前稿で、大東亜戦争に関して、「独立を助けられた国々の元首は、それぞれに感謝をこめての評価のコメントを残しています。」と言及し、一例としてトインビーの大東亜戦争への論考のみを揚げました。
ぼくが、大東亜戦争にこだわるのは、日本の戦後を考えるというだけではなく、これからの日本、あるいは「この國」のあり方・國のかたちを考えるには、この世界史を変えた戦いの正当な認識なしには、正しい判断が出来ないと思うからです。
戦後の日本に流布されたのは、当時最も権威あるものと信じられていた発信元である(恥ずかしながら、ぼくもそう信じていた)NHKと岩波書店からのものでした。
そして、その内容はすべて「あの戦争は間違っていた」そして「アジアを侵略した」「アジアの民に苦しみを与えた」というものでした。それが全くの誤りでないにせよ、別の見方なり、反対の見方も併置、検証されるべきでした。しかし、そうはされず、それは、極端に一方的なものばかりでした。
この一方的な見方から出発している限り、執拗に植え付けられた東京裁判史観とも言われる自虐史観をかなぐり捨てることは、ほぼ不可能ではないか。これが、ぼくが大東亜戦争にこだわる理由です。
ここで各国の各方面の方々がどのようなコメントをしているか。全くといっていいほど、教えられることがなかった言葉の数々を列挙してみたいと思います。
タイ王国元首相
ククリックド・プラモード氏
「日本のお陰でアジアの諸国はすべて独立した。
日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、産まれた子供はすくすくと育っている。
今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、いったい誰のお陰であるのか。
それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。
12月8日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意をされた日である。
我々はこの日を忘れてはならない。」
インド元大統領
ラグ・クリシュナン氏
「インドは当時、イギリスの不沈戦艦を沈めるなどという事は想像も出来なかった。
それを我々と同じ東洋人である日本が見事に撃沈した。
驚きもしたが、この快挙によって『東洋人でもやれる』という気持ちが起きた。」
インドネシア元首相
モハマッド・ナチール氏
「アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。
大東亜戦争は私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです。
本来なら私達インドネシア人が独立の為に戦うべき戦争だったと思います。
もしあの時、私達に軍事力があれば私達が植民地主義者と戦ったでしょう。
大東亜戦争とはそういう戦いだったのです。」
インドネシア元情報宣伝相
ブン・トモ氏
「我々アジアやアフリカの有色民族は、ヨーロッパ人に対して何度となく独立戦争を試みたが、すべて失敗した。
インドネシアの場合は350年間も失敗が続いた。
それなのに、日本軍がアメリカ・イギリス・オランダ・フランスを我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。
我々は白人の弱体と醜態ぶりを見て、アジア人全部が自信を持ち、独立は近いと知った。
一度持った自信は決して崩壊しない。
日本が敗れた時、『これからの独立は自力で遂行しなければならない。自力でやれば50年はかかるだろう』
と思っていたが、独立は意外にも早く勝ち取る事が出来た。」
イギリス歴史学者
H・G・ウェルズ氏
「この大戦は植民地主義に終止符を打ち白人と有色人種との平等をもたらし、世界連邦の礎石を置いた。」
ビルマ元首相
バ・モウ氏
「真実のビルマの独立宣言は1948年の1月4日ではなく、1943年8月1日に行われたのであって、真のビルマ解放者はアトリー率いる労働党政府ではなく、東条大将と大日本帝国政府であった。
約50年前ビルマは三度に渡る対英戦争の結果、その独立を失った。
イギリス側はアジアに対する侵略的野望を以ってこれらの戦争を遂行した。
愛国者は挺身的精神を以って鎮圧する為、捕まったり殺されたりする事を恐れずに戦った。これら英雄達はビルマ生き残りをかけて戦うが遂には負けてしまった。
ビルマ人は、アジアを一つにまとめアジアを救う指導者をずっと待ち望んでいたが、遂にその指導者なる大日本帝国が立ち上がってくれた。
ビルマ人が我が国に対する最大の貢献をしてくれた日本への感謝を永遠に忘れない事を希望する。」
韓国
朴 鉄柱氏
「大東亜戦争で日本は敗れたと言うが、敗れたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。
彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。
『戦争に勝った負けたは、戦争目的を達成したかどうかにより決まる』とは、クラウゼビッツの戦争論である。
日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。
日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ『聖なる戦争』であった。
二百数十万人の戦死者は確かに帰って来ないが、しかし彼らは『英霊』として靖国神社や護国神社に永遠に生きて、国民尊崇対象となるのである。」
インド
ラダ・ビノード・パール判事
「欧米諸国は日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって、自分らのアジア侵略の正当性を誇示する目的であったにちがいない。
日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、退廃に流れていくのを、私は平然と見過ごす訳にはゆかない。
誤られた彼らの宣伝を払拭せよ。
