葉巻の愉しみ

タバコ吸いはどうも肩身の狭い感じのする昨今ではありますねぇ。
野田内閣の閣僚のおばちゃんが、皆さんの健康を守るためです・・・などと発言したので、「そこまで言って委員会」でざこば師匠は怒りました。
「人のことはほっといてくれ」

ガキだった頃、大人が吸う煙草に興味があったんでしょう。田舎のるり渓で、ぼくは祖父さんの刻みたばこを盗み出し、悪童の友達と二人農機具小屋に隠れてキセルを吹かせたことがありました。
直ぐに、頭が痛くなり吐き気に襲われました。その悪童の連れは「水に入ったら直る」といって駆け出しました。二人でそばの川にフリッチンで飛び込みました。

こういう初体験があった所為なのかどうか、高校でも大学でもタバコはやらなかった。
高校の頃、喫煙検査なるものがありました。先生がリトマス試験紙みたいな紙切れを渡し、みんなに舐めさせます。色が変わったら喫煙している証拠です。
検査になると、廻りのクラスメイトが一斉に紙をぼくに渡します。素早く舐めて返します。そんな舐め屋みたいなことをやっていました。

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『サンデルよ、「正義」を教えよう』を読んで

サンデル教授の「白熱教室」がけっこう人気を呼んでいるようです。
先日の「木曜ミーティング」でも、何度か話題に上がりました。

話が横道にそれるのですが、この木曜ミーティングについて説明したいと思います。
これは、今に至るまでもう25年近くも続く集まりで、毎週木曜に集まる。
その頃は、当時やっていた会社で夜開かれ、京都府の運転免許証管理システムをコボルで書いた警察官や有名電機企業のプログラマーなどプロフェッショナルを含む20人近くが参加していた。

当時は、まだDOSの時代で、Pascal(TurboPascal)というコンパイラー言語を使って、WISWIGをどう実現するかなどの研究をやっていた。
たとえば、画面にキーボードの絵が表示され、そして線書きの手が表示される。あるキーを押すと、画面上のその指が、そのキーに動くというようなコードをどう書くか。などとゆうようなことに熱中していた。参加者も熱心で、夜半を過ぎても終わらないことも多かった。

やがて、ウィンドウズが発表されると、テーマはOOP(Object Oriented Programing)(オブジェクト指向プログラミングのことで、ウープと読む)に移った。主催者兼講師のぼくは大変で、ウープの講座を求めてアメリカ、イギリスと転々としたものだった。
この集会は、今も同じ木曜日に開かれているが、もう勉強会ではなく、四方山話をするサロンとなり、参加者も数名になった。
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プチ断食その後、明らかな変化が

前に書いた通り、あのプチ断食を行ったのは、8月22日のことでした。それで、その後どうなった?
もう一ヶ月以上経ったので何らかの報告をしないといけないと思っていました。
そしたら、ぼくがダイエットを秘密でやっているという噂が流れているという話です。
「高田センセ内緒でダイエットしたはるらしいよ。女の子みたい」
ぼくは、ダイエットをしているつもりはほとんどありませんでした。
断食後、炭水化物をまったく摂らないように心がけただけです。
でも、明らかな変化が起こりました。

おやつが欲しくなくなりました。それまで夜中におやつを食べるのがけっこう習慣化していたのです。夕食の後に、好物の豆餅などを食べるのが常だったのに、そうした甘いものを食べなくなった。
たまに、口が寂しくなる時もあって、そんなときは「これも炭水化物なんや」と思いながら、ビーナツの混じった柿の種の小袋を食べることはありました。

どんなものを食べていたかって?
まず朝食といっても、起きるのは昼頃ですから、ブランチなんですが、スープとお豆腐の冷や奴、それに生野菜のサラダ。
夕食は、牛肉や鶏肉。牛肉はランプをステーキやカルネクルード(イタリア風に出刃で叩いてミンチにしてオリーブオイルをかけて食する)にする。

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「池上彰の現代史講義」がおもしろい

池上彰の20世紀を見にゆく」が面白い、とはこの間書いた。
このBSジャパンの番組は今も進行中である。1話CMを含めて10分のものが土日を除く毎日2話ずつ放送されている(6:40~7:00)。
今日は、56話「シンガポール攻略 山下奉文とパーシバル」と57話「アジアの要塞 イギリス領香港攻略」だった。

