憲法を考える4/4。この最後の項は、憲法改正において、一番問題となる9条の部分です。
ちょっと気合を入れて読むことを強いられるかもしれません。時間のあるときに読んでください。ぼく自身たいそう勉強になりました。
ただ、小林先生のいう「憲法道具論」には、いささかの違和感を覚えるんですが・・・・。
中谷:諸外国の変化、とくにアジアの変化に対応できなくなってきている。アジアの変化においても、北朝鮮が核実験をやるとか、ミサイルをこの前飛ばしましたけど、アメリカに行くミサイルであったとするならば、日本の上空を通過して日本が対処できないとするならば、非常に信義にかかわることでもありますし、PKOにおいても国連の活動においてさえ、国連の職員が目の前で危ない場合も助けることができないとか、昨年は東日本の大震災が出ましたけど、国家の非常事態の規定がないもんですから、非常事態の対応ができなかった。それによって被害も大きくしたし、復旧も遅らせてますし、やはりああいう事態こそ国の非常事態ですから、国のリーダシップが発揮できるようにしておかないといけない訳なんで、もう一刻も早く憲法改正して、現実に対応できる国家にしておかないといけないというのが理由です。
八木:そして中谷さん中心にすべてが書き換えられたということなんですが、前文の部分なんですけれど。
反町:現行憲法にはない天皇陛下に関する部分も、国民統合の象徴である天皇と書いてある、ここはあえてそう書き込んだ狙いというのは何かあるんですか。
中谷:天皇陛下の存在というものはあいまいとなってまして、私はあの立憲君主制の国だと思ってます。これは別に天皇陛下が権限を持っているというんじゃなくて、天皇がそういう伝統のある地位にいて、そういうイギリスとかポーランドとかタイとかですね、やはり王様がおられてしかし政治は別の人がやってそして人々がまとまって営みを続けていくという姿をはっきり書いたほうがいいんじゃないかということで提案したわけです。
八木:小林さんは小泉政権時代に、方向性が違って自民党政権時代のブレーンを辞められたとうかがってるんですけれども、今回の自民党の作った前文というのはどういう風にご覧になっておられますか。
小林:今のものよりははるかにいいと思います。前文というのは、そもそも大事な点があって一つは、これは法的というより政治的宣言なんですよ。この国どんな国という自己認識を書くべきところなんです。もう一つは法的な文書として、条文を解釈するガイドラインつまり基本原則を明確に打ち立てることによって、各論の解釈論争が起きた時、これは前文にあるこの原則に従ってやるべきですという風に書かれるべきでありますから、歴史がきちんと簡潔に触れられていること、それから天皇制については何となくあいまいな点があるから、この際こういう案をきちんと国民に提示して議論して収めるところに収めるのがいいと思うんです。そういう意味で私は賛成なんです。結論はどう出るかわかりませんけど。
若松:自民党のみなさんの議員の方が、みなさんみんながこういうあれをを盛り込もうということで、みなさん、どなたか原文を書かれて。
中谷:私が起草委員長をやりましたが、原案は堀井幸助本部長がですねえ、試案を出しまして、それに30人ぐらいの起草委員がいまして、それぞれに意見を出しまして、最後は全体会をやりまして、全員の意見も聞きましたので、発言するたびに文章は変更になりました。
八木:前文に引き続き、今度は第一条も現行憲法と変わっています。現行憲法では「天皇は、日本国の象徴であり」という風になっているわけですけれども、草案では「天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって」という風になっています。
中谷さん、この狙いは。
中谷:日本国の元首ということは、代表する人であって、外国から大使が来たら信任状を受け取ったり、国会から解散の手続きがあったらそれを承認したりですね、そういう代表者というものはいなけりゃいけないんで、じゃあ日本の場合誰かと考えますと、今の政府の見解もそうなんですけれども、天皇陛下は元首であるというようなことも言われてますので、これはやっぱりはっきりと憲法に明記したほうが混乱がないんじゃないかと。
反町:憲法専門の学者の立場からしたとき、象徴と元首、全然違うもんですか。
小林:いえ、似て非なるもので、元首というのは、Head of the State 国って実は、われわれ会社と同じで法人格はあるけど実在しないんですね。過去現在未来の人の流れとこの土地とそれを管理する権力があるといわれている。つかみどころがない。会社だってそうじゃないですか、だから社長が対外的に対内的に顔になるわけです。たまたま社長が決定権を持ってるから大統領なんです。決定権を持ってない名誉会長はイギリスの女王様とかベルギーの女王様、そういう意味で Head of the State の Fanction 機能が、シンボルなんですよ。
反町:ううん?
