新聞配達のバイクの音がした。今朝の京都新聞の朝刊を取りに出る。
ずっと取っていた朝日をやめてからもう10年以上になろうか。ベルリンの壁崩壊以後、急に朝日の記事が呆けてることに気がついた。腹立たしいこともあったりして、京都新聞に変えた。
さて、新聞の3面に「尖閣は領土」積極主張。日本方針転換、中国の非難に対抗、という見出しで尖閣の記事がある。
積極主張って、少々遅いんではないですか。
先日は、野中広務というご老人が、中国のテレビに出て「まことに申し訳ない。このごろの若い人は歴史を知らない」と驚きの謝罪をしたかと思ったら、次には大江健三郎というノーベル賞作家が反日の同士を募り、さらには村上春樹氏が朝日に反日のエッセーを載せた。
こうした人々が、堂々と発言できるところが、日本が平和な民主主義国家である証ともいえるのだろう。
こんな人たちは、自分のことを決して反日とは思ってはおらず、自分は知識人として穏やかな中庸論を唱えていると思っている。そして、島は分け合えばいいではないかという。
商取引やビジネスの世界では、そうしたウィン・ウィンの関係が成り立つかもしれないが、こと領土に関しては、取るか取られるかの二つしかない。
そうした感覚は、土地に根ざした日本の農民たちが大昔から知っていたことではないだろうか。
ところが、田舎を捨て、都会のビルのマンションに住む人々には、その感覚はとっくに失われてしまっているのだろう。
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「憂国」カテゴリーアーカイブ
尖閣問題を考える(プライム・ニュース/BSフジ)
このところ、報道番組に頻繁に取り上げられているが、そのほとんどがしっかりとした報道とは言えないものであり、解説者もあなたどこの国の人と言いたくなるようなものが多い中で、はじめてすっきりと胸に落ちた番組を見た。尖閣問題である。皆さんにも知ってもらいたいと思い、一晩がかりで文字にした。映像を入れたいのだが、あいにく数日前から自作PCが故障している。
mac book proでやるにも、DVDにしようとは思っていなかったので、cprmプロテクトをはずす設定をしないまま録画した。マックはcprmプロテクトがかかったDVDは読めない。このcprmプロテクトを外すには、PC上での作業が必要となる。
というわけで、画像の挿入は少し後になる。
ところで、PCの故障だが、電源が突如落ちだした。起動後1時間くらいでほぼ確実に瞬断する。落ちたら、しばらく放っておかないと、すぐには起動できない。原因は電源ユニットかCPUの熱暴走が予想できた。そこで、CPUの温度を検知するフリー・ソフトを落として調べたら、すぐに高温になり70℃近くで落ちることが分かった。そこで、ともかくCPUクーラーを高性能のものに取り替えることにしてオンラインで注文した。
Amazonにはなんでもあって、朝方に注文しても夕方には着くことが多いので、重宝している。2:00頃オーダーしたから20:00頃には着くだろう。
だから、明日には絵が入るということで、この一晩がかりのがんばりの成果をアップいたします。
プライムニュース:尖閣問題を考える
キャスター:八木亜希子、反町理
出席者:
新藤義孝;自民党衆議院議員、1996年初当選(4期目)総務、外務政務官や経産副大臣を歴任、現在自民党・領土に関する特命委員会委員長代理を務める。
山田吉彦;東海大学海洋学部教授、海洋政策研究財団研究員
日本財団で海洋船舶部長、海洋グループ長などを務め2009年より現職、先月東京都専門委員に選任され、尖閣諸島に関する調査研究を行う。
宮家邦彦;キャノングローバル戦略研究所研究主幹
1978年外務省入省、日米安保条約課長、在中国大使館公使などを歴任し、2005年退職、阿部内閣で首相公邸連絡調整官を務める。
山本周:フジテレビ解説副委員長
官邸、自民党などを担当、政治部長、報道局次長を経て現職。
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八木:新藤さんは、超党派の議員で構成する「日本の領土を守る為行動する議員連盟」がこの魚釣島周辺海域で行った戦時中に遭難した疎開船の犠牲者に対する慰霊祭に参加されました。まずこの慰霊祭というのは定期的に毎年行われているものなんですか。
新藤:地元の遺族の方達がおやりになっています。昭和44年に実際に島に上陸して一度だけ現地で行われて、以来上陸を政府が認めませんので、石垣島の方に別の慰霊碑を造って慰霊祭をやってるという状態なんです。8月の19日というのは昭和20年に遭難して音信不通になって7月の3日にアメリカ軍に撃たれて船が沈没して、一隻は沈没一隻は航行不能になって、島に流れ着いて、それから約一ヶ月飲まず食わず餓死したり病死したり。
