舎で結婚式を挙げた最初の日本人でもある。
ところで、だいたいスポーツはやるもので見るもんじゃないと昔から思っていたし、野球は嫌いだった。サッカーも、大学に入ってマラソン大会で優勝したらサッカー部からすぐに試合に出てもらいますからなどと誘いがあったが全く興味がなかった。
2002年に日本でワールドカップが開催された。当然ぼくも愛国者としてけっこう熱中してテレビを見た。ときには、会社でコンピュータの講義に使うプロジェクターをつかって、壁一面のスクリーンで観戦したりした。
でも、決定的にぼくがサッカーに興味を持ったのは、2004年の欧州選手権を見たときからだったといえる。
このとき、全く格下と見られたギリシャが開催国で優勝候補の一つだったポルトガルに勝利し、どんどん勝ち進んだ。興味を持ったぼくは、この大会の全試合をDVDに収め、全試合をみた。そして思ったのはサッカーは高度に知的なスポーツだということだった。山登りはスポーツではないとし、「健全な精神は健全な肉体に宿る」という諺は、じつは「健全な精神は健全な肉体に宿ればいいのだが・・・」の誤訳であるという説を唱えていたぼくにとって、このことは驚きだった。
同じ年のドイツ・ワールドカップでのオーストラリア戦での日本のあのひどい負け方は気になるわだかまりとなって胸にとどまった。サッカーの神様も名監督にはなれないということなのだと思った。
前置きが長くなってしまったが、本題に入るとしよう。オーストラリア戦である。
オマーン、ヨルダン、オーストラリアとグループリーグを戦う日本の最終戦であった。オマーン、ヨルダンと3-0、6-0という成績であり、オーストラリアとオマーンとは1-1のドローという戦績をみれば、勝てると予想するのも当然のことといえた。
しかし、ドローという結果に終わり、アウェイとしては上出来という結論だそうである。
アウェイとは、どういうことなのだろうか。サポーターの声援は当然のことだといえる。
サッカー・グラウンドの違いは大きいと思える。今回のサッカー・グラウンドでは、前日か前々日にラグビーの試合が行われ、そのためにグラウンドは大変荒れていたという。日本が特技とするパスが順調に走らない。これは大きな問題だった。オーストラリアはラグビーの強豪国であり、すべてのサッカー場が、同じ状況であるのかもしれない。オーストラリアのサッカーは、もしかしたら、そうした環境で生まれた少し特殊なサッカーなのではなかろうか。
審判のことも話題になったようである。あの審判は、カリル・アル・ガムディというサウジアラビアの人で、アジアサッカー連盟に登録されたあの有名な西村雄一さんなど4名の主審の一人である。北京オリンピック、FIFAクラブワールド2006、アフリカネイションズカップ2010、2010FIFAワールドカップで笛を吹いた。
この人は、イエローカードを大量に出すので有名であり、南アW杯のチリ対スイス戦でイエローカード9枚、一発レッド1枚。フランス対メキシコ戦ではイエロー6枚を出したし、AFCチャンピオンズリーグの川崎F対メルボルン戦ではイエロー9枚、レッド2枚を出しているという。
こうしたことを、ザック監督が知らなかったはずはない。しかし、そうしたことを選手に注意したりはしなかったと思われる。反則を犯しても防がなければ勝てないのが現実であるし、だいたいアングロサクソンが考えだしたスポーツはそうしたルールによっている訳だ。ラグビーなどではレフェリーのブラインドサイドで、顔を踏んづけたりするのは普通のことであるとラグビー部の友人から聞いたし、試合を見に行ってそんな光景を見たこともあった。
たしか前回のW杯の時だったと思うがクロスバーに当たり直下に落ちたボールがラインの内か外かが問題となった。ビデオ判定をルール化しようという動きもあったようだが、お金のかかる設備を加えるというのはサッカーの基本的な考え方に反するということで、沙汰やみとなったようである。
その所為か、今回の大会では審判の増員が行われている。従来主審とライン審判2名計3名に第4の審判の計4名だったのが、ゴールラインの審判2名が増えて計6名となっている。
このゴールポスト脇に陣取るゴール審判は、あの日本選手の抱きつきを目撃したのだろう。主審からは見えなかったと思われるが、ゴール審判は見てファールを伝えたと思われる。そうでなければ、あの状況で笛は吹けない。
それにしても、あの終わり方は何なのか。かなりびっくりした。普通はああいうことはしない。時間が来たときに終わりの笛を吹くとルールブックにはあるはずだ。しかしそこは審判の裁量でゲームの区切りで終わる、というのが従来の慣習だったのだろう。日本人の審判なら天地がひっくり返ってもあんなことはしない。
ここで、あの審判がサウジアラビア人だったことに思いをいたすべきだと思う。アラブは(アラブはアラビア語を話す人の意でアラブ人という言い方は、オイルショック以後広まった誤用である)アラブなのである。
金がわいてくるような国に住み、誇りだけは高いアラブは、欧米のしきたりなどは馬鹿にしているのだろう。スーツなどは絶対に身にまとわず、世界のどこへ行っても、頭には白布をかぶり黒い輪っか乗せている。ぼくは、パキスタンで何度もアラブと行き会ったが、その誇り高さには感心したり、尊大な態度に少々辟易したものだった。
我々日本人は、昔から礼儀作法をわきまえた徳の高い、世界でも珍しい国の人間であることを自覚すべきであって、アラブの審判に怒っても詮無いことなのである。
そういう国民性からいえば、オーストラリアだってもともと囚人の国なのである。
17世紀に最初にこの島にやってきたオランダ人は、周辺だけを見て植民地には向かないと判断した。18世紀ジェームス・クックが領有を宣言したが、アメリカが独立したので、アメリカには囚人を送れなくなったイギリスは、代替えとしてオーストラリアを流罪植民地とした訳である。初期の移民団1030人の内736人が囚人でその他は貧困層の人たちだったという。
そんな人たちの子孫なのだから、戦うのは大変である。荒れたフィールド、荒々しい選手たちと戦って、負けなかった日本選手を誇りとすべきだろう。
終わりにこの試合の実に鮮やかなゴールについて書く事にする。
このゴールは、本田の頭脳的な相手の意表をついたドリブルによってもたらされた。
彼らは本田が自分たちをかわして後ろに抜け出ることを警戒していた。
ボールを下手に奪いにゆけばPKを取られる恐れがあったし、ドリブルを絶つべく蹴り出しても、再度のコーナーキックとなるだけである。本田にシュートさせなければいいと考えたのだろう。
ところが、本田は自分たちをドリブル突破で破るのとは反対にゴールポストに向かって狭いゴールライン際のスペースに向かった。
一方前田(多分)は本田のスルーパスを受けるべくゴール右側に向かって突進し、ディフェンダーがこれに引き寄せられたためゴール左側にはスペースが生まれた。
そこに走りこんだ栗原がノーマークのまま鮮やかなゴールを決めたというわけである。