御嶽山噴火で思うこと

木曽の御嶽さん

木曽の御嶽さん

 木曽の御嶽山が噴火した。多くの登山者がなくなった。
 他の多くの山と同じように、御嶽山も休火山で噴火してもなんの不思議もない。
 しかし御嶽山が突如猛烈な噴煙を吹き上げることを予想する人はほとんどいなかったのではないだろうか。ぼくは御嶽山には登ったことはない。一度御嶽スキー場に行ったことがあるだけなのだが、その時も噴火するかも知れないなどとは考えもしなかった。
 噴火の当日は、休日で多くの登山者が御嶽山に向かい、噴火口の近くで、お昼の昼食を楽しんでいた時に爆発が起こった。吹き上げられた噴石の直撃を受けることで致命的な負傷をしたり、あるいは動けなくなって降り来る火山灰で窒息し、あるいは噴煙に含まれる硫化水素による中毒などで多くの登山者が死亡した。

 テレビのニュース番組は、連日この災害を報じ、二次噴火の予兆があったため捜索や遺体の搬出が見送られたため、それは長く続いた。
 それらの報道を見ていて、印象的だったのは、遺族の人たちの悲しみを抑えた冷静な態度だった。「好きな山でなくなったのだから・・・」とか、「好きな彼女と一緒に死んだのだから…」という感懐もあった。
 この全く予期せぬ災難を致し方ない運命として受け入れる対応が見て取れた。それは、紛れもなく日本人の態度だと思った。日本人は昔からこうした自然の災害を繰り返し体験することを余儀なくされ、そこに独自とも言える無常観を持つことになったのだろう。

金曜日アンカーのコメンテーター鈴木哲夫氏

金曜日アンカーのコメンテーター鈴木哲夫氏

 ちょうどその頃、国会が開かれた。スーパーニュースアンカーで、金曜日のコメンテーターがこんなことを言ってぼくを驚かせた。この鈴木なにがしという人に関して、ぼくはつねづねあまりいい感情を持っていなくて、とても政治を論ずる素質などなく、芸能界のゴシップとかスキャンダルを論ずるレベルだと思っていた。
 彼が言うには、野党の追及は充分ではなかった。どうして今の御嶽事故を取り上げなかったのか。野党はチャンスを逃した。これを取り上げたら追求のネタはいくらでもあったはずだ。そうしたら多くの人の共感が得られ、野党の支持は高まったはずなのに・・・。
 なんということを言うのだ。共感など抱く国民は誰もいない。この悲惨な不慮の不幸と必死に救助に働く人々を貶めて、的外れの政府追及の具にしようというのか。あんた頭がおかしいのではないか。
 バカがいてカシコが認識できる。水曜日に極めてまともな青山繁晴さんを配したアンカーの配列の妙を褒めるべきかも知れないとも思ったことだった。
 
 御嶽山と聞いてすぐに思い浮かぶのは、木曽の御嶽(おんたけ)さんであり、あの木曽節である。「木曽のなあぁ中乗りさん、木曽の御嶽なんちゃらホイ」というあの民謡である。「夏でも寒ういヨイヨイヨイ、ヨイヨイヨイのヨイヨイヨイ」とつづく。
 御嶽さんは、大昔から民衆に親しまれてきた山だった。
 開山の祖は、江戸期の覺明あるいは普寛行者とされているが、鎌倉の時代から修験者の行場として知られていた。日本独特の修験道については後で述べるが、修験者は麓で100日の精進潔斎を行った後に入山したとされている。
 江戸時代に覺明行者は黒沢口からの登山道を、普寛行者は王滝口からの道を拓いた。彼らは精進潔斎を簡略化し人々が容易に登山できるようにしたのだった。

 富士山、白山、立山、御嶽山などはすべて、同じように修験者の山であり、日本独特の自然信仰の神道に基づく修験道に根ざした行場としての山だった。
フランス・シャモニーのモンブランを望む広場に立つド・ソシュールとジャック・パルマーの像

フランス・シャモニーのモンブランを望む広場に立つド・ソシュールとジャック・パルマーの像

 明治期に英国から登山を輸入した日本の登山家は、これまでの登山は登ることのみを目的としていない宗教に根ざすものだから、登山ではないとした。英国のアルパインクラブ(山岳会)を模して日本山岳会を作り、事実に目をつぶり初登頂ごっこを演じた。日本の全ての山々は、大昔から修験者・行者の山であり、猟師の狩り場でもあった。ヨーロッパアルプスに近い岩壁を持つ困難な剱岳でさえ、奈良時代に修験者が登頂に成功していたことが、山頂で発見された錫杖から判明したのである。
 日本にヨーロッパの登山を伝え、日本の登山の祖とされるウォルター・ウェストンは御嶽山に登った時に、麓に立つ普寛行者の石碑を見て、シャモニーに立つド・ソシュールの像を思い起こしたと記している。ド・ソシュールとはアルプスの最高峰、モンブランに初めて登った人だった。日本の登山の創始者たちの誤った認識の証明がここにあるとぼくは思っている。

