先日、スーパーのマツモトに行くと、入り口の脇に古本市がたっていた。なんとなくこの100均の書棚を一巡すると、『問題な日本語』という本が目につき買ってきた。「どこがおかしい? 何がおかしい?」という副題がついている。このタイトル自体何となくおかしい?
出版元は大修館書店で、『明鏡国語辞典』編者の北原保雄という人が編者となっている。奥付をみて、この人はぼくと同い年で筑波大学学長をやり、筑波大学名誉教授であることが分かった。
この本は、2004年12月初版なのだが僅か3ヶ月後の2005年3月には14刷になっており、すごく売れたことが分かった。各項目が短く、どこからでも読めるので、大変読み易くて、取り上げられている項目が、大変身近な言葉であることが、理由と思われた。
なかなか面白いということで、早速トイレ図書館の一冊とすることにした。
「全然いい」という項がある。
全然というのは、否定文に使うもので、こういう使い方は間違いだと、ぼくは思っていた。ところが、そうではないという。
江戸時代後期に中国の白話小説(口語体で書かれた小説)で使われたものを取り入れるようになったもので、「全く然り」をつづめたものだそうだ。
漱石の『三四郎』には、「そこで三人が全然翻訳権を与太郎に委任することにした」とあり、芥川の『羅城門』には、「下人は始めて明白に、この老婆の生死が、全然自分の意志に支配されているという事を意識した」などとある。この本では、「全然」についてさらに突っ込んだ分析をおこなっているのだが、ともかくこの用法が間違いではなかったことは、少し意外であった。
「〜じゃないですか」「〜みたいな」「こちらきつねうどんになります」「コーヒのほうをお持ちしました」などなど、いろいろある。
「お連れさまがお待ちになっております」というのがあった。結論として、これは間違いで「おられます」とすべきだとしている。
読んでいて、ぼくは、中国・西安外国語学院でのあの李一峰の質問を思い出した。退職してすぐの頃、ぼくは中国にいた。
西安空港にぼくを出迎えた一人の学生は、流暢な日本語で、「私は先生の孫弟子の李一峰と申します」と自己紹介した。この学生はT君の生徒だった。T君はぼくのコンピュータの弟子で、中国との交換協定で西安外国語学院で日本語を教えていた。
ある日、李一峰はぼくの部屋に現れると、いつものように質問を投げかけた。それはコンピュータのものではなく、日本語についてだった。今日お昼にT先生に「先生、お昼ご飯を食べに行こうか」といったら、その間違いを指摘された。自分は、先生に対する親愛の情を込めたかったからそういったのだけど、駄目だといわれた。では、どういえば親愛の情が込められるのですかと尋ねたけれど、答えてもらえなかったという。
しばらく考えて、「先生、ヒルメシを食べに行きましょうか」とすればいいのではないか、と答えた。つまり、動詞が重要ということで、ここは変えられない。お昼ご飯をヒルメシという俗な言い方に変えることで、親近感を表せるのではないかと説明したのだった。
「陛下は、東京をお昼にお立ちになり、夕刻京都に到着しました」。NHKなどのニュースでよく聞く台詞であるが、このアナウンスはおかしいと思う。敬語を簡略化するという方針があるとも聞くけれども、それなら、「陛下は、東京をお昼に発ち、夕刻京都に到着なさいました」とすべきだろう。
問題は、用語の規定ではなく、尊崇の精神なのだと思うのだ。そうした気持ちを欠いたスタッフが増えて来たということなのではなかろうか。
敬語と謙譲語で埋め尽くしておけば無難という考えは浅はかだ。民主党の美人議員で「させて頂きます」を連発して、顰蹙を買った女性がいた。この「させていただく」は、かつて文化庁の文化審議会国語分科会でも取り上げられたそうだ。
そこでは、ア)相手側又は第三者の許可を受けて行い、イ)そのことで恩恵を受けるという事実や気持ちがある場合、に使われるとしている。その議員の「〜させて頂きます」には、この要件が欠けており、そのため「慇懃無礼」「押し付けがましい」として、不興をかったのだろう。
今日、録りおいた「報道ステーション SUNDAY」を見ていたら、樹木希林へのインタビューがあり、アナウンサーが「そうですか、癌が再発され、転移されていたんですか」といい、少し笑ってしまった。
多くの番組を埋め尽くす芸人の語りはともかく、アナウンサーのしゃべりには、気になることが多い。若い世代の人には、正しい日本語が使えない人が増えて来たということなのだろうか。
「ため口」という言葉がある。iPhoneの大辞林で引くと「ため口」は、若者言葉で、相手と対等の立場でものをいうこと、という説明がある。これも若者言葉の「ため」は、かつての賭博用語で相手と対等であることを意味するとある。
ぼくは、この言葉を数年前まで知らなかった。
いつ頃から使われたのかと気になって、知り合いに尋ねてみた。彼女は高校時代に知っていたという。ぼくは、大学時代に同級生から、先輩に対してぞんざいな言葉を使うと注意された記憶がある。その時彼は、「ため口」とも「ため口をきく」ともいわなかった。彼女の高校時代というのは70年代末だったというから、この若者言葉は、50年代にはなくて、多分70年安保世代に生まれたのではないかと思う。
その頃から、若者はコミュニケーションにおける序列を認識していたといえる。しかしそうした序列意識は、グループでのものであることを認識すべきであって、国際関係にまで持ち込むべきではない。地球はそうしたグループではないからである。国際関係はあくまで対等であるという国際法が原則である。しかし、戦後の日本外交において、日本はどうして不可思議な土下座外交ともいえる屈辱的な対応を、続けたのだろうか。
言葉はすなわち文化であり、その精神を顕わすものである。敬語の精神は相手を尊敬すると同時に自分の矜持をも表現するものである。そして、敬語とともに日本語の特徴である謙譲語は謙譲の精神を表わし、相手を認めると共に自分の矜持を確保することを表現するものであると思う。しかし敗戦後このかた、自己の矜持を失った日本国は、謙譲の精神を表面的にとらえて、卑屈なへりくだりに終始する対応を行って来たのではなかろうか。
これからの若者は、日本語以外のコミュニケーションにおいて、謙譲の精神は発揮すべきではなく、相手につけ込まれる弱点となることを知るべきである。ぼくの経験からいって、対個人との関係においても、それは必ず衝突を生むことになるけれど、本当の友情や親密さはその後にもたらされることを知るべきだと思うのだ。