「父の日」雑記

日曜の夜、一緒に会食しようと息子一家からの誘いを受けた、近くのイタリアンだと家内がいう。
珍しく日曜日に家にいると聞いたからなのだろうかと思った。
子供たちが集まって我が家で会食をすることは時々あっても、外でというのはあまりないことである。
家内に理由を尋ねると、聞かなかったけど「父の日」やからなんと違う、という。
「父の日」は、元はなんだったんだろう。
紀元節が天皇誕生日になり、新嘗祭が勤労感謝の日などと、伝統的な名前は敗戦後言い換えられた。大東亜戦争は、GHQによってアメリカ側の呼称である太平洋戦争と変えられた。日本にとって戦場は決して太平洋でなかった。だから、サンフランシスコ講和条約で独立を回復した時、すべては元に戻すなり、問題があれば言い換えるべきだった。
ずっとずっと昔、まだ二十歳代の頃、カラチの大使館の人たちは、「天皇誕生日」とはいわず「紀元節」と呼んでいた。その時、中東から帰国途中の日綿の商社マンが、ガーデンパーティの芝生の上で「大東亜共栄圏」とか「大東亜戦争」という言葉を話したのが、新鮮に響いたのを記憶している。
最近になって、こうした呼称が大いに気になっているところだった。そういう訳で、「父の日」の元はなんだったんだろうと思った訳だ。
家を出る前に大急ぎで調べたら、これはどうやらアメリカ伝来で、1950年に制定されたということが分かった。

家の近くとはいっても、歩いて行くには少々遠いので、車で行くことにした。家内が100円パーキングを探すというので、ぼくはTSUTAYAの駐車場に置いといたらいいと言った。お金は掛からない。
行ってみると、すぐそばにコンビニがあった。ここに置いたらいいと思った。でも家内は、そんな必要ないというぼくの言葉を振り切って、お茶でも買わんと申し訳ないと入り口に向かった。
cigarbox一人先行してそのイタリア・レストランへ向かうと、自転車でやってきた息子と嫁と孫の三人とちょうど入り口で落ち合うことができた。
席に着くと、すぐに嫁がプレゼントを渡してくれた。やっぱりそうか、「父の日」だったのだと思った。
そういえば、去年もたしか「父の日」ということでプレゼントが届き、それはシガーだったのを思い出した。
いつもそうなのだが、けっこう通好みの銘柄のものばかりなので、尋ねたらお店のシガー・ソムリエみたいな人に相談して選んでもらっているということだった。

チリワインワインリストのシートがある。あるのは、みんなイタリア・ワインだったが、ひとつチリ産のカベルネ・ソービニヨンがあったのでそれにした。チリとはFTAを結んでいるから輸入税がかかっておらず、その分はコストパフォーマンスが高いことになると思ったからだ。それは別にしても、チリ・ワインとかイタリアのシチリア・ワインには当たり外れがないいうのがぼくの持論である。




antipastofirstsecondo

desertコースは、アンティパスト、ファースト、セコンド、デザートで、ファーストとセコンドには、それぞれに3・2種類のセレクトがあった。ぼくは、蟹味噌のパスタとフィレステーキを選んだ。脱糖質食の禁を破って食べたパスタは美味しかった。
フィレステーキは、アメリカンかオーストラリア肉と思われたが、いい味のものを選んでいると思った。みんな、水準以上の味で、まだ新しいお店はシンプルな作りで、好感が持てるお店といえた。イタリアの田舎町などにはこうしたお店があり、近隣の人たちに愛されている。アメリカ伝来のファースト・フード的なものと違い、こうしたヨーロッパ風のお店が増えてくるのは喜ばしいと思えた。
それにしても、このイタリアン・レストラン、名前もピッコロ・バンビーノとイタリアそのもので、きっちりイタリア料理の原則に則ってるとはいえ、その量・盛りつけなどはまぎれもなく日本というか京料理だった。
食事をしながら、ぼくはこんなことを話した。
「父の日」というのは、アメリカ伝来で、アメリカのどこかのおばちゃんが言い出して始まったらしい。
日本では敗戦の5年後の1950年に制定されたらしい。日本には家父長制が根付いていたからそんなもんはなかったんかなあ。「父の日」って、いまでは「父権回復の日」かもしれん。
すると家内が、「昔はお父さんのお膳だけは一皿多かったんよ」といった。

cigar食事が済んで、待望のシガーの凾をオープンする。まず目に飛び込んだのは、トリニダッド。凄い。コヒーバより高価だが、値段だけの味とは思えないコヒーバとは違う。次に、ボリバーの太巻き。少し細身のラファエル・ゴンザレス。だいたいぼくは、銘柄の名前を覚えるのが苦手なので、すったシガーの名前を覚えていないことが多いのだが、このラファエル・ゴンザレスは始めてと思えた。
早速こやつを試すことにした。なかなかマイルドでドローも申し分なかった。

家に帰り着いて、早速もう一度、「父の日」を調べた。出かける間際だったから充分ではなく、気になっていたのだ。
父の日は、すでに書いたようにアメリカ伝来のようだ。だからアメリカと同じく6月の第3日曜日で、この日としている国は多い。台湾は中国語の父親が発音でパパであるので、8月8日だという。
ロシアでは2月23日なのだが、もともとはドイツ戦に勝利したこの日を「赤軍の日」としていたのが、「ソヴィエト陸海軍の日」となり、さらに「祖国防衛の日」だったのがソ連崩壊後に「父の日」となったという。
アメリカ・ワシントン州のスポケーンというところのソノラ・スマート・ドッドという女性が、男手一つで育ててくれた父親の礼拝を父の誕生月の6月に教会に頼んだのがきっかけだったという。翌年の1910年から始まったのだが、全国に認知されるようになったのは、1916年にアメリカ26代大統領のウッドロー・ウィルソンがこの地にやってきて演説したことに始まるらしい。
wilsonウッドロー・ウィルソンが出てきたので驚いた。
ウィルソンは通説では、「勝利なき平和」「十四ヶ条宣言」「民族自決」を唱え、世界中に感銘と勇気を与えたことになっている。
しかし、本当のところは世界史的災厄をもたらした張本人。
ちょっと頭がおかしい人だったようで、彼が大統領だった8年間のうち、最初の7年間は人格異常者として、最後の1年間は精神異常者として、仕事をした。
そういっているのは、あの有名な心理学者で深層心理分析の理論を打ち立てたフロイドなのである。フロイドによれば、自分をキリストだと勘違いしたのがウィルソンで、戦争に介入するか中立を保つかなどの全ての重要政策は「自分がキリストとして活躍できるか否か」だけで判断したという。ぼくの疑問、何故わざわざスポケーンにまで行って演説したのかは、フロイドが解いてくれているような気がする。彼はキリストのように訓を垂れたかったのだろう。
倉山満によれば、人類の不幸の90%を作った人がウッドロー・ウィルソンだという。この人が育てた人の名前を挙げて行くと、レーニン、スターリン、毛沢東、金日成と続く。ウッドロー・ウィルソンがいなければこの4人は地球上に生存できなかったと倉山満氏はいいます。
どうしてかを知るには、『嘘だらけの日米近現代史』を読んでください。

はなしが、おかしな方に飛んでしまいました。この辺で終わります。