反町:魚釣島に漂着した疎開したというか避難船だったんですか。
新藤:石垣島から台湾に疎開せよということで、2隻の船が出かけていって、7月3日、アメリカ軍に撃たれて一隻は沈没全員死亡、一隻は魚釣島に流れ着いて一ヶ月近く音信不通、筏を組んで決死隊がようやく島にたどり着いて、呼んで来て救援船がようやくたどり着いたのが8月19日なんです。
(注:この事故についての詳細は、ここで見ることが出来る)
だから我々は、その日にあわせて上陸して慰霊碑のあるところでやろうじゃないか、それはまた遺族の願いでもあるということで企画をした訳です。
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中国人の尖閣への強行上陸について
大騒ぎになってマスコミを賑わわせたこの問題も、強制送還という結末で落着したようです。
この穏便な処置に自民党の例えば石破さんなどは怒りを表明しているようですが、これは多分に選挙対策で彼自身はこうした問題に通じていますから、自分が責任者であったなら同じ対応をしたと思われます。どうしてかというと、現在の日本の法体制ではエスカレートしたらとんでもなく不利な状況に追い込まれてしまうのははっきりしているからです。
今回の事件が、前の中国漁船衝突事件と異なるのは、中国側やアメリカなどとの外交交渉というか事前打ち合わせが充分にされていた点で、そのためあの衝突事件のようなぶれが一切なく、中国側とも打ち合わせの通り、速やかな強制送還という結末に至ったと思われます。
アメリカだって問題がエスカレートするのは大変困ったことになりますし、というのはアメリカは以前のように強い態度で取り仕切ったりできないからです。
中国にはいくつもの今回やって来たような団体があり、つねにそうした団体の行動申請を抱えていると思われますが、今はあんまりやってほしくないので、それを認めず押さえている。でも、完全に押さえるのは難しいし不満を起こさせるのはまずい。まあ香港というちょっと外れたところの団体なら知らん間に行っちゃったという言い訳も可能だということになったのでしょう。
そんなことで、奴らはやって来たのだけれど、この連中を怪我ささず日本側にもけが人が出ず、穏便に返すのにはどうするかと考えると、下手に難破ささずに上陸させ、そこで逮捕するのがもっとも安全なやり方だったと考えられます。
つまり、海上にある限り、通行の自由は公海法で定められており、進行中の船を無理に止めることは領海内であっても難しい。そこで魚を捕っておれば捕まえることは出来ますが。
そこで、うまい具合に危険な海岸部分に向かわないように誘導して上陸させた。上陸してしまえば、日本国内ですから不法入国、銃や刃物を持っておれば銃刀法違反、公務執行妨害などで逮捕が可能です。そして不法入国による強制送還という決められたルーチンに乗ったということだと思います。
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オスプレー配備強行であぶり出されるもの
BSイレブンにINsideOUTという番組があって、時々見ていた。冒頭のシーンが、若者が会社の階段を駆け上っていて、そこへ上役とおぼしき男がおりて来て踊り場で出会う。若者は喘ぎながら深く腰を折ってお辞儀する。という分かったような分からんような画面から始まる番組だった。誰かゲストを呼んで話を聞くという政治的なテーマを扱う番組だったと思う。
鈴木宗男が収監される前に呼ばれて、こんな話をしたのを印象的に覚えている。その頃話題になっていたネドベージェフが北方領土を訪問したことについて、鈴木氏はこう言った。
「外務大臣は抗議なんかするからおかしくなる。歓迎の横断幕を持って先に出かけて、よくおいで下さいましたと出迎えたらいいんですよ」外交というのは、そういう柔軟さと懐の深さが必要ということだった。
鈴木宗男氏は、日本の外務省官僚が、共産党を使ってつぶして、塀の中に送り込んだ。小沢さんに関しても、なりふり構わず同じことをしようとしたが、うまく成功しなかったのだろう。とぼくは信じている。
さてその後、この番組はキャスターの顔つきも気に入らなかったのであまり見ることもなくなっていた。
ところが、このINsideOUTに田中宇(さかい)氏が登場することを知り、録画した。田中宇氏とは、ずいぶん前に丹後の宿で夜更けまで語り合ったことがあった。このことについては、この<葉巻のけむり>のTPPで日本はつぶれるで触れた。
INsideOUTのテーマは、「オスプレー配備強行、日米が隠す新事実とは」というものだった。番組はリニューアルされており、キャスターも一新されていた。日本の状況に関して、ぼくが感じ思っていることを明確に語っていると思った。例えば、「日本は民主主義だから自立したい、例えば鳩山さんなんかがそういって政権を作った」などというのがそれで、鳩山・小沢は、意図的に貶める世論形成がマスコミによってでっち上げられているとぼくは思っている。
