ランチア・イプシロンのこと

ランチア・イプシロン

先月に10数年近く乗っていたランチアのイプシロンが突然動かなくなった。ランチアというのは、イタリアの名車で、ヘミングウェイの愛車だった。
白洲次郎が結婚したときに、父親の文平氏が新婦の白州文子にお祝いとして贈ったのはランチアだった。
昔、ローマからの帰り、空港の近くのペンションで車を呼んでもらったら、いわゆる白タクがやってきた。ローマの道というのは、ご存知のように石を敷き詰めた道である。そのガタガタ道をなんともスムーズに走る車に驚いて、思わず運転手に「これなんという車?」と尋ねた。
運転手は、そんなことも知らんのかと馬鹿にしたような顔をして「ランチアだよ」と答えた。これがぼくとランチアとの出会いだった。

名車 ランチア・テーマ

帰国してすぐに買い替えたのが、ランチアのテーマという車で、このテーマは日本でも愛好者が多かったことが後でわかった。というのは、まだインターネットのない時代で、パソコン使いのはしりの人たちは、パソコン通信で、共通のボードに書き込みを行って情報交換をやっていたのだが、そこにテーマ会というランチア・テーマの愛好者の集いがあることを知ったのだった。
毎年のようにスキーに行くリモーネ・ピエモンテの下の町クーネオには、ランチアの工場があった。だから、テーマの消耗部品などはそこで仕入れて持ち帰ることにしていた。そんなことなどを時折そのボードに書き込んだりしていた。
15年近くたって、古くなったランチア・テーマを手放そうとしたときに、それを知ったテーマ会の面々がちょっとした取り合いをしたらしかった。
そして一人の人が東京から拙宅においでになった。ぼくは、お持ち帰りいただければいいと思っていたのだが、その方は律儀にも少しのお金を置いていかれた。

買い替えるべきテーマは生産中止になっていたので、アルファロメオにした。これはイタリアでレンタルしたことがあって気に入っていたからだった。ただ、気に入ったのはぼくだけで、家内からはバイクのような運転をするとクレームをつけられた。
この車で困ったのは、グラスとかボトルとかを置くところがないことだった。置き台を設置しようにもそれができない。車のコンソールのどこにも平面がないのだ。コップなど置くな、運転だけしてろと言うことらしい。
実際のところ、イタリア車は、エンジン音や振動そのほかの全てが楽しく、音楽さえ聴く気にならないほどと感じられるのである。

そんなわけで、いつも楽しいドライブを続けたのだが、周囲の忠告を受けて、3年ばかりして、買い換えることになった。そして決めたのは、イタリアで乗ったこともある今のイプシロンだった。この車には左ハンドル仕様のものしかない。
その当時はまだ左ハンドルの外車もたまに見かけることもあったが、昨今ではほとんどなくなった。この15年ほどの間に世の中大いに変わった。
特にぼくが注目するのは、日本車のシートだ。日本車のシートはみんな腰が痛くなる。そう思っていたのだが、今はそんなことはなくなっている。
数年前に乗馬を止めると乗馬クラブに通うこともなくなり、車の運転は家内の独占となった。
買い替えた頃は、イプシロン時々見かけることもあったが、今では全くと言っていいほどである。大体左ハンドルの車も無くなったと言っていい。でもそんな希少な車はぼくにとっては好ましいと感じていたのだった。

さて、突然クラッチが入らなくなって、停止したイプシロンはクラッチを全交換して回復した。写真を見たが、クラッチ盤がボロボロになっていた。
昔から修理を頼んでいた人が、彼はもう仕事を辞めて、喫茶店をやっているのだが、知り合いを紹介してくれた。彼は、おそらく中古車の部品採りをして直したのだろう。
イプシロンは走るようになったが、ぼく自身、周りから運転はしないように言われている。高齢者による悲惨な人身事故がニュースとなるご時世だ。免許証返上しようと言う気はないが、運転はしないに越したことはないと思うようになっている。
回復したイプシロン、次はどこが壊れるのだろうか。とことん直してやろうと言う気になっている。

ランチア・イプシロンのこと」への2件のフィードバック

  1. 高田先生
    初めてコメントさせていただきます。新潟県在住の中山と申します。
    高校、大学と山岳部に所属し、いっぱしの岳人を気取っておりました。山渓の連載エッセー【なんで山登るねん】は毎号楽しみにしていました。(40年以上も昔、先生が県の山岳競技の秋季大会に来賓として参加され、巻機山の割引沢をご一緒させて頂いたことは良き思い出です)
    さて、今回のエッセーも楽しく拝読いたしました。
    私、6月に20年間31万Km乗った愛着ある車を泣く泣く廃車にしました。リッター当たり13Kmしか走らなくなったエンジン載せ替えて何とか40万Kmまで・・・と考えましたが、業者さんの返事はマッチするエンジンがないの一点張り。(だって、ベースは日産マーチ部品取りの車位いくらでもあると思う)ないのは直す気持ちなんだろうと諦めた次第。
    先生の【とことん直してやろうと言う気になっている】を見習って他の業者探せば良かったと後悔しきりです。
    所詮、車は移動する道具でしかないのですが、その夜は恥ずかしながら泣きました。
    高田先生、車の運転控えておられる由、どうかご自愛くださいますよう。

  2. 中山さん。
    コメントありがとう。巻機山のことは鮮明な記憶で今も残っています。
    御身充分ご自愛の上、健やかにお過ごしください。

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