小林:つまり象徴という立場は、会長は会社の立場を象徴する、会長は権限を持ってる場合もあるだけの話で、だからシンボルというのは元首の役割を説明しているわけです。
反町:あんまりこだわらなくてもいい・・・?
八木:役割の一つというか、まあそういう形・・・。
小林:元首は、元首というのは地位なんです。象徴というのは本来その役割を言ってる、地位じゃないんです。それはあの、
反町:では憲法の中に象徴というのを書き込むのは、これはおかしい。
小林:むしろおかしい。なぜかというと、第二次世界大戦で負けて天皇制を残しながらも大元帥じゃないよという形を残すために、天皇陛下がなんていうかしら、鎧というか階級章を奪って、こういう人がいるよという形で残したんだと思うんです。
反町:象徴という言葉が今の憲法に入っていること自体も、これは占領軍が、
小林:そうです、そうです。
反町:そういう意味に、そういう言葉の、ちょっとなんというか使い方の間違いみたいな。
小林:当時は大元帥様であったから、国権を総攬、あのすべての権限を束ねて握っているという形式上の位置にいましたから、それと切り離すために象徴と言わざるを得なかった時代的歴史的事情は分かります。でも、今天皇制は定着してますから安全なものとして、ですからイギリスの女王に例えて安全で権力がなくて権威性があって歴史性があって、国を内外に代表する存在と、今しっくりくると思うんですけれどもねえ。
八木:もうひとつですねえ、現行憲法でですねえ、明確な規定のない国旗・国歌についてなんですが、こちらですね。国旗は日章旗、国歌は君が代と明記したうえで、尊重しなければならないという文言も入れています。
小林:尊重しなけりゃならないと言わなきゃならないのは、わが国では実に情けないことだなあと思います。尊重という言葉がなくても尊重はさせえると思います。
八木:ふうん。
反町:ほかの国では、尊重しなければならないと書き込んである国は?
小林:あまり記憶ありません。
八木:明確にこういう風に(国旗・国歌の規定部分を指しながら)されてるところは、いくつかある・・・。
小林:あります。あります。
八木:だけど(下の部分を指して)こういう部分が入るという所は?