そんな訳で、この番組の内容を、ここで部分的に抜粋引用することにした。全文はいづれ、<高田直樹ウェブサイトへようこそ>の資料欄にアップする予定だ。
オスプレー配備強行、日米が隠す新事実とは
出席者は、山口一臣(週刊朝日前編集長)、金子秀敏(毎日新聞論説委員)そしてゲストの田中宇(国際情勢解説者)。
田中宇は、ようやく最近テレビに呼ばれることが増えて来たようだ。朝日テレビのモーニングバードなどにも出演している。しかし「朝生」や「たかじんそこまで」などへの出演は、ないようだ。むかししゃべった時に、ああいう番組の出席者はあらかじめ一方的にセレクトされているし、出ても面白くないんです。ぼくは浮いてしまうんですと話していた。
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いじめ自殺事件について(2)
大津市のいじめ自殺事件の報道は、なおも続いているのだが、先頃BS11のプライム・ニュースという番組で、この事件を取り上げていた。
政治問題などもゲストを呼んで、かなり突っ込んだ内容だったりするので、時々は見ていた。
反町という難しい顔をした少々目つきの悪いフジテレビ政治部編集委員という肩書きのメインキャスターと、きれいな顔で賢そうな大島という女性のサブ・キャスターそれに解説委員の小林泰一郎の3名が局側のスタッフである。
「日本の教育現場、いじめの現状と対策」と銘打ったこの番組で、ぼくが興味を持ったのは、ゲストの二人がどちらも愛知県と関わりを持った人間だったことである。
戦後の日本の教育は、日教組と文部省の対立の中で、生徒を置き去りにしたままに進行して来たという事実がある。その対立の中で最左翼といわれ、民主教育の本山とされていたのは、京都であり京都教育と呼ばれた。一方愛知県はその反対の極にあり、京都で蜷川府政が風化崩壊した頃、京都府教委は校長候補生の教員を愛知県に研修に送って日教組つぶしを学ばせたりした。その愛知県からの二人のゲストである。
ゲストの一人、斎藤嘉隆氏の経歴に興味を持った。Wikipediaによると1991年愛知教育大学体育科を出て小学校教諭となったが、5年して1996年に名古屋市教組の執行委員となっている。2000年には愛知県の県教組の執行委員、2003年に連合愛知執行委員(連合というのは日本労働組合総連合会)、2007年愛知県教祖執行委員長連合愛知副会長、そして2009年教育委員会に移ると共にすぐ退職し、民主党に入って2009年佐藤泰介参院議員の地盤を譲り受けて、2010年民主党の一回議員となっている。
大学を出て、5年は現場の教員だったといえるが、以後は教員組合の専従教員で、ほとんど教育現場にはいなかったのではないか。京都では、組合専従になると授業はほとんどないくらい減免され、組合活動に専従するのが常であった。
番組の紹介にあるように20年間小学校の教諭だったという説明は、籍はあったのだろうが、少なからず嘘といっていい。また、教育委員会にも出向したという紹介も、嘘ではないが、それで教育委員会の実態が分かるとは思えない。教育センターというところは、教育委員会の管轄ではあるが、ちょっとした離れ小島で、例えば京都では、組合の強力なイデオローグなどを島送りする場所であったりした。だから、教育現場での経験と、委員会の実情が分かっているとも思えないのだ。
どんなことをしゃべるのか興味を持った訳である。
もう一人のゲスト、内藤朝雄氏。1962年東京都に生まれだが、愛知県立東郷高校を中退。同高校在籍時代は、愛知県各地で実施されていた過酷な管理教育の洗礼を受ける。この体験は、後の内藤のスタンスへ大きな影響を与えることになった、とWikipediaにはある。(おそらくいじめも体験したと思われる。TV画像の、その少々エキセントリックな表現をききながら、この人はほぼ間違いなくいじめを体験していると思った)。その後、通信制高校をへて山形大学へ、さらに東大大学院総合文化研究科に進学。博士課程取得後、明治大学准教授となり、東大と立教大の非常勤講師でもある。
『いじめの構造〜人はなぜ怪物になるのか』ほか、いじめ関連の本をたくさん書いていて、いじめ研究の第一人者とされている。
この対照的な二人がどんなことをしゃべるのか大いに興味を持った。
この番組を見ながら、教師だった昔が色々とフラシュバックし、バカかと思ったり、なるほどと感じ入ったりした。
番組の終わりがたに、斎藤氏が、いじめの問題はクラスで話し合って必ず解決できると、大昔の組合理論を述べ、内藤氏がそういう話し合いは、つるし上げの場になることもあるとちょっと反論するという場面があった。
