『なんで山登るねん』は差別文書だった

『なんで山登るねん』表紙

ヤマケイ文庫『なんで山登るねん』表紙

こんど「ヤマケイ文庫」から『なんで山登るねん』の文庫本が出版されることになった。
『なんで山登るねん』が初めて単行本になったのは1978年3月のことだった。その後、版を重ねたが、2002年には河出書房新社から文庫本が出た。
今回の「ヤマケイ文庫」出版までに36年が経過しており、かなりのロングセラーといえるだろう。
36年の間には、この本に関しては色々のストーリーがあったのだが、そのうちの一つを紹介する事にしよう。

この本は、山と渓谷社の月刊誌『山と溪谷』の3年間の同名タイトルの連載をそのまま単行本にした物だった。連載中より若者読者から圧倒的な関心をもたれていたようだ。こんな話を聞いたことがあった。
ある人が夏山の帰り、富山駅前の喫茶店に入ったという。すると、そこに数人の高校生が口角泡を飛ばして猛烈な勢いで激論を戦わせていた。何事かと思って耳を澄ますと、『なんで山登るねん』の内容についての議論だったということだった。
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「トランスポータ3」を観る

なんとはなしに「トランスポーター3」を見てしまった。

レオンのシーン

「レオン」のシーン

見始めてしばらくして、前に見たことがあることに気付いたが、もう大方は忘れていた。
監督が、リュック・ベッソンなのがいい。 ぼくはリュック・ベッソンは大好きだ。
中でも一番好きなのは「レオン」。
何度も見たが、なんどみても胸苦しくなるような感動を覚える。
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マレーシア航空機はどこへ行ったのか

突如消息を絶ったマレーシア航空機。2週間経った今も行方不明のままです。
ぼく自身この前のイタリア行きはマレーシア航空を使ったので、なんだか人ごとではない感じでおおいに関心を持っていました。マレーシア航空は安いのはいいのですが、クアラルンプールでの乗り継ぎの時間が尋常じゃありません。行きも帰りも8時間以上というので、空港内のホテルに入って仮眠を取って時間を過ごしました。
それに、この空港まともなレストランもない。
帰ってきてから、誰かから「年寄りの乗るヒコーキじゃない」といわれました。ぼくも二度と乗る気はなかったのですが。
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アフリカ発祥の人類は弱い集団が周辺に逃げることで地球上に広がった

東京に来て一週間ほどが経ちました。
来た頃は、これはいつものことなのですが、地下鉄に乗っている時なんともいえぬ不安を感じます。
今地震が起こったらどうしよう。とりあえず地上に逃れたとして、どっちに逃げたらよいのか、まったく分からないのです。
でもいつものように、これも一・二日で慣れてしまって、なんとも感じなくなったようです。
何年も来ていなかったので、いろいろ会いたい人があり、旧交を温めているうちに日が過ぎました。

mackinly30今回の上京の主目的は明治大学で行われた「マッキンリーから30年 植村直己を語り継ぐ」という集まりに参加することでした。別に先頃『なんで山登るねん』の文庫本化の話が山渓からあり、赤を入れたゲラ刷りの第一稿を送ったばかりだったので、第二稿を受け取りがてら寄って見るつもりでした。
明治大学には「リバティー・タワー」という23階のビルがあって、上記の会はこの8階で催されました。二百数十人収容のホールで少しの空席もあったから、たぶん150人くらいの参加者だったのではないかと思いました。
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君は「河野談話」をすべて知っているか?

先日の衆院予算委員会で、維新の会の山田宏議員がこんなパネルを示した。それは、「河野談話」の内容で、次のようなものだった。
「日本軍による強制性」の根拠となっている「河野談話」平成5年8月4日「慰安婦関係調査結果発表に関する内閣官房長官談話」
◉慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置,管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した
◉慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意志に反して集められた事例が数多くあり、さらに、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。
◉慰安所における生活は、強制的な状況のもとで痛ましいものであった
◉当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意志に反して行われた
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『永遠のゼロ』を観てからのこと

東京都知事選は、マスコミの予想通りの結果となりました。選挙戦が始まる前の予想通りの結果となったそうで、なんとも盛り上がりのない選挙戦は、近年稀な大雪でほんとにしょぼい結果となったようです。
ぼく自身は、田母神さんが当選したらいいとは思っていたのですが、よほどの風が吹かない限り、これはちょっと無理で、どれだけの票を取るかに大変興味を持っていました。
それにしても、まったくの支持基盤を持たない田母神さんが61万票も取ったというのは、注目すべきことで、世の中の喜ばしい変化を表わしているとも思いました。
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「この國」ってどこの國?

