マスコミもこぞって報じたと思われるアジア・アフリカ会議も終わったようです。
この会議に関して、各新聞もNHKも全然報じようとしない事実が色々あるようなので、さらにネットで調べてみることにしました。現在のこの先の見通せない世界情勢の中で、という理由だけではなくて、いろいろ報道しづらいこともあると思えます。
さて、アジア・アフリカ会議はインドネシアのバンドンで1955年に初めて開かれたので、バンドン会議ともいわれています。
ぼくは去年の暮れ頃、「ムルデカ17805」という日本・インドネシア合作の映画をみて、そのことについて今年の新年会で話をしたことがありました。話には聞いたことがあったのですが、戦争に負けた日本軍の兵士が帰国せずに居残り、再度戻ってきたオランダ軍と独立戦争を戦うという歴史ドラマです。この戦争で死んだ日本兵は数千人に及ぶと言われています。
有名なABCD包囲網の一翼を担うオランダは日本に宣戦布告し、日本はインドネシアに侵攻しました。そして300年にもおよぶ植民地支配を2ヶ月に満たぬ戦争で解き放ちました。日本は将来の独立を約束し、ペタと呼ばれるインドネシア人だけの「郷土防衛義勇軍」を養成します。「ムルデカ」はこの義勇軍を育て、後には自身もここに投じて独立戦争をともに戦った日本人の物語でした。
第二次大戦後の1955年にバンドンで開かれたアジア・アフリカ会議会議には29ヶ国が参加し、世界初の有色人種世界会議と言えるものだったのです。
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アジア・アフリカ会議について語られないこと
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