ずいぶん長い間、このブログの書き込みから遠ざかってきました。書きたいことは山ほどあるのですが、なぜかためらいが生じてしまうのです。どうして何だろうと考えてみました。問題はコロナです。当初からずっと気になって仕方なかったのです。
ぼくの考えはどうも世間一般とあまりにかけ離れていると感じていたのです。あっという間に、マスクの顔がふえ、いまや一億総マスクという有様になってしまっています。何だか不気味な感じがしています。
自分が罹患した時以外はマスク不要というのが、一貫したぼくの考えなのです。咎められたらいつでも着けられる様に携行はしていますが付けることはありません。
電車の中でも、ぼくの乗る電車はいつもガラガラに空いているので、あまりつけることはありません。
屋外では全く不要だと思っています。口や鼻から飛び込んだウイルスに感染するためには、そのウィルス数は1〜3万個が必要だそうで、そんな数のウィルスをもらうことは、街中を歩いていてありそうもないと思っています。繁華街でもすれ違って感染ることはないと信じて安心しています。みんなみんなマスクをしてくれているので安心できるのです。
先ごろ、西村経済再生大臣が「マスクをしていても感染したという事例が多く報じられています」と語りました。その意味がわかりません。これって、感染経路を確定した上での発言なのでしょうか。いい加減なことを言っちゃいけない。誰も彼も単なる予測や感想発言が多すぎるのです。事実関係と数値データを正確に報じなければいけない。
専門家と称する人のシミュレーションによる予測にしても、そのシミュレーション自体が問題です。もともとシミュレーションというのはファクターをどう入れるかで、如何様ににも作れます。
その所為で、「東京は地獄になる」とか、「死者が41万人になる」などの予測が生まれ報道された訳です。
武漢から発したインフルエンザの新型であるコロナ・ウィルスは、瞬く間に世界に広がりいわゆるパンデミックを引き起こしました。私たちは、その現状を冷静に把握する必要があります。そのためには、用語の意味を正確に知らないといけません。
①暴露 喉鼻の粘膜にウィルスが付着すること。
②感染 ウィルスの細胞内への侵入。顕生感染と症状の出ない不顕生感染がある。
③発症 自然免疫が発動し、発熱する。
④PCR検査 暴露の有無を調べる 5個のウィルスでも陽性となる。極めて、正確さを欠く検査と言える。
ウィルスが細胞内に侵入すると、自然免疫と呼ばれる対抗手段を取りますが、それだけではなく抗体を作って防御し、さらにはキラー細胞と呼ばれる強力な武器も出動します。抗体は35日ほどで体内の収納部に収まるので、そうなれば、抗体検査で検出はされません。だから、抗体検査で感染の有無を調べることはできません。
現在の科学では、コロナウィルスの存在を知るには、PCR法(ポリメラーゼ連鎖反応、polymerase chain reactions)という遺伝子の塩基配列を詳細に検出できる方法以外にはないということが一つの問題です。PCR法は遺伝子のゲノム解析には極めて有効で、この技術開発によって遺伝子情報の解明は大いに進みました。しかしこの方法では、ウィルスの有無を知ることはできても、その量を正確に知ることはできません。
そのため、全く感染に至らない十個足らずのウィルスの存在であっても、発症に至るとされる1万個ウィルスと同じ結果を示すことになってしまうのです。
このことは、PCR法の開発でノーベル賞を受賞したキャリー・マリスもいわゆるPCR検査と呼ばれるような方法に使うのは問題があると述べています。陽性の数を自由に変えることができるからです。実際の話、ニューヨークで、Ct値(繰り返す増幅数)を45から30にしたら陽性数が10分の1になったということが報じられたことがありました。
極めて不確かな陽性者数を感染者数とすることは大きな問題と言えるでしょう。しかし死者数に関してはより確かです。ただ、こんな例もあります。3ヶ月入院していた老人が死亡した。死亡後にPCR検査したら陽性だった。これもコロナによる死者とカウントするように厚生省は厚生省は指示しているそうです。ともかく一番明確のデータと考えられるのは死者数です。この数は世界各国でどうなっているのかをみてみましょう。
このグラフで、日本は下から4番目、日本のコロナによる死者数は100万人当たり82.2人です。10万人では8人です。
日本人の頭髪の本数は平均10万本と言われています。八本が抜けたと言って大騒ぎしますか。
ぼくには、何でみんながそんなに大騒ぎしていのか分からないのです。
確かに死者数は少ない。でも、重傷者のベッド数が足りない。医療崩壊が起きる。そう言って危機感を煽る。次の図を見てください。これは確か先週の「正義のミカタ」に出た図です。
