東京電力の「ございます」

3.11以後、何度も行われた東京電力の会見で、バカ丁寧というか、ちょっと普通は使わない言い回しとして、「〇〇〇〇ございます」というフレーズが多用され、大変気になっていました。
それで、これについてこの『葉巻のけむり』に書こうと思って、実例を引くべくYouTubeを検索してみたのです。多くの会見の映像があったのですが、そうした「〇〇〇〇ございます」というフレーズを見いだすことができませんでした。どうしてかと考えて気づいたのですが、この言い方は技術関係の人はしないということなのではないかということだったんです。

そんなことで少々困っていた時、全国の電力会社の株主総会が同じ日に一斉に開かれたという報道がありました。これは、反対派を分散させようという作戦だったようです。
東京電力の株主総会では、猪瀬東京都副知事が質問にたって、東京電力病院がどうして資産整理のリストにないのかを追求しました。TVが報じるその東京電力病院の内容は聞いて本当にびっくりするようなものでした。

この病院は、天皇陛下などもご利用になられる慶応病院の横にあるそうなのですが、どの病院にも見られるビル壁面に病院名の表示がない不思議な1700坪の大きな病院です。1951年に”職域病院”として開設されたそうです。東京電力の福祉厚生費によって運営される社員のための病院で、社員とその家族とOBのみが利用可能で一般患者は対象外で診てもらえません。
診療代は給料天引きでOBには、後で請求書が郵送されるということになっている。
ベッド113床のうち、稼働率は20%。運営の費用は福利厚生費から出ており、それは電力料金に上乗せされている。

こうしたことは、TVの「アンカー」をみて初めて知りました。猪瀬副知事は、この資産価値122億円の病院がなぜ資産整理の売却リストにないのかを、株主総会に先立って尋ねたところ、福島の救援に必要だからという答えだったそうですが、調査したら医師をたった一人送っているだけだった。これは虚偽の回答ではないか。反省が全くかけているのではないかと副知事は追求したのです。
もともと東京電力には、何の反省もないし、また政府には福島を助ける気もないことがはっきりしてきていると、ぼくは考えています。

さて話が表題から逸れているようですが、次の株主総会の報道は関西電力のものでした。ここでは橋本市長が質問しました。ここで、ぼくはあの、探しあぐねていた「ございます」を聞くことができたのです。
橋本市長の「30年先には、日本のエネルギー政策も変わるし、政府の方針も変わるだろう」からはじまる原発の将来について質問しました。ここでの回答は次のようなものだった。しゃべりのままを文章化すると次のようになります。

「11基の原子力発電所が全部止まれば9000億円という膨大な燃料費および代替コストが発生すると考えてございます。従いまして今後合理化等も考えてございますがやはり相当の原子力が再稼働しなければ持続的継続的な経営は難しいという風におまっております。」

実例を探していたぼくとしては、やったぁ、あったぞという感じだったのです。
さあ、ぼく流に分析してみましょう。最初の部分を例に引きます。
「〜代替コストが発生いたします」というのが、もっとも直裁的な言い方といえるでしょう。これを責任回避的に言うと「〜代替コストが発生すると考えます」あるいは「〜代替コストが発生すると考えております」となります。これでもって、もし違っても私の責任ではないというニュアンスになるようです。
さらに問題の「〜代替コストが発生すると考えてございます」です。この「ございます」には、相手との距離を置き、さらにはあなたたちと私は違うのよ、わたしは特別の人あるいは特別な階層の一人なのですという感覚が込められてくる。
ぼくには、どうもそのように聞こえてしまうのです。

人によっては、そんなんあんたの勝手な解釈やんか、と思う人もいらっしゃるかもしれません。それはその通り、これはぼくの勝手な解釈にすぎない。
でも最後の部分、「おまっております」は、大変興味ある言い間違いだと思ったのです。「思っております」を「おまっております」と言い間違えた。
みなさんは、「言い間違いの心理学」というのをご存知でしょうか。これはたしか、深層心理を唱えたフロイドがその精神分析学において述べていることです。
彼は、こんな実例をあげています。ある会議の司会者が「これから開会します」というつもりで「これから閉会します」といってしまった。彼はその会議を早く終わらせたいと思っていたからだというのです。
「言い間違い」には、かならず深層心理的に理由がある。

ぼく自身これまでになんども、興味ある言い間違いを聞いたことがあるのですが、一番よく覚えている体験をあげてみましょう。
富山県・剱岳の麓にある文部省登山研修所のインストラクターをやっていた頃のことです。やはりインストラクターで五百沢智也という大変優秀な地理学者がおられました。彼は国土地理院に勤めていたのですが、登山隊に参加するため37歳で勤めを退職します。やはりインストラクターで、東京の大学の教授で、大して山登りの実力もないのに威張っている官僚然とした男がいました。
彼が五百沢氏が、退職して氷河研究に向かうということを、ある会場で報告したときのことです。彼はこういったのです。
「五百沢さんは、国土地理院をおやめになって、山登りに専念されるという大変奇妙な、いや奇特な方です」
彼には、奇妙な理解できない行動としか思えなかったから、奇特と言おうとして奇妙と言ってしまった訳です。

さて本題に戻りましょう。「思っております」と言おうとして「おまっております」といったのはなぜなのか。かなり飛躍的に解釈すれば、「もわされてしまっております」ではないでしょうか。これではやはり少々強引付会に過ぎるかな、とも思うのですが、いずれにしろ、そう思っていない、嘘をいってると言えるのではないでしょうか。
皆さんはどう解釈されますか。
この文章を読まれたあなたは、これからきっと「ございます」が気になるようになると思いますよ。