最近のテレビでは、万歳の光景が多く報道されていました。
どこだったかの村が文化遺産に指定されたとかで万歳、先頃は沖縄知事選での翁長新知事誕生の万歳、そして今度の衆議院解散の万歳。幾度となく万歳三唱の画面が映し出され、その度にその光景が気になっていました。
なにが気になったかは後にして、この万歳はもともと天皇陛下万歳がもとで、天皇陛下の長寿を願って唱えるもので、明治時代に始まったようです。万歳はTen thousands years oldですから、長寿を表わすのですが、それが勝どきを意味するようになったと思われます。大陸の戦線で敵陣を攻め落とした帝国陸軍は、万歳を三唱するのが常だったようで、そうした写真を沢山見た記憶があります。
朝鮮や韓国では「マンセー」というし、パキスタンでは「パキスタン、ジンダーバード」でパキスタン万歳です。ジンダーは生きるという意味でバードは國ですから、國の長生きを唱えることになります。英語などには、女王陛下万歳はあっても万歳だけの言葉はあんまりないように思います。
もともと、オノマトペ(擬声語)が豊富で、「セーノー」などという一致して力を入れるかけ声は、日本独特のように思います。回教圏のパキスタンなどでは、同じような力を込めるときのかけ声として「イヤッラー」がありますが、これはアッラーから来ていて、「神様」みたいなもので、一斉に力を合わせる為のものではない。
万歳は集団で一斉に唱えるもので、一人で叫ぶものではないようです。
向田邦子原作のドラマで、多分『あ・うん』だったような気もするのですが、こんな万歳のシーンがありました。
父親が友人を連れて家に帰り、酒宴が始まります。すると大いに酔ったその客が、女房や娘達が同席しているテーブルで、突然、大声で猥歌を唱いだします。焦った父親は大声を張り上げ、両手を振り上げつつ「万歳、万歳、万歳」と繰り返し、この歌声を消そうとするのです。その様はじつに滑稽で面白く、印象に残っています。
万歳にはこんな用法もあったのかと感心したのでした。
万歳をする時には、両手を上に挙げるのですが、特にその所作に関する規定はないようです。しかし、それはいわゆる「ホールドアップ」と命じられたときの姿勢であってはいけない。ホールドアップの時には、両手の掌は相手に向け、そして開いていなければなりません。何も隠していないことを示す必要があるからです。いわゆる降参の姿勢です。
だから、「もう完全にバンザイだ」などとお手上げを意味する表現もあるのです。
万歳の時には、だから違う形、合掌したときの掌の位置で、そのまま腕をすっと上に挙げればいいのです。そうでなければ、降参したことになってしまいますから。
でも、そういうことを教えてこなかった戦後教育が悪い訳で、当人たちには何の責任もないのです。
先の翁長知事当選のシーンは、面白かった。大きく開いた掌が乱立していました。
衆議院の解散時の万歳シーンは、けっこうきれいだったように思いました。ただ、いわゆる万歳のフライングがあり、動画にも取り上げられていましたが、これについては、別項をもうけたいと考えています。