むかし、「一人の悩みはみんなの悩み」というクラスの標語みたいなものがあって、職員会議でこの考えがやたらに教条主義的に強調され、みんなで話し合って解決しようと強制されるような場面があった。ぼくはそういう組合的な集団指導や集団主義には懐疑的だった。
教師になりたてのぼくは、60年代当時、まだあまり知られていなかったノンディレクティブ・カウンセリングの研究をしていたので、少々馬鹿らしくなって、こう発言した。生徒の一人が、ペニスが小さいと思い悩んでいたとして、そうした短小コンプレックスはクラスの話題になりますか。一同あっけにとられたようだった。
この辺りのことは、京都新聞連載の『いやいやまあまあ』の「問題生徒はぼくのカウンセラー」に書いています。
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またマズッタのか日本外交
尖閣問題が大きくなっている。
ことの起こりは、石原都知事の尖閣の3島の買い取り発言だった。
共感を示した国民から続々寄金が集まり、その額は12億円を超えたようだ。
中国は当然反発をした。
そのまま放っておけば、中国は日本に回答を求めてきただろう。
その時、領土問題は存在しないとしてきたのだから、政府はこう答えればよかった。
「いや、これは国内の問題ですから、国内の売買に関しては国が口出しする気はないのです。国内問題には、口出しはしないで頂きたい。」
そう突っぱねればよかったと思う。
ところが突然、浅はかにも、国が買い取りたいなどと言い出した。
これによって、領土問題はないという立場を失うことになってしまった。
少なくとも、尖閣は領土問題と国際的に認識される結果となったのではなかろうか。
さきのG20でも、野田首相は中国との首相会談で1時間も待たされてじっと待っていたそうだ。
15分待って来なければ、席を立つべきだったし、それが常識ではなかろうか。
日本の外交音痴とも言うべきことが多すぎるこのごろである。
[追記]
今日の国会中継で、尖閣問題での丹羽中国大使の発言(都知事の買い取り宣言は日中関係に禍根を残す問題発言と表明)に関して更迭が必要だったのではないかとの質問があった。これに対して玄葉外務大臣は「本人は大変反省しているから」と答弁した。これは既に政府の対応だったのだが、これもまた外交音痴あるいは慮外者的思考なのである。
問題は、本人の反省如何という次元のものではない。
国会やマスコミでいくら政府はそう考えていないといっても、それは中国や外国には伝わらない。大使の発言が問題であるとするならば、直ちに呼び戻し更迭、あるいは減給その他の処罰をし、それを公表することによって初めて政府の意図が外の諸国に伝わるのであって、慌てて打ち消し弁解しても何の意味もないのである。
高校の生徒会ではないと言いたいくらいである。
これまた国家的詐欺ではないのか
あの動画は、地デジには対応していない古いDVDレコーダーで録画したものです。
テレビもDVDレコーダーも、地デジ対応でなくても、古いもので2015年まではちゃんと受信できるのです。
このことについては、すでにこの『葉巻のけむり』に書きました。アナログ機器で地デジが見れる
繰り返しになるかもしれないのですが、これはケーブルテレビ局の「デジアナ変換」によるもので、デジタル波を変換し、アナログテレビでも視聴できるようにしている訳です。
総務省が地デジの受信環境を整備するため、昨年から、自治体や民間企業などのケーブルテレビ事業者に導入を求めてきた。
このサービスで、2015年3月末まではアナログのテレビでも普通に地デジを視聴できるという。
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東京電力の「ございます」
3.11以後、何度も行われた東京電力の会見で、バカ丁寧というか、ちょっと普通は使わない言い回しとして、「〇〇〇〇ございます」というフレーズが多用され、大変気になっていました。
それで、これについてこの『葉巻のけむり』に書こうと思って、実例を引くべくYouTubeを検索してみたのです。多くの会見の映像があったのですが、そうした「〇〇〇〇ございます」というフレーズを見いだすことができませんでした。どうしてかと考えて気づいたのですが、この言い方は技術関係の人はしないということなのではないかということだったんです。
そんなことで少々困っていた時、全国の電力会社の株主総会が同じ日に一斉に開かれたという報道がありました。これは、反対派を分散させようという作戦だったようです。
東京電力の株主総会では、猪瀬東京都副知事が質問にたって、東京電力病院がどうして資産整理のリストにないのかを追求しました。TVが報じるその東京電力病院の内容は聞いて本当にびっくりするようなものでした。