小林:それは日本の現状だと思います。また自民党的おせっかいというか(笑い)
中谷:ただまあ、終戦直後にですねえ、マッカーサーの指示で国旗掲揚、日の丸があげられなくなったり、またあの学校現場で「君が代」を歌わないというような時代もあったんですが、学校現場の影響でしょうか、地方へ行ってもですねえ、大事な式典の時に地方公共団体が主催する式典においても、主催者が「皆さんご起立ください」とか言わないんですね。
ですから、みんなペチャペチャお話しているときに国旗が上がったりですね、ほんとにこういうことでいいのかなと、ほかの国ならいろいろお話してても自分の国の国旗、国歌が演奏されるときは、サッとやめて直立で敬意を表しますけど、ほんとに地方へ行けばそういうことが行われてますので、やはりこういう際はこういうもんですよということを、恥ずかしいですけれども、あのう。
八木:お気持ちはわかるんですけれども、ただこういうように明確にすることによって、そこが明確にされてるんだということで、教育のほうでなるものじゃないですか。逆に憲法でこういう風に言葉として、大切にするとか尊重しなければとか、いるものなんですかね憲法で。どういう風にお考えですか。
中谷:法律でやるべきことであるかもしれませんけれども、これこそ国のシンボル、表象といいますけれども、象徴的なもんですから憲法で規定してもおかしくない問題だと思います。
小林:国の国旗や国歌を大事にしないということは、自分たちの国を侮辱することですから、本来あってはならない、自分いろんな国へ仕事で行きますけれども、みんなそれ出来てるんですね、日本だけなんか国旗・国歌に対する抵抗が根強い、これはよく考えたらですねえ、あの国旗と国歌が主権者の納得を得ているかの問題だと思うんです。
反町:はあ。
小林:かつて日教組が大闘争を展開した時は、そんなもんどこに根拠あるんだい、ただの慣習だろ、明治憲法下の慣習だろ、いま日本国憲法じゃないか、やたら蹴散らされて大混乱、だから自民党が国旗国歌法で成文化した、だから行くんだと当局は押し切るけれど、それは日の丸と国歌について国民が納得してないと、国旗国歌は尊重するけれど、なぜこれが国旗なんだなぜこれが国歌なんだいう議論がまだ続いてるから今もめてるんですよ。ぼくはそこが大事だ、つまり、白紙で言うなら国旗・国歌は当たり前、国旗・国歌は尊重されるべき、だけど今の国旗・国歌というものはほんとに尊重されてますかという議論、ぼくもう一度やったらいいと思うんですよ。
改憲論議の時に。
反町:それはもうどこの国でも、その議論を始めたら非常にこうエンドレスの議論にならないものですか。
小林:いや。
反町:すっきりしたものになるんですか。
小林:二千何百年という日本の歴史でいけばですねえ、日の丸なんていうのはただの太陽だ、朝と夜の、日本列島、海の中の縦長じゃないですか、日の丸というのは日本人にとっては8世紀からずっと使われている、これなんの、これに好戦性なんかあるわけないんですよ。長い歴史の一時期、戦争して負けたというだけのことですよ。これはわりと簡単にクリアする。
君が代は、昔の和歌集の中にいくつか類似の歌が詠み人知らずであって、それは室町時代の文献読んでると、君ってあなたじゃないですか、あなたの齢・お年がエターナルに永遠にという健康長寿を祝う、いい歌ですよ、詠み人知らずで。そういうもんであれば、なんか日本に向いてると思うんですよ。それを明治憲法体制下で、これは天皇体制下で賛美歌であることが国定教科書で書かれちゃってるんですよね。
反町:君が陛下になっちゃったんですね。
八木:それ解釈をそういう風にしたという、途中で。
小林:それ国会できちんと意味転換をすべきだと、ぼく自民党に呼んでいただいて参考人で申し上げたんですけど。無視されましたけど。そやってみんなが納得して、君が代の長い歴史の中での価値を再発見すれば、喧嘩にならんと思うんですけどね。
八木:あらためてみんなで見直すいい機会になると。
小林:ほんとにみんなで議論すればおさまるはずなんですよ。
反町:そういう収め方があるという意見ですね。
小林:ぼくは答え持ってるつもりなんです。
八木:いったんお知らせはさんで、さらに伺っていきます。
