ようやく気づいたのか政治家さんたち

新聞配達のバイクの音がした。今朝の京都新聞の朝刊を取りに出る。
ずっと取っていた朝日をやめてからもう10年以上になろうか。ベルリンの壁崩壊以後、急に朝日の記事が呆けてることに気がついた。腹立たしいこともあったりして、京都新聞に変えた。
さて、新聞の3面に「尖閣は領土」積極主張。日本方針転換、中国の非難に対抗、という見出しで尖閣の記事がある。
積極主張って、少々遅いんではないですか。
先日は、野中広務というご老人が、中国のテレビに出て「まことに申し訳ない。このごろの若い人は歴史を知らない」と驚きの謝罪をしたかと思ったら、次には大江健三郎というノーベル賞作家が反日の同士を募り、さらには村上春樹氏が朝日に反日のエッセーを載せた。
こうした人々が、堂々と発言できるところが、日本が平和な民主主義国家である証ともいえるのだろう。
こんな人たちは、自分のことを決して反日とは思ってはおらず、自分は知識人として穏やかな中庸論を唱えていると思っている。そして、島は分け合えばいいではないかという。
商取引やビジネスの世界では、そうしたウィン・ウィンの関係が成り立つかもしれないが、こと領土に関しては、取るか取られるかの二つしかない。
そうした感覚は、土地に根ざした日本の農民たちが大昔から知っていたことではないだろうか。
ところが、田舎を捨て、都会のビルのマンションに住む人々には、その感覚はとっくに失われてしまっているのだろう。

中国も韓国も日本の歴史認識を指弾し攻撃の口実としている。しかしそれは、中国や韓国の認識であり、日本には日本の歴史認識があってしかるべきである。この問題も領土問題に似て、ひとつを取り合うことになっている。
これは、歴史認識で争うことは止め、歴史観で立ち向かう必要があると思われる。2千年を越す皇室をいただく世界唯一の国の歴史観は、最強であると思われるからである。

敗戦後ずっと今まで、日本人は相手の歴史認識をそのまま押し頂いてすごしてきた。「ごめんなさい」と言っとくのが最良。それは、世界を知らない日本人の自己満足であったし、金さえ儲かれば何とでも言ってあげるよ、という守銭奴としての拝金主義であったし、もっと鷹揚に金持ち喧嘩せずだったこともあったと思われる。

この姿勢は、一貫して変わらず、ただひたすらに謝り続けてきたのである。
それは列記すると凄まじい限りである。
個々の発言内容は、Wikipediaの日本の戦争謝罪発言一覧に載っている。
1970年代
・1972年9月29日 – 田中角栄総理大臣。
1980年代
・1982年8月24日 – 鈴木善幸首相。
・1982年8月26日 – 宮澤喜一内閣官房長官。
・1984年9月6日 – 昭和天皇。
・1984年9月7日 – 中曽根康弘首相。
1990年代
・1990年4月18日 – 中山太郎外務大臣。
・1990年5月24日 – 今上天皇。
・1990年5月25日 – 海部俊樹首相。
・1992年1月16日 – 宮澤喜一首相。
・1992年1月17日 – 宮澤喜一首相。
・1992年7月6日 – 加藤紘一内閣官房長官。
・1993年8月4日 – 河野洋平内閣官房長官。
・1993年8月23日 – 細川護煕首相。
・1993年9月24日 – 細川護煕首相。
・1994年8月31日 – 村山富市首相。
・1995年6月9日 – 衆議院決議。
・1995年7月 – 村山富市首相。
・1995年8月15日 – 村山富市首相。
・1996年6月23日 – 橋本龍太郎首相。
・1996年10月8日 – 今上天皇。
・1997年8月28日 – 橋本龍太郎首相。
・1997年9月6日 – 橋本龍太郎首相。
・1998年7月15日 – 橋本龍太郎首相。
・1998年10月8日 – 小渕恵三首相。
・1998年11月26日 – 小渕恵三首相。
2000年代
・2000年8月17日 – 山崎隆一郎外務報道官。
・2000年8月30日 – 河野洋平外務大臣。
・2001年4月3日 – 福田康夫内閣官房長官。
・2001年9月8日 – 田中眞紀子外務大臣。
・2001年10月15日 – 小泉純一郎首相。
・2001年 – 小泉純一郎首相。
・2002年9月17日 – 小泉純一郎首相。
・2003年8月15日 – 小泉純一郎首相。
・2005年4月22日 – 小泉純一郎首相。
・2005年8月15日 – 小泉純一郎首相。
2010年代
・2010年8月10日 – 菅直人首相。
これはまったく凄いというほかないという気がしてくる。
この流れの中で内閣官房長官であった、少々お年を食った老人が、世界の流れを読めないまま、謝罪発言をしてしまったとしても仕方ないとも思えてくる。

それにしても、なんでこれほどまで謝る必要があったのか。すべての発言にあるのが、侵略戦争と植民地支配という言葉である。日本が戦争に突入した時代、あの時代、侵略戦争と植民地支配はそんなに悪いことだったのか。
またそれは、いわゆる欧米の国々が行っていた植民地支配と同列に置くことができるものなのか。
この辺から歴史を見直す必要があるとぼくには思える。東京裁判も然り。その中で作られた南京虐殺というでたらめな史実。その架空ともいえる数の多さを、広島長崎の死者の数との類似性をあげる人もいるようだ。
ここまでの戦後の保守の領袖とされる人たちに率いられた謝罪外交の誤りに、民主党がようやく否応なしに気づかされたということなのであろう。
そして、石原都知事を含めて、戦後保守といわれる人々は、身内に潜むどうしようもない弱さを自覚する必要があると思われる。