百名山に登る意味って何です?(1997.1.1)

なんで山登らへんの 第21回 1997.1.1
体験的やまイズムのすすめ

 高校生の頃、定期試験の前になったりすると、決まったように無性に本が読みたくなったりしました。
 かっては全然面白くなかったので、途中でほっぽりだしたものであっても、不思議なことにこれがやたら面白くて、止められなくなる。
 困ったぼくは、試験期間中は、押入の上段に机と試験科目の教科書と参考書だけを持ち込んだものでした。
 不思議なことに、この連載原稿の締め切り間際になるといつも決まったようにぼくのマックが不調となるのです。
 今回などは強烈で、家のⅡfxとオフィスの7500が相次いでおかしくなりました。
 Ⅱfxはもう10年以上も経ったマシンです。値段は当時なんと100万円以上もしました。もともとはマックⅡで、後に新型のⅡfxが出たときに、ボードを差し替えてⅡfxにアップグレードしたのです。
 その頃、マックといえば、いわゆるディスプレー・本体一体型でした。
 はじめて本体と分離された型のマックⅡの専用のディスプレーはまだ輸入されていませんでした。通の人はもっぱらソニーのディスプレーを使っていました。
 もっともアップルのディスプレーはソニーのOEMでしたから、それでなんの差し支えもなかったのですが……。でもぼくは純正のディスプレーが欲しかった。大阪の支店長に掛け合っても、あまりらちがあきません。
 東京のパーティーで行き会ったアップルの社長に頼むと、あっさりと引き受けてくれました。(注:この人現在のマクドの社長さんです)
 ついでにいうと、今ではごく普通の3・5インチのディスケットは、そのころはマックでしか使われていませんでした。マックを作ったスティーブ・ジョプスが日本に来て、当時ソニーでまだ試作段階だった、この恐ろしく小型の記憶媒体の採用を決めたという話です。
 当時、ぼくはまだほとんど実務の実用とならないマックを「極めて教育的マシン」として、みんなに推薦していました。だから現在ぼくの周りの人間は、ほとんどがウィンドウズもマックも使えます。ぼく自身は、五年ほど前から、ほとんどマックになってしまいました。
 大学の夏期集中セッションの時と、ウィンドウズソフトの開発の時以外、ウィンドウズはほとんど使いません。
 独断と偏見の大家を自認するぼくとしては、マイノリティであることのほうが、どうしようもなく気色がいいのです。
 Ⅱfx不調の原因はどうやら内蔵のニッカド電池の消耗のようでした。
 ほとんど同時に二台のマシンの機嫌を損じてしまったぼくは、そんなこと出来るわけもないはずなのに、「まあやりながらでも構想は練れるやろ」とハードディスクのフォーマットからやり直して、マック二台のシステム・インストールを始めたわけです。
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<パソコンおりおり草>のデジタル化

 先頃、スティーブ・ジョブスが亡くなって、マックのことをことを書きました。
 でも、本当に書きたかったのは、ぼくとマックとの長い関わりのこと。そして、そのもっと前のNECのPC-9801のことでした。
 とりあえず、イントロのつもりで「Macを創った人たち」を書きました。
 それで、98やらマックのことを思い返していたら、かつて『Oh! PC』というコンピュータ雑誌に<パソコンおりおり草>と題するエッセイを連載していたことを思い出しました。調べると、それは1991年~1992年のことで、まさにひと昔、いやふた昔まえのことだった。
 これを[高田直樹ウェブサイトへようこそ]に載せておいたら、好きな箇所を取り込めるし、リンクも張れるではないか。そんなことで始めた<パソコンおりおり草>のデジタル化だったのですが、この28回の連載もようやく終了しました。
 
 昔に比べれば、スキャナーもOCRソフトもえらく進歩していて、デジタル化は比較的簡単でした。しかし活字の組み方が、他の普通の雑誌と違って、縦書きではなく横書きの3列組みになっていました。
 大変に改行が多い。この改行を取らないといけないことになります。ひとつの文章に10個も20個もの改行があるわけで、うまい具合に改行コードを取ってくれるエディターはないものかと探しました。
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