の
ベッドは満杯ではない。ガラガラです。
元凶は医師会だと思います。そのつもりになれば、対策はできたはずです。
公立病院をどんどん減らしてきた政府の方策も間違いでした。
この頃、やたら変異ウィルス変異ウィルスと大騒ぎしていますが、ウィルスはどんどん変異するものです。変異しながら伝播力は強まり、毒性は弱まるのが普通です。
生命体としてのウイルスは自分が生き延びるためには、宿主を殺さずできるだけ広がった方がいいからです。
人類の発生の初めから存在してきたウィルスに対抗する薬、例えば細菌に対する抗生物質のような薬はありません。唯一対抗できるのはぼくたちの免疫・抗体だけです。ワクチンにしたところで、この抗体を作らせるためのものです。
何万と存在するウィルスに対抗するために私たちの体には巧妙な免疫のシステムが作られていて、何段階もの防御を行うだけではなく、そのデータも記憶していて、再度の攻撃にはより効果的な抗体による迎撃を行う様です。
信じるべきは自分の免疫力だと思います。もし免疫力がウィルスに敗れたとしたら、それは致し方なく、寿命だと観念したらいいのではないか、ぼくはそう思っています。
コロナ対策について、納得できないことばかりのですが、その最大のものは、いつになっても2類指定を5類に変えないことです。誰もこれを正面切っての問題にしません。その理由が全くわかりません。安倍前首相は辞める前に2類指定をやめるという方針を出していましたが、菅首相がそれを引き継ぐことはありませんでした。
日本中が世界の状況に目を塞ぎ、全く感情的な判断で騒いでいるように思えます。
その一例があの「さざ波発言」騒ぎです。次の表を見てください。
世界の感染者数のグラフです。一番下の赤線が日本です。これを「さざ波」と表現したことのどこが間違いなのでしょうか。
日本あるいはアシア諸国では、なぜこれほど感染が少ないのかという問題が検討されることなく、諸外国の状況のみが報じられたゆみなく危機が煽られ続けています。これを異常と思わないのはおかしいと思います。
この問題に関して明快な仮説を立てておられるのは、上久保靖彦教授であり、これについてはこのブログで紹介した通りです。もうおひとりは、大阪市立大学名誉教授・井上正康氏です。彼の説明はこのリンクで見れます。
これらの先生方の説明から見えることは、日本におけるコロナ対策は全て的外れで、集団免疫を作ることに逆行する施策・対応を行なっているということです。
今一番話題になっているのはワクチンです。
ワクチンに関しては、支持派と不支持派が真っ二つに割れている様です。両方の意見を聞いてみるといずれも本当に思えます。
話題の中心になっているのは、いずれも遺伝子を使ったもので、これまでになかったものです。これは人体が四六時中休みなく行なっている細胞分裂の仕組みを利用したもので、mRNA型とかRNA型などです。これについては、ぼくも約3・40時間かけて大いに勉強しました。細胞分裂に伴う遺伝子の動きについては、高校の生物の範疇になっていて、ネットに詳しく上がっています。ほぼ理解できたと思っています。
その結果接種してもその安全性に関しては問題ないと思いました。確かに接種によって死亡した人がいるというデータがありますが、問題にならない数です。
問題は、あと数年経ってどうなるかは分からないということです。さらには、元々これぐらい少ない死亡者数でワクチンの必要があるのかというところです。というわけで、ぼくは不支持派に入り、しばらく様子を見ようと考えていました。
これに対して、猛反対をしてきたのが息子や娘たちで、もし罹っても臨終の枕元にも立てないというのは嫌だというのです。これには困りました。考えてみれば、数年後に何が起こるか分からないからと言っても、その数年後まで生きている保証はない年齢なのです。予約申込書の期限はたしか来月の7日なので、今大いに考えあぐねているところです。
初めまして。
新型コロナの大騒ぎにずっと疑問を感じてきた者です。
科学に疎い人間ですが、素人なりに色々考え合わせ、みなさん怖がり過ぎではないかと思っています。
こちらの記事に大いに共感させていただきました。
私の拙いブログで紹介させていただいてもよろしいでしょうか。
ありがとうございます。
コメントしてから考えたのですが、実は私のブログの読者はアンチの方のほうがずっと多いようなのです。
意地の悪いコメントも時々書き込まれます。
引用によりこちらにご迷惑をおかけするのではないかという心配がありますので、慎重にすべきと考えているところです。
こちらからお願いしておきながら申し訳ございません。
こちらのブログはたまたま見つけたのですが、これからも参考にさせていただきますm(_ _)m