八木:つづいては、憲法9条になります。「平和主義」の比較になりますけれども。「戦力はこれを保持しない」「国の交戦権は、これを認めない」という風にあるところに対してですね、「前項の規定は、自衛権の行使を妨げるものではない」という風に明記しました。ここの意図はどういうところにあるでしょうか。
中谷:これこそ長らく戦後国会で長らく議論されてきた集団的自衛権、これは国家としては保有してるが、集団的自衛権の行使は認めないというような解釈で非常にいま足かせになって、
国際貢献にしてもたとえば尖閣列島の中国の上陸問題もなかなか対応しずらいんですが、やはりこういう論争があるところははっきり自衛権は保有してるし、発動を妨げるものではないとしたほうがいいと思います。
第二項はですねえ、「内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する」、国を守る組織である国防軍としてますけれども、そういうものは必要であると、そういう間に自衛権というものを行使しうると、まあ明確に書いた挿入したということです。
若松:中谷さんがね、国防のプロでいらっしゃるから伺いたいんですがね。私は集団的自衛権の行使は、これは容認すべきだと思うんですけれども、ただ国民の方はまだそこん所どういうことになるかということをまだ正確に理解がいってないと思うんですよ。いろいろな危機の時にここはこう行使を容認できるんだ、じゃあその場合犠牲者が出る可能性というのは、今までこれ行使を容認しなかった場合より増えてくると思うんですけれども、その場合現実問題として自衛隊のたとえば海外に派遣したときとかね、その辺の覚悟はやっぱり国民のほうにも持っていただきたいということになるんでしょうか。
中谷:まあ闇雲にやることに対してはやはり国会の基本法を制定して、少なくとも国会の承認のもとにですね、それに参加するかどうか決めるとかですね、内閣総理大臣が統制するとかですね、そういうシビリアンコントロールの部分は担保しつつですね、やはりそういうことにはそういう状況に対して対処できるようにしておくべきじゃないかということで。
若松:Aというケースならそんなに危険じゃないんだ、はっきり言ってそんなに犠牲は出ないオペレーションになる、でその場合高所容認して一緒にやりましたと、でもBというケースだったらかなり指揮官としても現場から見ても危険だと、そうした場合に、いちいち現場の指揮官は国会の承認を待つのか、この場合同盟軍から恨まれるということはないんですか。どういう線引きをして。
中谷:NATO諸国は集団的自衛権でですね、同盟関係を結んでますけど例えばイラクの対応にしても、フランスはもう大反対参加しなかったし、やはりそういうオペレーションに参加するしないかは国歌の事情でですね、選択できると思うんで、日本だけ参加できませんというのはもう通用しないんじゃないかということだと思います。
反町:中谷さん、集団的自衛権をめぐる論争にとどめを刺す、もう憲法論争には終止符を打ちたい、それが今回の自民党の案にはある、そういうことですか。
中谷:いやこれはいろんなケースがありますので、やはりいま安全保障基本法ということを検討してますけれども、こういうケースにおいて国会がどう判断するとかですね、あのそういった日本のこれまでの平和主義を逸脱しないためには、こういうルールを作るとかですね、ケースバイケースでいろいろと真剣な議論は必要だと。
八木:今回の自民党憲法改正案、これまでなかったですねえ、条項が盛り込まれているんです。こちらの緊急事態条項というものなんですが、若松さん。
若松:大震災やテロの時にはね、そういう緊急事態には、総理に一時的に強力な権限を与えて、その危機に対処しようというもので、基本的人権に最大限配慮したうえで、国が最大限の権限というまあそういうもんなんですよ。
中谷:非常に心配されている方もいますので、これは中止事項というものも定めてます。例えば国会承認、国会で承認されなければ対応を中止するとかですね、百日が限度で百日を超える場合はもう一度承認をされるとかですね、中止条項もしておりますので。
反町:これ東日本大震災の話をするよりも、自民党の東日本大震災の話が出てくると、阪神淡路の時にはきちっと対応したと、これまでロジックで説明してきたじゃないですか。だから、東日本大震災がどうのこうのというよりも、たとえばテロとか軍事的緊張のほうが目的にはすっきり理解ができるんですけれども。