誤られた歴史は書き換えられなければならない。」
フランス人ジャーナリスト
ベルナール・ミロー氏
「日本の英雄達は、この世界に純粋性の偉大さというものについて教訓を与えてくれた。
彼らは1000年の遠い過去から今日に、人間の偉大さというすでに忘れ去られてしまったことの使命をとり出して見せつけてくれたのである。」
アメリカ軍硫黄島司令官
スプルアンス氏
「アメリカの青年たちよ。
東洋にはすばらしい国がある。
それは日本だ。
日本には君達が想像もつかない立派な青年がいる。
ああいう青年がいたら、やがて日本は世界の盟主になるに違いない。
奮起しろ」
フィリピン
ディゾン画伯
「今から35年前に私は神風特攻隊の本を読みました。
涙がとまらなかった。
こんな勇気や忠誠心をそれまで聞いたことがなかったからです。
同じアジア人としてこのような英雄がマバラカットと私の町アンヘレスで誕生したことを誇りに思っています。」
アメリカ太平洋艦隊司令長官
ニミッツ元帥
「この島(ぺリリュ―島)を訪れるもろもろの国の旅人達よ。
故郷に帰ったら伝えてくれよ。
この島を守るために日本軍人は全員玉砕して果てた。
その壮絶極まる勇気と祖国を想う心根を!」
イギリスサッセックス大学教授
クリストファー・ソーン氏
「日本は敗北したとはいえ、アジアにおける西欧帝国主義の終焉を早めた。」
中華民国総統
蒋 介石氏
「南京には大虐殺などありはしない。
欽将軍も軍事報告の中で、ちゃんとそのことを記録しているはずです。
私も当時、大虐殺などという報告を耳にしたことはない。
松井閣下は冤罪で処刑されたのです。」
アメリカ黒人運動指導者
デュボイス氏
「アメリカが日本人の権利を認めてさえいれば戦争は起こらなかったはずだ。」
マレーシア首相
マハティール氏
「日本の戦争責任を問うならば、それより以前の非人間的な支配と略奪をつづけた欧米の責任はどうなるのか。我々アジア諸国は日本が来たことで植民地支配から解放され近代化がもたらされた。」
米国国際政治評論家
ラティモア氏
「日露戦争の勝利がアジア民族解放運動の出発点であり、終着点はまさしく大東亜戦争であった。」
台湾実業家
許 文龍氏
「戦前の日本の台湾統治に対し謝罪する必要などありません。
台湾の基礎の殆どは日本統治時代に完成したものであり、日本人が来てまず治安が一挙に良くなり衛生状態も良くなった。
守るべき法ができ、税金も清朝統治時代に比べてかなり良くなった。
しかし残念な事に戦後の日本政府は、深い絆を持ちながら世界で一番の親日国家である台湾を見捨ててしまいました。
謝罪すべきは台湾を統治してきた事ではなく、台湾を見捨てた戦後の日本外交なのです。」
元マレーシア外務大臣
シャフィー氏
「とくに私が惜しいと思うのは、日本くらいアジアのために尽くした国はないのに、それを日本の政治家が否定することだ。
責任感をもった政治家だったら、次のように言うだろう。
『その頃、アジア諸国はほとんど欧米の植民地になっていて、独立国はないに等しかった。
日本軍は、その欧米の勢力を追い払ったのだ。
それに対して、ゲリラやテロで歯向かってきたら、治安を守るために弾圧するのは当然でないか。
諸君らは何十年何百年にわたって彼らからどんなひどい仕打ちを受けたか忘れたのか。
日本軍が進撃した時にはあんなに歓呼して迎えながら、負けたら自分のことは棚に上げて責任をすべて日本にかぶせてしまう。
そのアジア人のことなかれ主義が、欧米の植民地から脱却できなかった原因ではないか。』」
インド元大統領
ラグ・クリシュナン氏
「インドは当時、イギリスの不沈戦艦を沈めるなどという事は想像も出来なかった。
それを我々と同じ東洋人である日本が見事に撃沈した。
驚きもしたが、この快挙によって『東洋人でもやれる』という気持ちが起きた。」
インドネシア元首相
モハマッド・ナチール氏
「アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。
大東亜戦争は私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです。
本来なら私達インドネシア人が独立の為に戦うべき戦争だったと思います。
もしあの時、私達に軍事力があれば私達が植民地主義者と戦ったでしょう。
大東亜戦争とはそういう戦いだったのです。」
インドネシア元情報宣伝相
ブン・トモ氏
「我々アジアやアフリカの有色民族は、ヨーロッパ人に対して何度となく独立戦争を試みたが、すべて失敗した。
インドネシアの場合は350年間も失敗が続いた。
それなのに、日本軍がアメリカ・イギリス・オランダ・フランスを我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。
我々は白人の弱体と醜態ぶりを見て、アジア人全部が自信を持ち、独立は近いと知った。
一度持った自信は決して崩壊しない。
日本が敗れた時、『これからの独立は自力で遂行しなければならない。自力でやれば50年はかかるだろう』
と思っていたが、独立は意外にも早く勝ち取る事が出来た。」
インドネシア人
モハメッド・ナチール(再出)
『大東亜戦争が起きるまでアジアは長い植民地体制下に苦悶していました。
そのためアジアは衰えるばかりでした。
アジアは愚かになるばかりでした。
だからアジアの希望は植民地体制の粉砕でした。
大東亜戦争は私達アジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです。
日本軍は有言実行でした。
その第一は植民地政治の粉砕です。
第二は祖国防衛義勇軍を組織した事です。
第三はインドネシア語の普及です。
第四はイスラムの団結をはかった事です。
第五はスカルノやハッタを始めとした行政官の猛訓練です。
第六は稲作及び工業技術の向上です』。
最後まで、読んでくださって、みなさんどう感じられましたでしょうか。
私たちの世代が、若い頃にこうしたことを教えられあるいは知らされていたら、日本の今は、かなり変わったものになっていたのではないだろうか。そんな気がするのです。