プチ断食を行う

つい先頃、プチ断食なるものを行った。
丸一日半くらい水以外を口にしませんでした。
少し前から、知り合いの美容外科の女医さんKちゃんが、しきりに断食を薦めたからである。
回教圏では年1回の重要な行事として断食月(ラマザン)の断食がある。回教圏では月を基準にした太陰暦を基準としているので、新月から新月までの一ヶ月が断食月となる。

この約30日間、ムスリム(回教徒)は、日の出ている間一切のものを口にしてはいけない。日の上る前に朝食を済まし、夕方日没とともに断食明けの食事(イフタリ)を食べる。
ラマザン月に回教圏の都市にあなたがいたとする。夕方、あなたは不思議な体験をするはずだ。夕闇がちがづいて日が没するとともに、独特の喧噪に溢れていた街全体が、突如水を打ったような静寂に包まれるのだ。全ての人々が一斉に食事を始めるからである。
例えば、商店などでは、店にいる全員が床に敷いたシートの上で車座で食事を始める。一番最初に食べるのは、棗(なつめ)などのドライフルーツと決まっている。

ぼくもかつて、ラマザンに断食をしたことがある。あれは、1985年のラトックII峰遠征の帰りで、スカルドという山の町まで下って来たときだった。
ぼくが、「ロザ、ラクナーフン(断食するぞ)」と告げると、登山隊のコックは、大いに慌てて朝食のメニューを問いただした。
断食に入る前の朝食は重要で、そのメニューは自分で決めないといけない。

夜明けが来ると、まだ外は真っ暗なのに、コックは「ウタオ、ウタオ、バラサーブ(起きて、起きて、隊長)。もうすぐ日が昇る」と起こしに来ると洗顔を急かせた。
そんなに空腹を覚えた訳ではなかったが、午後の3時ごろになると猛烈な眠気が襲って来たことを覚えている。

日が沈むと、イフタリ(断食明けの食事)を頂く。日が沈んでいる間は存分に食べていい訳で、ラマザンの間は夜半を過ぎても町の灯は明々として、人々は食事をしており、普通のときよりなお食に熱中しているようだ。
こういう日々が過ぎ、一ヶ月が経つといよいよラマザンの終わりである。この終わりは、極めて細い三日月によって知ることができる。回教国の国旗に三日月があるのには、こうした理由がある。また地に緑色が多いのは、回教は砂漠の宗教であり、砂漠ではグリーンが憧れの色だからではないだろうか。

「三日月を確認しました」という放送が流れると、人々は一斉に戸外に走り出て、抱き合って断食明けを祝う訳である。
雨だったらどうやって月を確認するの?と心配になったが、その時は飛行機を飛ばして確認するそうである。世界中の回教徒は、このように一斉に断食に入り、一斉に断食明けを喜び合う。これによって、他の宗教にはない臍帯感を持つことになるし、連帯結束が強い理由なのだろうと思える。

日本の首相官邸では、ラマザン明けの夕に、回教国の在外公館員を招待してイフタリパーティをするのが、例年行事のようで、今年も8月29日に菅首相がこのパーティーを行った。なかなかいいことだと思う。

話がおおいに脱線してしまったようだ。それで、プチ断食であるが、これは1日の断食で、全断食というのは3日なのだそうである。
ぼくのプチ断食は、30時間ほどの絶食だった。その間水以外はいっさい口にせず、葉巻も手にしなかった。
遠い昔を思い出したりしたが、別に辛くもなかった。たぶん水を飲んでいたからだろう。

終わってみたら、不思議なことに気付いた。おやつを食べたいと思わなくなったのだ。
Kちゃんドクターが、江部康二さんという医師の書いた本を貸してくれた。これは断食のすすめではないが、炭水化物の断食いわば脱炭水化物食の勧めである。
『我ら糖尿人、元気なのには理由がある』という書名らしくないタイトルの本の主張するところは、糖尿病の元凶は炭水化物である。カロリー制限という食事療法は間違っているというもののようだ。

炭水化物などの糖質は、その処理に大量のインシュリンを要し、疲れ果てた臓器はインシュリンの分泌に支障を来すようになるという訳だ。
考えてみれば、人類は農耕を始めるまでは、そんなに穀類を取っていなかっただろう。
また、そんなに大量の採集物がえられたとは思えず、空腹を抱えていたと思われる。狩りの獲物がいつも手に入った訳ではないし、罠にかかる獲物も少なく、常に飢餓に瀕していたと思われる。獲物が手に入ると次の機会までのために腹一杯食べた。いわば冬眠前の熊みたいに。

現代人は、冬眠前の熊状況に常に身を置いているためにメタボになっていると思われる。だから、獲物が手に入らない状況を想定して、断食を行うのは実に理にかなっているのではないか。農耕以前の想定で炭水化物を絶つのも理解できる。その頃からDNAの記述は何ら変化ないと思われるのだから。
そんなことを考え、まるで石器時代人になったつもりで、絶食を行い、ご飯、いも、カボチャなどを口せず、肉、魚、野菜を食べる毎日を過ごしている訳である。