中谷:もちろん三つの類型でですね、武力攻撃事態、内乱そして今回の自然災害と、のような事態ということで、やはり国家が危急存亡の事態に陥る事態というのは考えておかなきゃいけませんので、そういう場合に適用するとまあそういうことです。
反町:ある程度私権の制限というのが当然出てくると思うんですけれども。わたし・・・。
中谷:10年前にわたし防衛庁長官やりまして、その時に有事法制いまの武力攻撃事態法を作りましたけれども、肝心なところがあいまいなんですね、例えば港湾にしても空港にしても地方自治体が管理しているところがあって、そこの使用においても緊急事態ですからすぐ使えなきゃいけませんが、知事の判断によるとかですね、あといろんな物品を借りる時もですね、いろいろ手続しなきゃいけませんけれども、そんな暇がありませんのでそういう場合には国の指示が出てそれに従っていただくというのは必要だと思います。但し書きがあって、国民の基本的な権限は尊重するというのがありますので、あまり不適切な場合は事態が終わった後はきちんと法律で裁かれることもあります。
小林:これ各論に入らずに事柄の本質を考えれば分かりやすいと思うんです。緊急事態というのは戦争とか天変地異つまり簡単に言っちゃうと憲法がぶっ壊されちゃった状態なんですね。だからそらすべての人にとって危険ですから、何よりもその危険な状況を追っ払うと、そのためにはですね、例えば敵軍が来て攻めてくる。「ここはうちの庭なんです」。うるさい、ここは陣地に使う。あるいは天変地異の後で道を開かないと、「いやこれうちの仏壇なんです触らないで」。うるさい、申し訳ないけどそうするしか仕方ないんですね。そういう意味では、これ憲法を改正するために憲法を停止するというか人権を停止して、今の民主主義というのは実利の民主主義ですから、手間暇かけて結論を出す。権力分立、二院制でぐたぐだ、これやってると国なくなっちゃいますから独裁者一瞬作るしかないんです。そうである以上憲法改修するために憲法を停止するという異常条項ですから、書かなきゃダメなんです。と同時に我々自己不信止めましょう。経験してるんだから要は、我々それ正しく使えるかどうか自分のために。
でその主権者国民が、その非常事態を宣言して権限を行使した政府を許せるか、政府を次の選挙で許すか許さないか。そんな心配することないんです。ないと、道具がないと話が始まらん。こないだの東北の大混乱、あれだって菅さんの個人的な問題によくされるけど、それ以上に制度と制度を支える哲学がないからオロオロしたんです。
反町:小林さんのお話を伺ってると、憲法を改正するにはまず我々自身が自信を回復するというかですね・・・。
小林:そうです。
反町:なんか日本の国民の意識というのが憲法改正を支えられるだけの強さというか自信というのが今あるようにお感じになりますか。
小林:この議論をしなきゃダメでしょうから・・。
反町:はあ。
小林:われわれ現実に生きてるわけです、この日本という船に乗って。だからやれば越えていけると思いますよ。たとえば、橋本が総理になられて権力を振るわれてどうしようなんておびえるようじゃあ、駄目だったらさせなきゃいいし、しておかしかったら排除すればいい。それは今の憲法が生きてるから出来るんですよ。要するに、政府も我々もこの憲法使えばいいんです。
反町:ふうん。
八木:東京都の40代の主婦と書いてらっしゃる方から、小林さんに質問です。
政治はますます混迷し、政治を理解する政治家が出てきているとは思えません。私はまず目の前の危機をきちんと回避して、その実績を見せてから改憲に進むべきだと思いますが、先生から見て現在は改憲のできるだけの人材が政治家にいるのでしょうか。今改憲をすべきでしょうかという質問なんですが、いかがでしょうか。
小林:はい。あのうむずかしい。私は30年前くらいから改憲を主張してきてますから、道具としての憲法の改正はいつでもやりたい。だけども、できるという政治家がいるかというと、例えば中谷先生もそうですけれども、自民似も民主にもたくさんいるんですね。ただ皆さん、憲法改正は票にもお金にもならないせいか、あのう権力闘争を優先しちゃうんですね。これは私にもどうにもならない問題で、あの、あの、壁にぶつかっております。これが答えです。
反町:中谷さんいかがですか。今の話。
