先のブログ「訳の分からん一億総マスク現象」のコメント欄に書き込みがあり、それは今津さんからのものでした。彼は大変古い山の友人なのですが、もう20年以上も無沙汰だったのです。
彼と知り合ったのは、第二次RCCがエべレストを目指していた時で、その頃ぼくは関西の元締めをやっていたので、もう50年ほども前になります。
結局彼もぼくもエベレストには参加しなかったのですが、それから付き合いが続いていました。付き合いといっても、高岡のヨーコさんと一緒に奥飛騨温泉に時折出かけた際には必ず今津さんのログハウスを訪れることにしていたのです。
【縦書きは下にあります】
彼はログハウス作りのエキスパートです。出会った頃は大阪で山道具店をやっていたと思います。それがどうしてロクハウスを作るようになったのか。彼の語ったところでは、ぼくの記憶に間違いがなければ、ある女性が「退職金も含めて全部お金を出しますからログハウスを作ってください」と頼んだのだそうです。もともと大変興味もあったので、引き受けた彼は、全くの独学でロクハウス作りを学び実践してゆきました。
もちろんその間も山登りは続けていました。彼の山行は独特であまり人が考えないような至難なコースやルートを選ぶのです。中でも、冬季ヨーロッパ・アルプスのスキー縦走を成功させています。この辺のところがぼくと気が合った点かもしれません。会うたびに彼の計画を聞いては、「やめた方がいい。死ぬぞ」といつもいっていたように思います。
ある時彼が真剣にログハウス作りを薦めたことがありました。「体力がいる。今始めないと駄目だ」というのです。彼がよく話していたことですが、ログハウス作りを始めると、不思議なことにどんどん人が集まってくるのだそうです。
確かにずっと興味はありました。田舎の里にはいくつも山林があったからです。しかし、そうなると教師もコンピュータも辞めないといけない。それは無理と思っていたのです。
そんな訳で結局ぼくは彼のような転身は出来なかったのです。
彼が山道具店を閉じ家族とも別れ、ログハウス一途に進み出すと、次々と依頼が舞い込み始めたといます。そうなってログハウス作りは本業となったのです。その所為で、彼が最初に作り始めた今住んでいる奥飛騨温泉のロクハウスはいつ行っても完成に至っていないのです。
ロクハウスの室内は実に独特です。シンとして外の物音が全くしません。空気も独特で、深く息を吸い込むとなんだか胸の中が透明になったような気がします。本当になんだか異次元の空間に置かれたような気に、いつもなったものでした。
こんな空間で過ごせるとは、といつもぼくは彼を羨んでいたのです。
ある時突然彼はこんなことを言ったのです。 あのね、タカダさん。木は本来立っているもんでしょ。ぼくは長い間ログハウスを作り続けてきたんだけど、この頃ふと考えるんですよ。木を横にして使うなんて邪道ではないかと。
いや驚きました。あまりの唐突さと意外さにぼくは返答に窮し、黙っていたと思います。それでこの話は続かず、そのままになりました。おそらく彼は、覚えていないかもしれません。今度あったら訊いてみようと思っています。
今回彼が寄せたコメントで、彼がぼくより一歳年上で、最近87歳になったことを知りました。ぼくは今日の誕生日で86になります。
彼今津さんのことを思い出し、彼が語ったあのログハウスの感懐を思い出しました。そして、ぼくもあんなふうなことが語れるのだろうかと考えたのです。
はるか昔に辞めてしまったけれど、ずっと長い間ぼくは山に登り続けてきた。でも山って頂上を踏むべきものなんだろうか。本当の山好きは、山に登るより山に在ることを喜びとするものだとはぼくの変わらぬ信念です。山は頂上を踏むことより眺め崇拝し、そこに在って自分を見つめ直す処ではないのか。そんな気がしているのです。 86歳の誕生日[
彼と知り合ったのは、第二次RCCがエべレストを目指していた時で、その頃ぼくは関西の元締めをやっていたので、もう50年ほども前になります。
結局彼もぼくもエベレストには参加しなかったのですが、それから付き合いが続いていました。付き合いといっても、高岡のヨーコさんと一緒に奥飛騨温泉に時折出かけた際には必ず今津さんのログハウスを訪れることにしていたのです。
