先日4月5日の国会予算委員会の中継で、民主党細野幹事長が質問に立ちました。
メインは原発事故についてだったのですが、最後の10数分に追加質問事項で、主権回復の日についての質問を行いました。
その質問で細野議員は、昨年の主権回復の日の式典に、安倍総理が送ったメッセージが取り上げ、そこで安倍総理の歴史認識や現行憲法に対する認識について質問しました。
あまりTV出演などでは取り上げられないで、かなり意図的にパッシングされたり、あるいは安倍さん自体もあからさまには発言することを控えている部分だと思われる所です。
ところが、安倍総理が話しだした所で、NHKの放送時間が終わってしまいました。意図的に終わったのかと思いましたが、単純な時間配分だったようです。でも、そのあとは、天気予報でしたから、そんな中途半端な終わり方をしなくてもよいのに、とも思いました。
どうしても聞きたいと思いました。そこで、「TVインターネット審議中継」のサイトを見ました。
ここは、先日、NHKがYouTubeの動画を削除したと問題になった時に、見つけたサイト(www.shugiintv.go.jp)で、goですから、国のサイトだと思います。衆議院の各委員会質疑応答内容がすべて載っています。
すぐに見てみたのですが、当然のことながら、中継が終わってすぐですから、まだ載ってはいませんでした。
日が変わったすぐの頃、また見てみるとしっかりアップされていました。なかなか立派なことです。
早速、ダウンロードして必要な部分だけを切り取って、「2013_04_05 予算委員会 細野豪志、現行憲法について質問」というタイトルでYoutubeに載せることにしました。穏やかなタイトルにしたのは、また消されたら面倒だからと思ったからですが、国が文句を言う訳がないと思いました。もし、クレームによる消去があったとしたら、それは「なりすまし」だということでしょう。
まずは、この10分の動画を見て頂きたいのですが、ここで安倍さんは、この憲法自体がハーグ陸戦条約という国際法に違反していると述べています。
Youtube【安倍首相、現行憲法について述べる】
まず、認識すべきは、あの時の「サンフランシスコ講和条約」とはなんだったのか。「講和」とはなにか。講和とは、大辞林によれば「交戦国どうしが取り決めを結び、戦争をやめ平和を回復すること」です。つまり日本と連合国(アメリカ)は交戦国であり続けた訳であり、この時までは休戦状態であったということです。
でも、日本は「ボツダム宣言」で無条件降伏したではないか、という人が五万といます。テレビ局の論説委員などという人は、常套句として「日本はボツダム宣言で無条件降伏を受け入れ・・・」などといつもいっています。われわれ日本人は、日本人は戦争に負けて無条件降伏した、そう思っています。
しかしこれは明らかに間違いであると思います。
ボツダム宣言をみると、そこには確かに「無条件降伏」の文字を見ることは出来ます。13ヶ条にわたるこの文書の最後尾の13項において・・・。それは、こうなっています。
十三、吾等ハ日本国政府カ直ニ全日本国軍隊ノ無条件降伏ヲ宣言シ且右行動ニ於ケル同政府ノ誠意ニ付適当且充分ナル保障ヲ提供センコトヲ同政府ニ対シ要求ス右以外ノ日本国ノ選択ハ迅速且完全ナル壊滅アルノミトス
つまり、日本国政府は、直ちに日本国軍隊を無条件で降伏させなさい。それ以外の選択肢はありませんといっている訳です。これでもって、政府が無条件に降伏したとするのは、他の条文と全く整合性が取れません。特に、第5条で「吾等の条件は以下の条文で示すとおりであり、これについては譲歩しない。執行の遅れは認めない。」と5条以下を降伏の条件と明示していることから、無条件降伏などではないことは明らかであると思えます。
しかし、それであってもなお、この「無条件降伏」が一般的常識のようになったのはなぜか。それこそが、東京裁判史観、マッカーサー史観の奉侍であったと思われます。