中谷:そうですね、本当は20年前に憲法変えておくべきだったんですね、あの時は湾岸戦争で、もう一つは政治改革、選挙制度、ほんで大騒ぎして、結局選挙制度ばっかりやっていつのまにか国際社会の対応が消えてしまったんですが、やはりあの時の後遺症で、失われた20年って言われてますけど、全然外国に対応してませんね、外交も。経済もそうですけれど。やはりそういった時期を逸してますんで、いろんな問題はありますけど元の根本治療をするためには、早く憲法改正すべきだと思います。
中谷:わたしあの「人民ありて憲法あり、憲法を読むべし」ということですが、わたしの故郷は高知県で土佐で、自由民権運動ってあったんですが、これ民権を求めるために国会を作れといったり憲法を提案したりですね、やはりあの公権力を憲法で縛るわけですから、人民まあ国民にとっては憲法を通じて自分が国民主権である主体者であって、やはり自分たちで持ってこの憲法を作り変え定めそして運用するという意味では自分たちの権利そのものがこの憲法の拠り所なんで、大いにこの憲法に関心を持って、自分たちでやるべきことがどうなのか、そして最終的には国民投票に掛けますので、この国のかたちをしっかり作れるわけですから、私はこの憲法を通じて政界再編をして、まさに国のかたちをもう一回作り変えると、東京スカイツリーじゃありませんが、新しい日本のシンボルを立てて、やはり国民がもう古い憲法から新しい憲法にやり直そう、もういい加減に温泉旅館の違法建築でですね、古びた旅館じゃなくて、新しい設計図で国を立て直す時期に来てるんじゃないかなということで、こういう言葉を書きました。
八木:そのためにももうみんな憲法を読んで準備していて欲しいと。
中谷:そして選挙の争点にして、まさしく自分たちはこういう憲法にしたいということを国民の皆さんから提案していただきたいと思います。
小林:憲法は私たち主権者国民が国家というサービス機関を管理するマニュアルに過ぎない面があります。我々が国の主で、国の受益者ですから生きていて幸福になる権利があるはずですから、その国家が正しく作用して我々の幸福を増進し、不幸を減少するそういう作用を果たせるならばそれが憲法改正の目指すべきものである。憲法を改正することによって、改正と称して我々の幸福を塞ぐような可能性のあるものそれは憲法改悪と断じてやめさせるべきである。そういう観点で政治家の提案をじっくり見て、われわれが決断すべきであると思います。
八木:そこに改定なのか改悪なのかをしっかり見極めるべきである。
小林:そうです。そうです。
若松:ご覧になっている視聴者の方も、賛成の方もいやそれは違うという方もまあいろんなご意見の方があったと思うんですが、ただひとつ言えることは自民党は将来の国の姿としてこういう方向を目指しているんだなということはね、非常に分かりやすかったと思うんですよ。こういう憲法論議をするとね、はっきりと各政党がどういう方向を目指しているのかが分かるし、まあ護憲の立場の人は、今後、今週この番組に出られるでしょうけれど、今自民党が改正すべきだと、護憲の今の憲法のままで行くべきなのか、その辺の論議を戦わせればこれは有権者の方は各政党の目指す方向の違いなんかがはっきりわかるんで、やっぱり私この憲法論議というのは非常に意義があると思いますよね。
【このシリーズのテキスト起こしを終えて思うこと】
自民党の改正案は、なぜかミミッチィーように感じます。安倍さんがいじましいと評する前文の、この憲法というより占領軍の占領文書ともいうべきこの憲法を手直しするなどというのは、同じようにいじましいのではないだろうか。
日本にはアジアで初めて出来た戦前の憲法(明治憲法)が存在し、GHQに統治された時も「被占領地の法律に手を触れてはいけない」という国際法(ハーグ陸戦条約)もあったのだから、それを捨て去る必要はなく、サンフランシスコ講和条約で休戦が終わり独立した時に、明治憲法を改定すればよかったのです。
万世一系の天皇を頂く世界に希有な、まことに美しく素晴らしい国なのに、小林教授もいうように、二千有余年の歴史(アメリカはたった200年ほど)の中で、たったの一回戦争に負けたくらいで、なにをいじましくいじけているのでしょうか。
と考える来ると、改憲ではなく廃憲でしょう。変えるなら負ける前の明治憲法に戻らないと筋が通らないのではないか。そんな気がしてきています。