日の丸の旗・日本の国旗

 先頃、サッカー場で、一つの入り口に「Japnese Only」と書いた表示が掲げられたことが問題となりました。FIFAの日本事務局が陳謝し、次の試合は無観客試合とする決定を下したようです。これは結構な厳罰と思います。なぜなら一試合の入場料がどれくらいになるかを考えれば、容易に分かることです。

日章旗

日章旗

 日本と韓国の間には、普通の日韓関係よりもっと特化した因縁めいた対立があります。サッカー競技場では特にこうした反日感情が顕在化するようなパフォーマンスが多かったといえます。だいたい韓国側から仕掛けられることが多かったようです。
 安重根の垂れ幕を掲げた韓国のサポーターには、それなりの厳しい処置を要求すべきだったし、FIFAにも厳重注意の申し入れをすべきだったと思います。例によって、まあ直ぐに引っ込めたからいいではないか、という考えだったと思われます。あの戦後教育の優等生ともいえる古市くんは、現場にいたそうです。
 プライムニュースで「でも、すぐに引っ込めましたよ」と弁護したものですから、「あんな大きなものが、すぐに引っ込められますか」と八木キャスターに突っ込まれていました。

軍艦旗

軍艦旗

 日本の国旗には二種類あって、一つは「白地に赤丸」の日章旗、もう一つは旭日旗です。旭日旗には二つあって、日の丸が少し左にづれているのが軍艦旗、真ん中なのが陸軍旗であることを最近知りました。陸軍旗は西南戦争の時に使われたといいます。  「裸の大将」の映画の中で、山下清さんが旅先の銭湯につかりながら、こんなことをいいます。「に、日本のこ、国旗は白地に赤くて、さ、さっぱりと勇ましくていいと、み、みんないうけれど、アメリカの国旗は、色々な色があるし、ぼ、ぼくはあっちの方が、す、すきだな、やっぱり」
陸軍旗

陸軍旗

 周りのおっちゃんたちは、なにせ鬼畜米英が唱えられる時代でしたから、少なからず慌てた顔をするというシーンを覚えています。
 国旗というのは、そんな色彩的な好みとかデザインの好き嫌いで語るものではないし、それが歴史的にどんな役割を果たしたかなどという観点で論ずべきものでもないんですな、やっぱり。
 どの國の国民であれ、その国の国民であれば、その国の国旗そして国歌に敬意を払うのは世界の常識なのです。

 民主党の党旗は、ご存知の通り、日の丸の旗の真ん中の丸を上下に少しずらして二つにした形をしています。あるとき民主党の地方大会が開かれた時のこと。この党旗がなかったのだそうです。困った幹部は二枚の日の丸・国旗を引き裂いてつなぎ、党旗を作ったといいます。
 この話を聞いた時、ぼくはこの党の衰退を確信しました。そんなことが平気で出来る党員がいる党が繁栄できるわけがない。そう思ったのです。最近の話ですが、サッカーチーム応援の寄せ書きがあって、文字が日の丸の真ん中にまで貫いているのがあったのだそうです。
 これも国旗に対する敬意と認識を欠いた行為ではないか。国旗に対する正しい教育を受けなかった結果ともいえるし、民主党の話と同じではないかとも思ったのです。

 サッカー試合の話だと思うのですが、旭日旗に文句をつける人がいるという話です。なんでそれがいかんのか、まったく分からない。戦争に使われたから? 侵略戦争に使われたから? そんな言い草は無視すればいいと思います。誰も侵略戦争などはしていません。戦争をした旗が使えないならほとんどの先進国の國旗は使えないことになります。旭日旗はまぎれもなく日本の国旗です。
 スポーツの試合は、まぎれもなく戦いです。戦いの時に戦いの旗を使うのは至極当然と思えるのです。
 文句を言われて穏便に済ました方がいいと、あやまり引き下がり、そうしたことを続けて、事態は好転したのか。ここのところをしっかり考える必要がある。そう思うのです。

 すでに言ったように、ぼくたちの世代は正しい歴史教育を受けずに育ちました。ぼく自身も、戦後教育を受けたのですから、正しい教育を受けたとはいえません。幼い頃の記憶で、祝日には家々の門には日章旗が掲げられている光景を覚えてはいましたが、国旗掲揚の儀式は低学年の頃だけです。それは戦後の教育で消し去られたようです。
 国旗を認識したのは二十歳代の後半に山登りでパキスタンに出かけた時でした。大使館にひるがえる日の丸に新鮮な感動を覚えたのを記憶しています。
 ぼくの父親は、明治生まれの教師でしたが、敗戦後180度変わった新生日本の教員となる為、猛勉強を強いられたようです。父の定年後、郷里に帰るといつも「日本の国が今のようになったのはアメリカの所為だ。アメリカが日本を駄目にしようとしている」といつもぼくにいいました。でも、ぼくはそんなことはないはずだと思っていました。
 ぼくが訪れた郷里からの帰りの道で、遥か下方から家が望める場所に来て、車の窓から見上げると、どこから取り出したのか、門に立って大きな日の丸の旗を力一杯振って見送っている父が見えました。
 あの時、ぼくの父はどんな思いだったのだろうと、この頃時々考えたりするのです。

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