彼はログハウス作りのエキスパートです。出会った頃は大阪で山道具店をやっていたと思います。それがどうしてロクハウスを作るようになったのか。彼の語ったところでは、ぼくの記憶に間違いがなければ、ある女性が「退職金も含めて全部お金を出しますからログハウスを作ってください」と頼んだのだそうです。もともと大変興味もあったので、引き受けた彼は、全くの独学でロクハウス作りを学び実践してゆきました。
もちろんその間も山登りは続けていました。彼の山行は独特であまり人が考えないような至難なコースやルートを選ぶのです。中でも、冬季ヨーロッパ・アルプスのスキー縦走を成功させています。この辺のところがぼくと気が合った点かもしれません。会うたびに彼の計画を聞いては、「やめた方がいい。死ぬぞ」といつもいっていたように思います。
ある時彼が真剣にログハウス作りを薦めたことがありました。「体力がいる。今始めないと駄目だ」というのです。彼がよく話していたことですが、ログハウス作りを始めると、不思議なことにどんどん人が集まってくるのだそうです。
確かにずっと興味はありました。田舎の里にはいくつも山林があったからです。しかし、そうなると教師もコンピュータも辞めないといけない。それは無理と思っていたのです。
そんな訳で結局ぼくは彼のような転身は出来なかったのです。
彼が山道具店を閉じ家族とも別れ、ログハウス一途に進み出すと、次々と依頼が舞い込み始めたといます。そうなってログハウス作りは本業となったのです。その所為で、彼が最初に作り始めた今住んでいる奥飛騨温泉のロクハウスはいつ行っても完成に至っていないのです。
ロクハウスの室内は実に独特です。シンとして外の物音が全くしません。空気も独特で、深く息を吸い込むとなんだか胸の中が透明になったような気がします。本当になんだか異次元の空間に置かれたような気に、いつもなったものでした。
こんな空間で過ごせるとは、といつもぼくは彼を羨んでいたのです。
ある時突然彼はこんなことを言ったのです。 あのね、タカダさん。木は本来立っているもんでしょ。ぼくは長い間ログハウスを作り続けてきたんだけど、この頃ふと考えるんですよ。木を横にして使うなんて邪道ではないかと。
いや驚きました。あまりの唐突さと意外さにぼくは返答に窮し、黙っていたと思います。それでこの話は続かず、そのままになりました。おそらく彼は、覚えていないかもしれません。今度あったら訊いてみようと思っています。
今回彼が寄せたコメントで、彼がぼくより一歳年上で、最近87歳になったことを知りました。ぼくは今日の誕生日で86になります。
彼今津さんのことを思い出し、彼が語ったあのログハウスの感懐を思い出しました。そして、ぼくもあんなふうなことが語れるのだろうかと考えたのです。
はるか昔に辞めてしまったけれど、ずっと長い間ぼくは山に登り続けてきた。でも山って頂上を踏むべきものなんだろうか。本当の山好きは、山に登るより山に在ることを喜びとするものだとはぼくの変わらぬ信念です。山は頂上を踏むことより眺め崇拝し、そこに在って自分を見つめ直す処ではないのか。そんな気がしているのです。 86歳の誕生日
高田先生、お誕生日おめでとうございます。
桂高校では、生徒部の部屋行っては先生が淹れはったコーヒーをよばれました。
確か、50円取られた記憶もありますけど。
早いもんで、私らも67歳になってしもて、同級生やった嫁はんとも半世紀以上が経ちました。
似たような夫婦が何組か居るのも桂高校らしいとこです。NTTの会長やっとる澤田純くんも同じパターンの夫婦で、東京では近所に住んでます。
今週も桂の後輩やった弟と京都で飲んでて、高田先生の話題で盛り上がりました。
ほんま、けったいな先生が仰山居られた学校でした。
高田先生、ますますお元気でお過ごしくださいませ。
中村 明記 拝
誕生日おめでとうございます。
元気そうで何よりです。
でもマスク無しでの人ごみは
避けてください。
>>中村明記くん 顔思い浮かばないんですが、コメントありがとう。会う機会があればいいですね。