世界的なニュースとなった天安門での車両の突入と炎上の事件は、ウイグル族によるテロ事件との発表が、事件発生から2日経ってようやく中国政府に依って行われました。
これが、ウイグル人によるものであることは充分に予想できるものでしたし、最初からぼくはそう思っていました。
1979年のコングール峰登山を最初として、その後何度も新疆省へ出かけているぼくにとって、それは全く納得のゆく出来事といえました。
ただ、この出来事をテロ事件と結論づけるのには、少々の違和感を感じざるを得ないのです。どうしてなのか。それを説明するために、まず先日桜チャンネルの座談会での『討論!』「中国経済犯罪被害の実態」の内容から始めねばならないと思います。
これは、台湾の実業家二人と日本の会社社長の三人が、実体験として中国における経済犯罪の内容を語るというものでした。
二人の台湾人とは、高為邦氏と沈柏勝氏です。
高為邦氏は「台湾投資中国受害者協会」の理事長であり、沈柏勝氏は同じ協会の理事です。高為邦氏は1998年、中国に工場を作りプラスチック製品を
アメリカに輸出していました。
2年目に入ったとき、旧正月の工場が休みの時に
16台のトラックが突如乗り付け、法律を執行するとして、工場の機械がすべて運び出されたといいます。
彼は台湾に帰り、同じ被害を受けた人が多数いることを知り「台湾投資中国受害者協会」という組織を立ち上げてました。
もう一人の沈柏勝氏の場合はもっと大変だったようです。1992年中国の天津で経営していた工場の工場長が勝手に工場を担保にして銀行からお金を借ります。その結果、工場とすべての財産を取り上げられてしまいます。彼はあらゆる手段を講じてお金の取り戻しを計ります。知り合いを通じで胡錦濤にも訴えました。またクリントンにも協力を頼んだそうです。台湾の新聞に広告を出したりもしました。天安門に立って非道を訴えたりもしました。7年間懲りずにこの活動を続けますがすべて無駄でした。
高為邦氏の「台湾投資中国受害者協会」のことを知り、協力して活動することにしました。
九州の廣瀬勝氏の場合も全く同じようなケースでした。1995年のことです。彼の会社の総経理が密かに彼の父親の印鑑を偽造して、韓国の会社の債務保証を行ったのです。その韓国の企業が潰れてはじめてこのことが分かりますが、その総経理は行方をくらましてしまいます。その結果、彼は会社を取り上げられてしまいます。中国では私文書偽造や背任罪は成立しないといいます。法律はあっても全く機能せず、裁判官もあちらの味方で法治国家とはいえないのだそうです。
廣瀬氏は、同じ被害を受けた日本人がゴマンといるのにどうしてみんな口をつぐんでいるのかといぶかしく思うのです。
台湾に行った時、路上で人々に訴える沈柏勝氏をみて、「中国投資を警告する日台共闘の会」を立ち上げました。
そして、今回の二人の台湾人の来日となったのだそうです。
ここでは、「中国の経済犯罪被害の実態」を述べるのが主旨ではないので、その内容については詳しくは述べません。しかし、台湾においてその被害者は、中国の発表では3万件そのうち半分は解決済みとしています。しかし実際は10万件を越えており、解決したものはないと言っていいといいのだそうです。
唯一の例外が沈柏勝氏の場合でした。彼は20年近くも粘り強く訴えを続けました。天安門広場に立って訴えたこともありました。
2009年、その場所での3度目の訴えに彼は天安門に立ちました。そのとき彼は、無視し続ける政府に対して、台湾人の誇りを見せるために切腹したのだと語りました。
台湾人の切腹は日本人と違って縦に切ることを初めて知りました。
その結果、彼のお金が戻ってきたのだといいます。そのとき、人には口外しないことを始めとして、多くの条件の文書に署名を求められたといいます。
天安門はチャイナで最も注目される場所であり、そこで抗議の訴えを行ったり、抗議の自殺を行う人は多いといいます。
だから今回の事件も、台湾人・沈柏勝氏の腹切りと同じく抗議の行動だったのではないか。通行人をはねとばしたことはあってもそれは目的ではなかった。一種の焼身自殺だったとぼくには思えるのです。
では、ウイグル人はなにを訴えたかったのでしょうか。
中国の国土の6分の1を占める「新疆ウイグル自治区」はかつて「東トルキスタン」と呼ばれる國でした。
ウイグル人はおなじイスラム教徒であっても、パキスタン人に比べ穏やかな顔立ちで人懐っこい人たちです。彼らはタクラマカン砂漠周囲にある緑豊かなオアシスに住んでいます。
もう大分前の話しですが、2002年7月中国共産党創立80周年の記念行事に招かれました。コングール峰遠征時にぼくの英語通訳だった王さんが、新疆省の党のお偉方になっていたからです。このとき、外国人として初めてのタクラマカン砂漠を縦断することができました。
ウルムチを出て、ウルムチに帰る10日間は、毎日毎日ウイグル人の町や村に泊まりを重ね、おいしい食事とワインと踊りの毎日でした。
毎日がお祭りで、みんな一緒に踊るのです。ほんとにパキスタン人と同じ回教徒らしくフレンドリーで饗応の精神に溢れていると感じていました。
彼らがひどい状況におかれていることを知ったのは、そのすぐ後のことでした。王さんの会社に勤めるウイグル族のエスケルが我が家にやってきて実態を訴えたのです。
そのとき彼は、『毛沢東』という本を持ってきて、こやつが悪者と激しく罵ったものでした。
