「カイロ宣言」について

鳩山さんが香港のテレビの取材で、尖閣列島についてとんでもない発言をして、それがニュースとなっているようです。「中国側から日本が盗んだと思われても仕方がない」というもので、元首相ともあろうものがという驚きを普通の人なら持って当然だと思われます。
この発言について記者から質問されて、鳩山さんは「ボツダム宣言に書いてあるでしょ」といい、さらに官房長官の発言については「もっと勉強してくださいということです」と捨て台詞みたいな言葉を吐きました。
おっととう。この台詞聞いたことがあります。
大分前、「朝生」で孫崎元外務官僚が、「カイロ宣言があるんです」と上から目線の賢しら口でいい、「もっと勉強してください」といいました。

普通の人は「ボツダム宣言」を読んだこともないし、その詳しい内容なぞは知らなくて当然です。「勉強してください」といわれれば、知らない自分が悪いと思ってしまうでしょうし、この人はよく調べた上でいっていると思ってしまいます。
元外務官僚が、「カイロ宣言」に書いてあるというと、さすが外務官僚だった人だけあって詳しいなと感心するかもしれません。
あの時、ぼくは感心はしなかったけれど、正直言って「カイロ宣言」なるものを知りませんでした。
それで、すぐに調べてみたのです。そしたら、これって、けっこうインチキ臭い文書であることが分かりました。第一署名がない。第二日付が書いてない。ルーズベルトとチャーチルと蒋介石の3者がルーズベルトの思いつきで急遽カイロで会談し、カイロ宣言が出されたということになっています。だいたい宣言などという代物ではなく、せいぜいプレスリリース程度の代物なのです。このことは周知の事実なのですが、孫崎さんはいかにも立派な文書のごとくいうし、台湾の陳水扁氏が価値なしと言っていることなど問題にしません。

ボツダム宣言にしても、それが降伏文書であることはほとんど人が知っている。そして、それは「無条件降伏」とされています。ぼくのiPhoneに入っている『大辞林』の「太平洋戦争」の項には、ポツダム宣言を受諾して無条件降伏したと書いてある。
しかし、その条文をつぶさに読めば、無条件降伏などではなかったことは中学生でも分かります。以下の「条件」を速やかに受諾し実行しなさいと書いてあるのですから。しかし、テレビなどで「降伏」とだけいう人はほとんどいなくて、テレビの論説委員などという人は、なんの疑いもなく「無条件降伏」といっています。
そういう環境の中で、「ボツダム宣言」に書いてあるとといわれれば、「そうなんや。戦争に負けたんやからしゃあないなあ」と思う人も沢山いるような気がします。
しかし考えてみてください。「カイロ宣言」にしろ「ポツダム宣言」にしろ、それは戦時下のものでした。
戦争相手であった連合国と講和して始めて戦争が終わった訳です。それが「サンフランシスコ講和条約」で、ここに定められたことが国際法上で有効なのです。それがすべてで、それ以前のものはまったく関係がないと言ってもいいでしょう。
鳩山さんや孫崎さんは、そんなことも知らない無知でバカな人とはどうしても思えない。とすれば、意図的に騙しの言辞を弄していることになります。これは人々を惑わすことになり、極めて犯罪的だといえるでしょう。

それにしても、孫崎氏が大好きな「カイロ宣言」とは、一体どんなものだったのでしょう。
カイロ宣言は1943年11月22日のカイロ会談で出されたとされています。ではこのあまりハッキリしない会談はどうして行われたのでしょうか。
欧米の白人たちの植民地支配に批判的で悲憤さえ感じていた日本は、アジアの共存共栄での発展を願って「大東亜共栄圏」構想を唱えました。そして、チャーチルやルーズベルトにとって、これは許しがたく看過できないことだったので、日本を戦争へと追い込んで行きました。
そして「大東亜戦争」が起こりました。それは、教えられたような馬鹿げた戦争でもなく、アジアの弱小国が強大な大国にやみくもに歯向かった無謀な戦争と切り捨てるようなものではありませんでした。勉強してみて、よく分かりました。
そしてこの「大東亜戦争」が負け戦になりかかってきた頃の1943年11月5日、日本国会議事堂にアジアの政治指導者が集まりました。これはアジアの政治指導者による始めてのサミットといえるでしょう。
大東亜会議列席者出席者は、日本の東条英機を始めとする7名でした。列記すると次のようになります。

中国から汪兆銘国民政府行政院長
タイからワンワイダヤコーン殿下(首相代理)
満州国から張景恵首相
フィリピンからホセ・ピー・ラウレル大統領
ビルマからバー・モウ首相
インドからチャンドラ・ボース自由インド仮政府首班

彼らは翌日の5日、「大東亜共同宣言」を採択したのです。
その内容は、アジアの発展のための共同努力、人種差別の撤廃、各民族文化の発展を唱ったもので、5ヶ条にまとめられていました。
最終の項目は次のようなものでした。
第5項
大東亜各国は萬邦と交誼を篤うし人種差別を撤廃し広く文化を交流し進んで資源を解放し以て世界の進運に貢献す。
この当時人種差別の撤廃を宣言したような国も会議もなく、これは画期的なことだったと思われます。
動画「大東亜会議」

この「大東亜共同宣言」に敏感に反応したのが、ルーズベルトでした。
彼は、チャーチル、スターリンとテヘランで会談する予定だったのですが、テヘランへの途中のカイロに急遽チャーチルと蒋介石を呼び寄せたのです。
中国の汪兆銘が「大東亜会議」へ参加したのを問題視し、それまでは毛沢東の八路軍攻略の為の援助要請を繰り返していても鼻であしらっていた蒋介石を援助を餌に呼び寄せ、日本との仲を裂こうとしました。カイロ宣言の中には日本との停戦を禁ずるとの項があります。人種差別の撤廃などを見て頭に血が上っていたルースベルトや植民地解放を進めることに対するチャーチルの憤りが、この宣言に埋め込まれたと思われます。
そこには無条件降伏まで戦争を遂行するなどの項もあり、蒋介石はたじろいで署名しなかったとの憶測もあるくらいなのです。
いづれにしろ、チャーチル・ルーズベルトは翌日早朝テヘランに発ちました。文書は誰も署名しないままだったのです。しかし、「ポツダム宣言」の第8項には、カイロ宣言の条項は履行されるべきとの文言が入りました。どうしてそうなったのか、よく分かりません。

いずれにしろ、こうした文書は、今やなんの意味もありません。国際法で有効なのは「サンフランシスコ講和条約」だけです。だから、「カイロ宣言」等を取り上げたりする人に対しては、「そうとうなバカね」という顔をして、鼻であしらったらいいのです。