どうやらぼくには、こと言葉に関してちょっと普通とは違った好き嫌いがあるようなんです。変にこだわってしまうのです。たとえば、よく使われる「了解」という言葉は好きではありません。
「分かりました」とか「承知しました」といえばいいのに、「了解」という。だからぼくは、一度もこの言葉を使ったことはありません。
東京の人はよく「平気です」という。これは関西の「大丈夫」にあたります。関西ではまず使わないのではないかと思うのです。
たとえば、奥さんが旦那に出した食べ物が賞味期限ギリギリだったのを気にして、「あのなんとかの味変じゃなかった?少し古くなってたの」と尋ねたときの返事は、「いや大丈夫。なんともなかったよ」とこたえます。これを「いや平気だよ」とは関西人は答えないし、そうした答えにはなにか違和感を感じてしまうのではないかと思うのです。
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日本はいまだにマッカーサーの日本なのか

年が明けて早々に我が家にやってきた末娘が、小学校低学年の息子が靖国についていろいろ聞いてくるのだが、答えられなくて困ってしまうとぼやいた。
「ヤスクニってなんなんや」
靖国神社のことでしょ。
「なんでテレビで何回もいってるんや」
安倍さんがお参りしやはったからなんやろ。
「ヤスクニてどんなとこなん」
あんな、戦争で死んだ人をおまつりしてあるところなんやで。
「ふーん。死んだ人にお参りして、それがなんであかんねや」
・・・・・・。
どう説明してあげたらいいんか、分からんの。お父さん説明してあげて。

それは極めて困難。それで、とっさに浮かんだ答えはこうだった。
「あんなあ、日本はアメリカと戦争して負けたんや。原子爆弾というとんでもない爆弾を2発もおとされたから、仕方なかった。そのとき放射能みたいなもんが日本中に降って、よっぽどしっかりした人でないと、みんな頭がおかしなったんや。お参りしたらあかんいうとる人は、みんな頭が狂ってしまっとるんや」
しかし、こんなギャグみたいな答えは、もちろん小学生にいう話ではないことは明白である。
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安倍さん靖国神社に行く

<今日、天皇陛下は誕生日をおむかえになった。皇居にはたくさんの参賀の人並みができているのをテレビは報じていた。齢は八十歳におなりで、傘寿である。
元気にテニスを楽しまれるのを見て、その元気さに喜びを覚えながら、自分にはとても無理だと思った。
ところで、この日が、東京極東裁判で死刑の判決を受けた7人の日本の指導者が処刑された日であるということを、皆さんはご存知だろうか。よりにもよって、GHQのマッカーサーは、その時の皇太子殿下の誕生日を処刑の日としたのである。そして、その遺骨は東京湾に投棄されたのだ。なぜこんなえぐいことをしたのだろうか。それには理由があった。>
「天皇誕生日に思う」というタイトルで、こんなことを書き始めたのだけれど、急な用事などができて、そのままほっぽり出していた。
すると、突然というか、ようやく安倍さんが靖国神社に出かけた。いづれお出かけになるとは思っていたが、もう少し先ではないかと思っていたので、少し驚いた。そして、とうとう行ったか。よかった、よかったと思った。
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Jeff Tacker先生からの手紙

Jeff Tacker先生から、いつものようにPictureCardが届きました。 PictureCard

裏には、こんな文が奇麗にプリントされていました。

PictureCard2

In March, we enjoyed another wonderful 21 day trek in Nepal Himalaya, visiting the lower canyons of the now popular Manaslu, Circui which we did three years ago, before turning off into an impressive and narrow canyon leading up to Hidden Valley of Tsum. Inhabited for a nearly a thousand years by Tibetans, and accessed only by several low passed to the north and east, it was not until the 20th century that a path was created, allowing access from Ne;al. It was a beautiful place, a hidden and spectacular valley high behind the stunning peaks of Ganesh Himal, and filled with friendly people still living an ancient lifestyle.

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