出てきた昔のエッセイ「百名山ブーム」

涼しくなってきたので、ようやく書架の整理を始めた。
なけなしの退職金を投じて建て増しした書庫棟は三方が高天井までの書架になっていて、ぎっしりと本が詰まっている。しかしそのほとんどが、もう何の役にも立たないものなのである。一方を埋めるコンピュータ関係の英書は、パラパラページをめくると、それなりの感慨を催すだけの代物となっている。
雑誌に関しても、コンピュータ、PC関係のものとMAC関係のものだけでも膨大な量で、これに山の雑誌が加わる。
頑張って整理などしなくても、ボックリくたばったら、息子か孫がひどい男と罵りながら片付けるだろうと、不逞な考えを抱かぬでもなかった。しかし、最近やたらにネット購買した本が増えだした。これを収めるスペースの必要を感じたというわけである。

Magagine脚立に乗って、廃棄すべき本をどんどん下ろしていたら、見慣れぬ雑誌が現れた。
『大法輪』、なんじゃこれは。仏教関係の雑誌であることはすぐに分かったが、なんでこんなものがあるのだろう。目次を見て、そこに「高田直樹」を発見した。
原稿を書いていたのである。タイトルが「百名山ブーム」。
いまはヤマガール、いやもうこれも終わったか、ともかく十年以上前に「百名山ブーム」なるものがあって、おばちゃんやおじさんが山を駆け巡ったことがあったのだ。この雑誌は1999年の3月号だから、14年前のことだ。ぼくの肩書きが龍谷大学非常勤講師となっているから、もう高校は止めており大学でコンピュータを教えていた。

HermesBaby昔の書き物は、とかく若気の誤りなどという奴で、後では恥ずかしくてとても読めたものではなかったりするのだが、10数年前といえば、それほどひどいものでもなさそうである。
若気の過ちとなれば、例えばあの桑原武夫大先生にしたところで、やはりそれは避けられなかったし、梅棹忠夫先生も同じである。
桑原先生に関しては、あの「第二芸術論」。詳しく説明する必要はないと思われる。
梅棹忠夫先生は、かな文字論。あまり知られていないと思われるが、彼は大のかな文字論者で、ひらがなタイプまで作らせた。真剣に日本語をかな表現のみにしようと考えておられたようである。
そこで、日本のメーカのブラザーなどに掛け合ったが駄目で、スイスのヘルメスがたしか500台単位なら作りましょうといったので、作らせることにされた。これはほんとの話で、なにしろぼくは、買いなさいといわれてそのかな文字タイプを買って、いまも家にあるのだ。

話を戻して、そのエッセイ「百名山ブーム」なのだが、じつはもうアーカイブとして認識している<高田直樹ウェブサイトへようこそ>の「高田直樹作品集」にアップ済みなので、ダブることになると少し気になったが、構わずここにも載せることにした。

百名山ブーム 高田直樹(登山家・龍谷大学非常勤講師)(1999/03/01)
Index この数年来、日本中で「百名山ブーム」なるものがおこり、いっこうに衰える気配がありません。
 ぼくが「百名山」で思い起こすのは今西錦司さんの「北山百名山」で、かれは三高時代に山岳部のボックスに表を張り出し、部員に○を記させたと、なにかの本で読んだ記憶があります。北山には、道のないピークが多いので、この場合は五万分の一の陸測地図上でルートを決定して、藪こぎをして迷いながら読図をし、頂上に向かわなければなりません。
 当然ものすごい総合的判断力が要求され、だからこの北山のトレーニングが後のヒマラヤ遠征につながったのだという説があります。
 さて今日の百名山ブームの主役は、中年のおばさんや退職したおじさん達です。
MagaginePage 彼らは、老い先短いなどと考えていますから、百の山をこなすためには一年には何山をこなさないといけないなどと計算します。
 百名山の山小屋だけは大繁盛で、それ以外は閑散としています。百名山たち自身は、過度の登山者集中で、ひどい環境破壊が起こっているのだそうです。
 この世代の人たちというのは、日本の高度成長を支えた人たちということになります。彼らは与えられた目標に向かってしゃにむに突進してきた。いまその目標が、山の山頂に振り変わっただけのことかもしれません。
<生への執着という弱みから、われわれは「積極的」遊びという名の疑似遊戯に身を捧げる(多田道太郎『遊びとはなにか』>
 外国を旅して、ホテルのプールサイドのデッキチェアで寝そべっている日本人など一度もみたことがありません。
 「三年寝太郎」や「ものぐさ太郎」の民話の世界が見直されるべきです。あるいは、カフカの『断食行者』の世界。主人公は、どの食物も気に入らず、気に入らぬ食物に手をのばすより、むしろ飢えてみせたのです。
 日本がこの大不況から立ち直り、正常な状態になるのは、今百名山に突進している世代、そしてその世代が育てた次の世代が、死に絶えたときかもしれない。そんな気もします。 以上

ついでながら、このエッセイと関連すると思われる<ホモ・ルーデンスについて>(1975/04)という論考を紹介しておきます。これは1975年4月に『岩と雪』という雑誌に発表したもので、ぼくの若気の過ちみたいなものです。