東京裁判~欺瞞の歴史構築の覚え書き~(1)

そのときから66年がたった今、極東国際軍事裁判いわゆる東京裁判が正しい裁判だったと唱えるような人は、ほぼいないといっていいのではないか。しかしそこで作られた虚偽ともでっち上げとも思える事柄は、あたかも真実のように戦後の日本人の心に深く染み付いてしまったかのようである。
ぼくは自分自身の問題として、その避けるべくもないまま刷り込まれ信じ込まされたマインドコントロールともいうべき状況を抜け出すために、東京裁判の実相を調べる必要があると思い至った。
そもそも戦争が裁判で裁かれるということは、この裁判まで人類史上なかった。1946年の東京裁判とその前年のニュルンベルグ裁判が最初のものであった。それまでもいくつもの戦争があったが、それを裁判の俎上に載せることはなかった。その理由は何か。
渡部昇一氏によれば、戦争とは論理的に解決できないときに、決闘によって勝敗を決めるという騎士道に基づく作法の延長と考えられ、それは中世の欧州において確立した。
中世の歴史を持たないまま成立したのがアメリカである。イギリスの落ちこぼれ(メイフラワー・サティアンとも呼べる)人たちが作った国がアメリカであり、南北戦争で、英国の援助を得た結果、南軍と呼ばれたアメリカ連合国(南部諸州)を完膚なきまでに破壊し、その指導者や軍人を復讐裁判で徹底的に糾弾した。そんな国がアメリカなのである。(この部分は倉山満「嘘だらけの日米近現代史」)
そうであって見れば、東京裁判が裁判というもっともらしい形をとった復讐劇であったことが、容易に理解できる。
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