毎日新聞が大きく取り上げた国会での安倍さんの発言、「東京裁判は勝者の断罪」はとんでもなく大きな意味があると思いました。
これは「東京裁判」がまともな裁判ではなく、本当の意味において裁判の体をなしていなかったという考えを明確に言明したものだったからです。これまで、日本の首相がこんなことを、ましてや国会の場で堂々と述べるなどということは一度もなかった。これは、「戦後レジュームからの脱却」どころか、自虐史観の芯をえぐる鋭い一太刀ともいえるものでありました。
なぜなら日本に否応なくしみ込んで(しみ込まされて)しまった自虐史観の根っこは、まさに東京裁判にあると考えられるからです。
ぼくはその時、あの古事記の手力男(タジカラオノミコト)を想起したのです。
ぼくの母親は、幼いぼくに日本の神々のことを語って聞かせました。光の神様の天照大神(アマテラスオオミカミ)が天岩戸に籠ったので、日本の国は暗闇に閉ざされてしまいました。神々は額を寄せて相談し、一計を案じました。踊りの上手い天宇受賣命(アメノウズメノミコト)が、大きな伏せた甕の上で舞い、周りの神々が大声で唱い騒ぎ、拍手喝采。
何事かと天照大神が天岩戸の扉を少し開けた時、待ち構えた力持ちの神・手力男命(タジカラオノミコト)が、一気に扉を引き開け世界に光が戻ったということです。
イザナギとイザナミのミコトが天の浮き橋に立ち・・・などという日本創世記の物語りは、ぼくたちの世代は誰でも耳にしたことのあることでした。もともと、こうした物語は、親から子、子から孫へと口伝えで伝えられて来たものでした。
これほどの膨大なロマンに富んだ叙事詩ともいえる神話を持つ国は、日本しかないと思います。(神々の系譜)(古事記登場人物)(古事記ものがたり)。
しかしぼくより下の世代・若い世代は古事記を全く知らないまま成長したのではないでしょうか。GHQが神話を教えることを禁じたからで、歴史の抹殺といえるものでした。
ところで、うす布をまとい甕の上で榊の枝を手に舞い踊った天宇受賣命は、元祖ストリッパーでありました。
天岩戸が細めに開いた時、そこからサッと光がさし出たので、暗闇の中の神々の顔が、白く浮き上がりました。
これが面白いの語源であるといわれます。あまり本題ではないのですが、柳田邦男の説ということになっています。
自虐史観の暗闇に閉ざされていたこの日本に、安倍首相の発言で一条の光が射し、戦後の長い間、ずっと貶められて来た人たちが浮かび上がって来たのではないでしょうか。
東京裁判が、いかに馬鹿馬鹿しい欺瞞に満ちたものであったかについては、オンライン上でも、書物でもいくらでも見ることが出来ます。ここでは、『世界がさばく東京裁判〜85人の外国人識者が語る連合国批判〜』を取り上げます。帯には「外国人識者による<東京裁判>批判の集大成」とあります。
まず、戦争が勝者によって裁判で裁かれるということは、歴史上なかったことであり、またそれが故に、そのための国際法はなく、挙げられた罪状はすべて事後法によるものであったことです。
ぼくは素人なのですが、法の不遡及の原則というのがあって、それは「国家行為の法理」という国際法上の常識です。
つまり、国家機関として行為した個人には刑事免責が認められるとされており、その原則に違反して遡及して刑事責任を問うのはおかしいというものです。この原則自体は、例えば国家の命令で戦争を遂行した軍人は、その戦争が不当なものであっても罪に問われないということです。急ごしらえの「平和に対する罪」などで、裁くのは、法の不遡及の原則に反しているにも拘らず、GHQは強引にこれを行った訳です。
国際法は、ヨーロッパにおける熾烈な戦争の中で形作られた常識であり、ヨーロッパ中世に発達した騎士道をベースにしている。そして、戦争とは話し合いがつかない時に行われる国家間の決闘であるという考えがあった。我が国にも武士道があり果たし合いがあった。しかし、中世の歴史を持たない未熟で、先住民を殺戮して出来上がったアメリカという野蛮な国には、そんな倫理もモラルもなかった。
渡部昇一先生は『アメリカが畏怖した日本』でそう説いておられたと思います。
この裁判の判事は、ほとんどが素人であり(まともな判事はたったの二人)、国際法への理解などはもちろんなく、反論証拠は採用されないまま、捏造ともいえる共同謀議による侵略戦争、南京事件等がでっち上げられました。
この普通はあり得ない裁判のために、マッカーサーは「極東国際軍事裁判所条例」を制定・公布しました。しかし、これは厳密な意味での「法」ではなく、占領軍の条例に過ぎなかったのです。厳密にいえば、国際法上、講和条約発効までは「戦争状態」が続いているので、東京裁判の本質は連合国軍の一過性の軍事行動(戦争)であり「極東国際軍事裁判所」などという居丈高で越権的名称を用いていましたが、実態は占領軍の一機関に過ぎなかったのです。