この病院は、天皇陛下などもご利用になられる慶応病院の横にあるそうなのですが、どの病院にも見られるビル壁面に病院名の表示がない不思議な1700坪の大きな病院です。1951年に”職域病院”として開設されたそうです。東京電力の福祉厚生費によって運営される社員のための病院で、社員とその家族とOBのみが利用可能で一般患者は対象外で診てもらえません。
診療代は給料天引きでOBには、後で請求書が郵送されるということになっている。
ベッド113床のうち、稼働率は20%。運営の費用は福利厚生費から出ており、それは電力料金に上乗せされている。
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『なんで山登らへんの』の転載を終えて
『なんで山登らへんの』の転載を終えて
23回に亘った『なんで山登らへんの』の転載が終了した。
この記事は1996年から97年にかけて、〈山と渓谷〉誌に連載したものだった。
山渓連載の記事はいつも、終了後すぐに単行本になっていたのだが、なぜかこれは例外だった。
1996年とか97年といえば、いまから15年前になる。ぼくが高校教師を止めたのが、1990年。
当時の世界の状況を見てみよう。
80年代に入ってドルの信用低下に不安を覚えた先進五カ国は、円高ドル安に誘導する為、アメリカ・ニューヨークのプラザ・ホテルに集まった。この1985年のいわゆる「プラザ合意」によってドル安円高が起こり、これを防ぐべく日本政府がうった過度な対策の結果、バブルが発生した訳だ。
でもこうしたことは、後になってわかる訳で、その当時はそんなことはなにもわからず、54歳のぼくは、宮仕えを止めて自由の身になってなんとなくおおはしゃぎ。円高のうまみを享受しながらアメリカヨーロッパと渡り歩いていた。
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百名山に登る意味って何です?(1997.1.1)
なんで山登らへんの 第21回 1997.1.1
体験的やまイズムのすすめ
高校生の頃、定期試験の前になったりすると、決まったように無性に本が読みたくなったりしました。
かっては全然面白くなかったので、途中でほっぽりだしたものであっても、不思議なことにこれがやたら面白くて、止められなくなる。
困ったぼくは、試験期間中は、押入の上段に机と試験科目の教科書と参考書だけを持ち込んだものでした。
不思議なことに、この連載原稿の締め切り間際になるといつも決まったようにぼくのマックが不調となるのです。
今回などは強烈で、家のⅡfxとオフィスの7500が相次いでおかしくなりました。
Ⅱfxはもう10年以上も経ったマシンです。値段は当時なんと100万円以上もしました。もともとはマックⅡで、後に新型のⅡfxが出たときに、ボードを差し替えてⅡfxにアップグレードしたのです。
その頃、マックといえば、いわゆるディスプレー・本体一体型でした。
はじめて本体と分離された型のマックⅡの専用のディスプレーはまだ輸入されていませんでした。通の人はもっぱらソニーのディスプレーを使っていました。
もっともアップルのディスプレーはソニーのOEMでしたから、それでなんの差し支えもなかったのですが……。でもぼくは純正のディスプレーが欲しかった。大阪の支店長に掛け合っても、あまりらちがあきません。
東京のパーティーで行き会ったアップルの社長に頼むと、あっさりと引き受けてくれました。(注:この人現在のマクドの社長さんです)
ついでにいうと、今ではごく普通の3・5インチのディスケットは、そのころはマックでしか使われていませんでした。マックを作ったスティーブ・ジョプスが日本に来て、当時ソニーでまだ試作段階だった、この恐ろしく小型の記憶媒体の採用を決めたという話です。
当時、ぼくはまだほとんど実務の実用とならないマックを「極めて教育的マシン」として、みんなに推薦していました。だから現在ぼくの周りの人間は、ほとんどがウィンドウズもマックも使えます。ぼく自身は、五年ほど前から、ほとんどマックになってしまいました。
大学の夏期集中セッションの時と、ウィンドウズソフトの開発の時以外、ウィンドウズはほとんど使いません。
独断と偏見の大家を自認するぼくとしては、マイノリティであることのほうが、どうしようもなく気色がいいのです。
Ⅱfx不調の原因はどうやら内蔵のニッカド電池の消耗のようでした。
ほとんど同時に二台のマシンの機嫌を損じてしまったぼくは、そんなこと出来るわけもないはずなのに、「まあやりながらでも構想は練れるやろ」とハードディスクのフォーマットからやり直して、マック二台のシステム・インストールを始めたわけです。
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