ウイグル族はもともと東トルキスタンと呼ばれる地域に住んでいました。色々の抗争はありましたが、清朝の時代に一応支配下に入ります。
とはいえ、清朝の支配といっても名目上そうなっているというぐらいのものに過ぎませんでした。
1949年10月1日、毛沢東は中華人民共和国の成立を宣言しました。人民解放軍はその2週間後、「解放のため」と称してウルムチに進駐。東トルキスタンを、占領したのです。
そして東トルキスタンの指導者を次々と処刑してゆきました。
チベットも同じでした。突如攻め込み寺院を壊し、僧侶を殺しました。
1955年に東トルキスタンは「新疆ウイグル自治区」として中華人民共和国の領土に編入されてしまいます。
漢民族は、最初は屯田兵の如くやってきました。水源地を占領し豊富な地下資源を独占しました。彼らは続々と流入し、ウイグル人の土地を奪っていったのでした。
耕作地も灌漑用水も原潜林もみな漢民族の手中に落ちました。ウイグル人は下流で残りの水しか使えなくなり、漁労や、森林でのクルミの採取なども禁じられたのです。
次に段階では、工業や会社がやってきました。このとき、会社にはウイグル人を65パーセント以上雇用するという約束をしますが、まったく守る気はなく、漢人のみとなりました。
たくさんのウイグル人が無実の罪で逮捕され拷問をうけ行方不明になっていきました。
1964年10月16日、中国は東トルキスタンにおいて初めての核実験を行いました。核実験場となった桜蘭周辺の住民を一切避難させることなく中国は地上核実験を実施したのです。中国はそれから1996年までの間、東トルキスタンで46回の核実験を行ったのでした。ウイグル人は日本人と同じく原爆被爆民族なのです。
これらの実験で、ウイグル人だけではなく解放軍兵士も沢山死んでいます。その数は少なく見積もって、ウイグル人住民19万人。実験に従事した兵士数万人。148万人のウイグル人が被爆による奇形や後遺症に苦しんでいるといわれます。
日本のマスコミがウイグル族などとチャイナの呼称に従っていますが、ウイグル人はウイグル族と呼ばれるのを好みません。
漢族という三国志時代の漢の血脈はほとんど消え失せている漢人は、どう考えてもウイグル人の民族浄化を行っているとしか思えません。ウイグル人女性を10万人単位で移住させ過酷な条件で働かせているのです。そして、漢人との結婚をすすめています。学校では、ウイグル語の授業を禁止しました。
日本にはあまり知られていないようですが、トルキスタンは古い國であり、ウイグル文字があり優れたウイグル文学や詩歌もあるのです。
こんなことを書き出すときりがないので、もう止めます。
ぼくが、ウルムチ、カシュガルなど新疆省にいったのは新しいところで、5年前の2008年になります。そのとき、いつものように「ラフマット」と声を掛けると、かつては笑顔が返ってきたのですが、身体が固くなり顔がこわばるのです。
これはただ事ではないと感じたのをよく覚えています。
それから数日たった頃、ぼくが泊まっていた新築のハイアット・ホテル前の路上で武装警察とウイグル人民衆との激しい争いがあり、多くの死者が出たと聞きました。
こうしたことは、繰り返し行われており、現在ではウイグル人と漢人との対立が激化しているといいます。YouTubeでは、外国人の記者が漢人による人間狩りのような情景を見たと報じています。
ぼくが不思議に思うのですが、同じ回教国なのにウイグル人の女性がデモで激しく抗議しています。これはパキスタンではあまり見られないことなのです。今回の天安門の事件でも、2人の女性が一緒でした。普通一般のテロというかアルカイダのテロなどとは異なると思うのです。IRAのテロとも違います。
しかし、チャイナはこれを抗議行動としては困るのです。そうなったらチャイナ民衆の4分の3が共感を持ってしまいます。テロとすると人権にうるさいアメリカも目をつぶってくれます。どうあってもテロとしたい。それがチャイナの本音でしょう。
デモなどで逮捕されると、もともと人権などは無いに等しい國なので、ひどい拷問をうけるし、嬲り殺しにされて戻ってこれないことが多いのだそうです。Googleで「ウイグル 弾圧」などで検索するとこんな写真が沢山出てきます。
日本軍と戦ったこともないのに戦勝国面をするだけではなく、どさくさにまぎれて火事場泥棒的に東トルキスタンやチベットを奪い取り、勝手に自治区などと欺瞞的な名前を付けいまも侵略的で植民地支配そのものの行動を続けているのがチャイナです。 かつて日本帝国は、周りのアジア人が白人に動物扱いされている状況を打ち破るべく立ち上がって、世界の潮流を変えたはずでした。 ウイグルやチベットの状況をいたずらに座視するのは、日本人として人間として許されべきではないという気がしています。どさくさ紛れに北方領土に侵攻したソ連をなじるなら、同様にチャイナにも、非難の刃を向けるべきではないのでしょうか。
YouTubeには、ウイグル問題やチベット問題に関して色々の情報を見ることが出来ます。チャイナも必死です。もともと国家としての正統性を持たない彼らは、日本の侵略に打ち勝ったなどという言い草にしかそれを見いだせず、したがって日本の侵略を言い募り続けるのだと考えられます。ウイグルの独立などを許したらたちまち瓦解するような不確かな國がチャイナなのです。
彼らの独立への要求を呑むわけには決してゆかないのは分かります。しかし、民族浄化やひどい人権無視は決して許すべきではないと思うのです。