蔵王権現

金剛蔵王大権現

 自然界のあらゆる事物に神が宿るとする古神道が奈良時代に輸入された仏教と融合し成立したのが修験道である。修験者は深山幽谷に分け入り行を行ったので山伏ともいわれ、里に下って加持祈祷を行った。奈良時代に役小角によって開かれ平安時代に盛んとなった。
 役行者が吉野の山上で仏の出現を祈願したとき、最初に釈迦が現れ、次に観音が現れ、後に弥勒が出現した。役行者はこれをいずれも拒否したところ、最後に岩盤より青黒忿怒の金剛蔵王が出現したという。役行者はこれを歓んで、吉野蔵王堂(現在の大峯山寺)を創建したとされており、ここに祀られているのが修験道の本尊である蔵王権現である。
 修験道は地方に広まり、御嶽山にも至った。だから御嶽山の本尊も蔵王権現だったのだが、普寛行者はこれを御嶽座王権現と書き換え独自性を強調したらしい。

 日本人に取って、自然の全ては神宿るところであり、とりわけ山の頂きは神を崇める証としてお参りの気持ちで登る場所であった。山頂とは、大昔から人は登り神は下る所であったのだ。
 ところが、ヨーロッパではこれが違った。山頂は征服の証として踏みしめる所であった。日本のあらゆる高山の山頂には社があるが、ヨーロッパの岩峰にはキリストの像がある。これは似ているようであっても全く違う。社は神が下る所であるが、キリストの像は人間の征服を意味している。
 日本人にとって、自然は人間を包容してくれる大きな存在であるが、同時に瞬時に叩き潰されることもある恐ろしい存在でもあった。人々は調和を考え、融和を願った。

 先に述べたド・ソシュールが、石切人夫のジャック・パルマーを先達として使い、彼が斧で氷に刻んだ足場を辿って山頂に達した時、最初にしたことは何だったのだろうか。彼はアルコールランプに灯をともし、雪を溶かして湯を作り、その沸点を測定したのだった。
 だから、これが科学の発生の一事例とも言えるのだが、ヨーロッパ人に取って、自然は征服する為の探求の対象であり、それ以上でもそれ以下でもなかった。
 このようにして始まった自然科学の手法は、対象を人間社会にも適用し社会科学が発生した。社会科学の発達は、経済学や政治学その他諸々の学問を生み出した。科学的手法や近代合理主義が至上のものとされるようになった。
 こうした論理至上主義は自由・平等・博愛のスローガンのもとフランス革命の暴虐へと進展し、さらにはネイティブ・アメリカンの虐殺、スターリン、毛沢東、ポルポトへと続く、信じられない殺戮を生み出すことになった。

 現代の世界は、近代合理主義の行き止まり、グローバリズムの欠陥を示す様々の現象が見て取れるようになってきたと言える。合理的であればそれが一番、それで問題はないのか。論理的に辻褄があっておればそれでオーケーなのか。法的に問題がなければ、それでいいのか。
 ポイントはそんなことではない。科学的に見てなんの問題もない。論理的に考えて矛盾しない。法的には問題ない。そんなことだけで済むのか。おかしいと感じれば、それは大問題なのだという認識が必要なのだと、ぼくは思う。国会での民主党閣僚のの答弁には「法的にはなんの問題もない」と言う答弁がよく見られた。そんな答弁はあり得ないと考えるべきなのである。
 明治期以後、欧米に教え込まれた論理や思考回路を一度身を引いて検証し、日本古来の神道の思考に立ち返って考えた時、この混迷を深める世界を救う思想は、おそらく日本以外にはないのではなかろうか。そんな気がしてしまうのだ。

 話が、あらぬ方向に飛んでしまったのだが、今日の登山者は明らかに山に対してのリスペクトを欠いてきていたと言えるのではないか。山を敬い自然に対しての敬虔さを忘れてはならないと思うのだ。自由・平等・博愛という危険思想に侵され、グローバリズムという主権国家を破壊するイデオロギーに惑わされた自分を見直し、日本と日本人が本来持っていたプリミティブで素晴らしい感性と思想を取り戻す必要があるのではないだろうか。