ネットで調べたことのある人にとっては、もうとっくに知っていることなのですが、この像は慰安婦ではないのです。
この像が置かれたのは2011年のことでした。
それから遡ること10年ばかり、2002年に、在韓米軍の装甲車が誤って女子中学生2名を轢き、死亡させるという事件が起こりました。議政府米軍装甲車女子中学生轢死事件と呼ばれます。議政府というのは事件が起こった地名です。その時はちょうど日韓でワールドカップ共同開催の年で、世界の注目がこの国に集まっている時でもありました。
当然韓国では反米の大デモが起こり国じゅう大騒ぎとなりました。そして、この事件はちょうど沖縄少女暴行事件のように忘れ去られることなく反米運動の根として続いたのです。
そうした中で、この事件を忘れないために少女の像が作られ、それは米国大使館前に置かれました。
そんな国際法にも違反し全く常識に反することにアメリカが黙っているわけはなく、すぐに撤去されたのでした。
これが何年のことだったのかは、どうもはっきりしません。しかし、撤去したものをそのまますっと日本大使館前に移動するなんてことは、考えられません。おそらく、何年か倉庫にでも放り込まれていたのだとぼくは考えています。
そして、2011年に慰安婦像として復活したというわけです。
毎週水曜日に日本大使館前で行われていた通称水曜デモの1000回目を記念して設置されたのだそうです。
少女像の顔は右の少女にそっくりだと言われていて、おそらくこの顔がモデルとなったのでしょう。椅子がなぜ二つなのかというのも、納得がゆきます。
しかし、黒い石板の説明では、次のように説明しています。「空いている椅子は、正義をいまだ証言していない高齢で死を迎えている生存者を象徴しています。」
そんなことをおっしゃるのなら、ナムルの家にある本当の慰安婦像をお並べになったらいかがでしょうと言いたくなります。もともとは「平和の少女像」と呼ばれていたものを「慰安婦少女像」などと呼び換えたのは、日本のマスコミだったようです。
最近ようやく少女を付けずに慰安婦像と呼ぶことが多くなったことはいい傾向と思えます。慰安婦像はナヌムの家にあるだけで、他にはない。慰安婦に少女などいなかったのです。
それにしても、この少女像の説明(英文)がひどすぎます。その実態は、ネットの次のURLでみてください。http://kyoukai.xyz/ianfuhibun/