黒部峡谷の石球

 老人は追憶の世界に生きるなどと言われるが、そういう話ではなくて、時々なんの脈絡もなく昔のことや情景が突如フラッシュバックしてくることがある。
 その時、ぼくは大きな岩の上に座り、手にはピンポン球くらいの見事な石の球を手に乗せていた。
 ここはどこだ。俺は何をしているのか。
 そこは、黒部峡谷は上の廊下の河原で、高さ3メートルはあろうかという大きなボルダー(大石)の上にぼくは座っていた。
 その時ぼくは、上の廊下から祖父沢の出会いを目指している途中で、夕暮れ時に夕食用のイワナを釣りに出かけたところだった。大きな淵があってそれが浅瀬に向かう粗砂利の斜面あたりには、大きなイワナが8匹ほど見事な編隊をなしていた。イワナたちは頭を上流に向けたまま綺麗な隊列を組み、右に左にと悠然と移動しながら遊弋を続けていた。
 後ろから近ずいたぼくは、最後尾の一匹の尾ひれの右下あたりに黒い毛針を打ち込んだ。イワナはすぐ反転して毛針を追い、飛びつくのとぼくが引き抜くのとは同時で、大イワナは高く空中に舞った。
 こうした場合、こんな風に最後尾から釣らないと全部を手にすることは無理なのだ。もし、前の方の一匹を釣り上げたとすると後の奴らはもう毛針を見向きもしなくなる。引き抜かずにもがかせでもしたら、みんな大慌てで深みに散ってしまうのだ。どうやら「痛い。痛い」わめくらしい。

 後ろから順に6匹を仕留めて、そこで竿を置いた。必要以上に釣らないというのがぼくの主義だった。
 イワナの影を追って流れにばかり気を配っていたから気づかなかったのだろう。その時初めてすぐ側にに大きな岩があるのに気付いたのだった。
 岩の上は平らになっているようだ。日が陰り少々の肌寒さを覚えていたぼくは、あの岩の上に寝そべってみたいと思った。日中ずっと温められていた岩は程よい温かさを与えてくれはずである。そう思ったぼくは釣竿と獲物を置くと、沢の中央にあるその岩によじ登った。
 上は3畳敷きくらいの広さだったろうか、快適に横たわれそうだった。
 お尻をおろし横になろうとした時、すぐ横にお椀大の穴があるのに気付いたのだった。中を覗くと、その穴は結構深く、大きさは丼大で、四方に深く滑らかに球形にえぐられていた。
 底には少し水が溜まっている。そしてその中に丸い石の球があった。

 取り出してみて驚いた。誠に見事な真球で、美しく光っていた。すごいものを手に入れた、とその時思った。そして同時に、なぜという疑問が沸き起こった。
 かつて、この谷の大増水の時、偶然にも流されて舞い上がった一個の石が、この大岩の上に乗った。石はそのまま居座り増水の度ごとに揺り動かされ、穴を穿って行った。穴が穿たれるとともに自身も削られ丸くなっていったのだろう。増水時の水の流れは激しく石を動かし、石はクルクル回りながら穴を穿ち球形の室を作っていった。
 この作業は大増水の時しか行えない。ここに至るまでに果たして何十年何百年が過ぎたのだろう。
 それにしても、これは大自然が行った誠に稀有な作業であり、この石球は自然が生んだ芸術的傑作といえる。ぼくは今更のように石球を見つめ直していた。あたりには沢音だけが満ち、それは黒部の静寂とも言えた。
 このような作品を持ち帰ってそれがどうだというのだ。人に自慢してそれがどうしたというのだらう。一人悦に入って眺めていても仕方がないではないか。このような見事な大自然の作品を持ち帰るというのはある種の盗みではなかろうか。
 そんな気がしてぼくは、石球を穴の底に戻したのだった。

 大岩をクライムダウンして下流にしばらく歩き、振り返ると、大岩は上の廊下の両岸の緑に挟まれて、赤く燃える夕焼け空を背景に鎮座する神殿のように、ぼくの目には映じたのだった。