イギリスのモーン卿は、当時次のように批判していました。
「チャーター(特権条項)「極東国際軍事裁判所条例」は、決して国際法を規定したものでもなく、また戦争犯罪を規定したものでもない。ただたんに裁判にかけられた僅かな人たちを裁くためにのみ作られたチャーターであった」
しかし、真面目な日本国民はこれを正当な裁判と誤認し、さらに映画『東京裁判』などによるプロパガンダによって、その正当性を信じ込まされることになったのです。それだけではなく、日本帝国が目指した戦争の意図は醜い侵略と規定されるような事実の歪曲も行われました。
書き出すときりがありません。上掲の書物からいくつかのよく知られた人たちのコメントをピックアップすることにします。ぜひ原書を読んでください。アマゾンで古本600円です。他にも沢山あります。
◉<合衆国前大統領ハーバード・フーバー>「もし我々が日本人を挑発しなかったならば決して日本人から攻撃を受ける様なことはなかったであろう」
◉<ルーズベルト大統領の長女の夫(後に離婚)カーチス・B・ドール大佐>「ホワイトハウスで1941年11月25日に開かれた運命的な会議の記録を読み返してみて、私の以前の岳父、ルーズベルト大統領および彼の側近達の戦略は、平和を維持し保証することではなく、事件を組み立て、あるいは引き起こさせて、アメリカを日本との戦争に巻き込むという陰謀にもっぱら拘っていたと、私は悟ったのです。それを知って私の心は張り裂けんばかりでした。これは「裏口」からヨーロッパに入ることを可能にする計略でした。」
◉<あの『翼よ、・・・』のチャールズ・リンドバーグ大佐の日記>「1944年7月13日 ・・・話が日本軍と我が軍が犯す残虐行為に及んだ。我が軍の一部兵士が日本人捕虜を拷問し、日本軍に劣らぬ残虐な蛮行をやっていることも容認された。我が軍の将兵は日本軍の捕虜や投降者を射殺することしか念頭にない。日本人を動物以下に取り扱い、それらの行為が大方から大目に見られているのである。」
多くの人たちが発言している「原爆投下」についてはこう結論づけられるのではないでしょうか。
日本人は、なによりも原爆投下をしたアメリカの責任を追及すべきだった戦後の平和運動は、日本人としての立場も「アジアの視点」も失ったまま、連合国側が「東京裁判」で掲げた「いかさま正義」にすり寄ってしまった。そして「地球市民と自称しつつも、アメリカに対して今なお異様におびえている敗戦国民」という日本人の哀れな姿が生み出されました。
そして、いまにつづく反戦平和運動家やマスコミ、民主党や社民党は日本の戦争責任ばかりを執拗に追求することで、「東京裁判」の背景にある「再び日本を米国の脅威たらしめない」という占領政策の究極目的の達成をいまなお補完し続けているといえるのではないでしょうか。
そろそろ結論を急がねばなりません。
東京裁判が終結し、7人が絞首刑になりました。この時国民から寄せられた助命嘆願は10万人を超えたといわれます。日本弱体化プログラムが進行する中、朝鮮戦争が勃発します。「国際法に基づく厳密なやり方を諦めて、特別法廷で蛮行ともいえる見せ物的な公開裁判を行うべきではない」と主張していたウェブ判事に強引に裁判長を押し付けたマッカーサーは、ようやく気付きます。太平洋戦争の真の勝者はソ連であった。もし、「満州国」という中立国家があったなら、朝鮮戦争は起こらなかった。日本は自衛の為の戦争を行ったのだと。
そして、あの有名な上院・軍事外交合同委員会でのスピーチを行うのです。
その重要部分を英文で示すと、「Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.」。1951年5月3日、サンフランシスコ講和条約調印の数ヶ月前のことでした。
日本語にすれば、「彼ら(日本人)の戦争に突入した目的は、それゆえ、主として自衛のため余儀なくされたものであった。」
これは、東条英機の宣誓口述書と軌を一にするものでした。ここにおいて、東京裁判は完全にその意味を喪失したというべきなのです。
渡部昇一氏は、これを「東条・マッカーサー史観」と呼んでおられます。
サンフランシスコ講和条約が発効しても、日本人はその植民地根性を捨てようとはせず、今日に至っているともいえます。
本当はこの時に、占領国条項ともいえる憲法は廃棄し、宮家を復活し、A・B・Cなどと無意味に区別された戦犯の名誉も回復すべきでした。そうすれば、今日のような問題は何も起こらなかった。
来月の28日はサンフランシスコ講和条約発効記念日<主権回復の日>です。この記念すべき日を目前にして安倍総理は「自虐史観」に大太刀を振るった。手力男命のように天岩戸を押開け、世の中を明るくし、岩戸景気が起こることを望んでいます。
そして、まもなく日本武尊が現れて、自虐史観を守ろうとする輩を征伐してくれることを願っているのです。