いづれも勝ち戦である。54話の「真珠湾攻撃」のすぐ後だから日本軍絶好調の頃で、見ていて気分がいい。
最終話の第103話「日本敗戦」まで、まだ大分楽しめそうだ。
この「20世紀を見にゆく」は日清日露の戦争に始まって日本敗戦で終わる103話のフィルム構成の番組である。
たしかに、この「フィルムに刻まれた20世紀の記憶」は、色々な意味で「未来への遺産」であると思える。

もう一つ同時進行中なのが、「池上彰の現代史講義」である。こちらもBSジャパン。「20世紀・・・」が敗戦までであるに対して、こちらは敗戦後から現在に至るものでだから、ぼく自身の見聞にもより近しく、より生々しい感覚と思考を得ることができるようだ。

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ヘッダー画像の説明

『葉巻のけむり』のヘッダーの画像は、私の撮ったものが15枚ほどプールされていて、ランダムに表示されるように設定してある。
中には、なんのことか分かりにくいものもあるので、おりおりに説明文を書いて行くことにした。

パキスタンのフンザ周辺では、いまも薬用としてケシが栽培されている。子供の頃、風邪を引くとミルクに混ぜて飲まされた。よく効いたよ。ナジールはそういっていた。

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プチ断食を行う

つい先頃、プチ断食なるものを行った。
丸一日半くらい水以外を口にしませんでした。
少し前から、知り合いの美容外科の女医さんKちゃんが、しきりに断食を薦めたからである。
回教圏では年1回の重要な行事として断食月(ラマザン)の断食がある。回教圏では月を基準にした太陰暦を基準としているので、新月から新月までの一ヶ月が断食月となる。

この約30日間、ムスリム(回教徒)は、日の出ている間一切のものを口にしてはいけない。日の上る前に朝食を済まし、夕方日没とともに断食明けの食事(イフタリ)を食べる。
ラマザン月に回教圏の都市にあなたがいたとする。夕方、あなたは不思議な体験をするはずだ。夕闇がちがづいて日が没するとともに、独特の喧噪に溢れていた街全体が、突如水を打ったような静寂に包まれるのだ。全ての人々が一斉に食事を始めるからである。
例えば、商店などでは、店にいる全員が床に敷いたシートの上で車座で食事を始める。一番最初に食べるのは、棗(なつめ)などのドライフルーツと決まっている。

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ぼくは軍国少年ではなかった

どうやらぼくは軍国少年ではなかったと思える。同年輩の人たちの話から、考えるとどうもそんな気がする。どうしてか、少々気になることではある。何故なんだろうと考えてみた。

満一才になった時から小学生に行くまでの期間、ぼくは祖父母の元で育った。そこは、丹波の山里で、鹿が現れたり、狸が樹に攀って柿を食べていたりというような場所だった。町中にいたら、大人達の話を聞いて戦争のことも少しは聞き知ったかもしれないけれど、トンボや蝉と遊ぶ子供には、まったく関係のないことだった。
学校に行くようになっても、この傾向は変わらなかった。だから、国民学校の門をくぐって、奉安殿の前を通過するとき、「歩調取れえ」「かしらみぎい(頭右)」と号令をかけていても、それはたんなるプロシージャーに過ぎなかったようだ。(奉安殿というのは、天皇陛下のご真影が収められている建物で、校門を過ぎた辺りにあった)

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「20世紀を見にいく」を見る

「フィルムに刻まれた20世紀の記憶。それは未来への遺産である」というナレーションで始まる<池上彰の20世紀を見にゆく>というBSジャパンの番組を、最近熱心に見ている。最近終了したが、そのまま最初から再放送が始まっている。月〜金の毎日で、2話づつの15分。

日露戦争の二人の元帥ということで乃木将軍と東郷元帥についてが初回で、太平洋戦争での日本敗戦で終わる。ほとんどが、知っているはなしではあるが、知らなかったことも多い。今更のように思えるのは、この世紀が大変な激動の時代だったということだ。

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