朝日新聞を止めたのは、もうずいぶん前のことです。
とはいえ、朝日はなんとなく高級な新聞だという気がしていたし、父親も戦前から朝日を取っていたこともあって、新聞といえば朝日だと思っていました。
ちょっとおかしいんではないかと思い出したのは、たしかベルリンの壁崩壊とそれに続くソ連邦崩壊などの歴史的事件の後だったように思います。だから1990年代のことです。
どうも朝日は世界の動きが分かってないんではないかと思うことが多かったのです。それでも、ほかの新聞と読み比べたりはしてませんでしたから、けしからん新聞だなどとは夢思ってはいませんでした。その頃は、英字新聞のヘラルドトリビューンを半ば恰好付けみたいな感じで取ったりしていましたが、熱心に読むのもしんどいので、見出しを見る程度でした。
そんなわけで、相変わらず朝日を惰性で取り続けていたわけです。
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京都新聞から産経新聞へ
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