桂高校同窓会に出る

先ごろ7日の土曜日、昭和79年度卒業の桂高校同窓会に行ってきました。
この会は、オリンピックの年に開くことになっているのだそうですが、2年遅れの開催となったようです。
例によって、教師の参加はぼく一人でした。ほとんどの人が亡くなっているのですが、ぼくと同年輩くらいの若い人もいたはずなのですが、体調不良とかで参加できなかったそうです。スマホのカレンダーで検索してみると、こんな具合に出てきました。

2002/08/10    カマンプラザ        昭和54年度同窓会
2005/02/26   平安会館          昭和43年度同窓会
2005/03/06 ぱ・る・るプラザ      昭和54年度同窓会
2009/03/21 メルパルク京都       昭和54年度同窓会
2010/05/02 京都ブライトンホテル    昭和43年度同窓会
2012/06/09 ホテルグランビア京都
2013/09/22 がんこ三条本店       昭和54年度同窓会
2014/06/15 ホテル日航プリンセス京都  昭和39年度同窓会
2014/11/11   桂高校同窓会(11:00〜)
2015/05/16 新都ホテル      昭和43年度桂高校入学50周年記念同窓会
2016/05/28   桂高校同窓会
2024/11/12 新都ホテル         昭和39年度卒同窓会
2026/03/29 新都ホテル         昭和39年度卒同窓会
2026/09/05 がんこ三条本店       昭和54年度同窓会

ぼくの記録がしっかりしてなくて、2012,2014,2015,2016各年のものは、主体がはっきりしません。わかる人がいたら教えてください。
この写真は1979年4月に卒業した、ぼくが担任したクラスの写真で真ん中あたりの髭を生やしているのがぼくです。それにしても、意外に何度も開かれていて少し驚きました。39年度というのは1964年で、パキスタン・ディラン峰遠征の前年。54年度というのは1979年でラトック1初登頂の年です。これ何か関連があるのだろうかと考えてしまいました。
今度の出席していたのは60人ほどで、がんこ寿司3階の細長い会場いっぱいの賑やかな会でした。
教え子の何人かが挨拶にやってきます。そのほとんどは、あまり覚えていません。こんな時、家族のことや仕事のことなどを尋ねると会話が続くはずなのですがをそれをしないので数分で、話が終わってしまいます。これは、今大いに反省しているところで、次からは改めるべきだと考えています。

絢辻行人君(右)と話しました。彼もいつも出席しています。絢辻君は山登りの教え子の竹田君と同じく現役で京大に行った秀才です。正統派のミステリー作家で素晴らしい業績をあげています。このショットを撮ったのは谷舗君で、中退した彼は一年ばかりの山登りだけの付き合いだったのですが、その印象がよほど強烈だったらしく、長い空白を経て、『なんで山登るねん』の文庫本化の出版記念パーティでの再会を機に、完全密着状態となり、イタリア・スイスなどのヨーロッパまたパキスタンなどいつもぼくに同行しています。
このひだりの女性が慶ちゃんで、ずっとこの同窓会をアレンジしてくれています。祇園切り通しの地階のPickaUpというライブハウスのママでもあります。会が終わったので、ぼくは谷舗に席が空いてるシガー・バーを探してくれるように頼み、ほとんど人のいなくなった会場に一人座っていました。

すると一人の卒業生が話しかけてきました。彼が語ったことはほんとにぼくを驚かすに十分だったのです。
いくつかの質問をしましたが、ぼくはほとんど口を挟まずただ聞いていました。彼はこんなことを話したのです。
ぼくは先生の授業が大好きでした。あんな授業は他になかったからです。好きというより愛していたと言った方がいいかも知れません。他にはない余裕がありました。聞いているとなんか落ち着くんです。どの時間もなんか追い詰められていてあくせくしていて、ゆったりした落ち着きがない。ほんとに先生の授業は肩の力を抜いて聞いておれたんです。やはり人間余裕を持って生きねばなりません。そんな気持ちに、先生の授業はさせてくれたんです。いつも授業を受けて、ほっとして救われたような気持ちになったんです。
彼は二浪して滋賀医大に入ったのだそうです。

いや驚きました。まさに驚天動地と言っていい。ぼくが認識していたぼくの授業というのは、関係のない山の話をする。遅れて来る。鐘がなっても平気で延長する。雨が降ったら休講する。受験に関係のない内容を教える。そんな内容の授業をするダメ教師という評価を与えられていると思っていました。
でもぼくにはある自信がありました。俺は応用科学・生物化学の最先端を履修した化学者なんだ。誰にも負けない。だから、学習指導要綱などはほとんど見もしませんでした。自分は俺の化学を教える。そう思っていました。
こんなことがありました。ある時阪大の応用化学科に進学した一人の教え子が化学教官室を訪ねてきました。彼がいうには、先生の授業を受けて、化学というのはすごく論理的な分野だと思って進学したんですが、全然違った。それで、物理学科へ転科したんです。そう言うのです。
「そうか。それは悪かったなぁ。わし非論理的なとこはみんなすっ飛ばしたんや」
その時、聞いとるやつは聞いとるんや。そう思った覚えはあります。
それにしても、ぼくの授業を余裕の授業、ゆとりの授業、そんなふうに聞いてくれてた生徒がいたんなんて。こんなびっくりするような話を、教師をやめて40年以上も経って聴くことになるとは。長生きはせんなんもんや。その時ほんとにそう思ったのです。

会場を出て、谷舗が勧める二条通りの鴨川近くにあるK6というバーにゆきました。カウンターだけの小部屋があってそこがシガー室になっています。いいハバナを揃えていました。保存状態のいいホヨ・ド・モントレーをカカオ・フィーズで存分に楽しむことができました。ここに12時近くまでいて、それから慶ちゃんの店にゆき、とっても美味しい689という格好のいいラベルの赤ワインを頂いて、帰路についたのでした。

 

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