たしかにGHQマッカーサーは、日本国が「無条件降伏」をしたという立場を取りました。それは、連合国としてではなく、アメリカ政府から連合国を無視した独自の指令があったからだと考えられます。
トルーマン大統領からマッカーサー元帥に対し次のような指令が発せられていました。「われわれと日本との関係は、契約的基礎の上に立つているのではなく、無条件降伏を基礎とするものである。貴官の権限は最高であるから、貴官は、その範囲に関しては日本側からのいかなる異論をも受け付けない」
アメリカは、国際条約など平気で無視する、決して文明国とはいえない国であることは、昔からのことだったといえるでしょう。
フィリピンから無様な逃亡を余儀なくされたマッカーサーは、日本憎しの固まりだったと思われます。
本国の指令をいいことに、国際法のハーグ条約などは無視しまくりだったといえます。GHQ総司令官としてアメリカを出立する時、周囲の人に「皇室をなくしてくる」と豪語していたといいます。それが果たせなかった無念さは胸のそこに存在し続けたのでしょう。
A級戦犯という無意味な名前の事後法によって、世界初ともいえる戦勝国による裁判での、起訴が行われたのは、1946年の4月29日昭和天皇の誕生日(天皇誕生日)でしたし、絞首刑が執行されたのは皇太子明仁親王(今の天皇陛下)の誕生日でした。これらのことから、東京裁判史観あるいはマッカーサー史観が、何を目指しているかは容易に読み取ることが出来ます。
この裁判でのA級というのは、侵略戦争の計画・実行者の平和、人道に対する罪というもの。B級は交戦法規違反。C級は、民間人の大量殺戮等人道に対する罪というものでした。
B級を除いてAとCは、東京裁判で用いられた急ごしらえの罪名で、いわゆる事後法といわれ、法律学的には世界の常識として無効とされているものです。たとえば、喫煙が法律で禁止されたとします。しかしそれ以前に喫煙していたとしても、それは罪に問われることはありません。事後法で裁いたこと自体無茶なことでしたし、C級などにいたっては、では広島長崎の原爆投下はどうなのだ、一夜にして10万人の非戦闘員を殺した東京大空襲はどうなんだということになります。この為の言い抜けの整合性の為に南京虐殺30万人説が人数合わせの為にでっち上げられたのではないかといわれています。
サンフランシスコ講和条約成立直後、A級戦犯の元弁護人たちは、日本政府に全戦犯の釈放を求め、釈放を求める署名運動を行いました。この時署名数は4000万人に達したといいます。国会では、釈放を求める決議が行われ、全員一致で決議が行われました。
この頃は、日本人はほとんどが、日本人であったといえると思うのですが、その後日本政府も含め、無条件降伏を認めるような誇りを捨てた日本人が増えかつ固定化していったと思われます。
今に至る永い時間は、講和条約成立時当時に大多数を占めていたまともな日本人をどんどん変質させてゆき、守銭奴的感覚のみを肥大させた、誇りと気概を失った今の日本人を生み出して来たのではなかろうか。そんなことを、自分自身の反省と自戒の苦い想いとともに考えるのです。
たとえば、冒頭の写真の細野議員のそばから、少し目障りとも思える感じで顔を出している女性議員は、平成10年10月の護憲集会でこんなことを言っています。
「私は今護憲派といわれている訳ですが、ほんとのことを言えば1条から8条(天皇を規定した条文)は要らないと思っています。天皇制を廃止しろとずっと言っています。
天皇は伊勢にでも行ってもらって、特殊法人かなにかになってもらう。財団法人でも特殊法人でもいいけど、そして皇居をセントラルパークにし、アジア平和記念館とかを作り、そしてアジアの留学生を呼ぶという計画を立てています。」(『週刊朝日』)
ぼくからいうと、全く想像を絶したともいえる、こうゆう見事な国会議員を生み出したのもマッカッサー史観であり、東京裁判史観だったと思うのです。