北杜夫の『白きたおやかな峰』

 プログに書くことになって、本棚を探し、『白きたおやかな峰』を引っ張り出した。
 いまは長い年月の末に赤茶けているけれど、かつての純白のハードボックスは、その強固さをいまも保ち、ずっしりとした手応えのある書物である。
 ボックスの裏の右下角には、ちいさく¥490とあった。
 この本の出版は遠征の翌年1966年である。今の値段にしたらいくらになるのだろう。興味を覚えて、物価指数やら大卒の初任給の推移などから計算してみたところ3700円となった。
 箱から取り出すと、まずビニールシートに覆われてカバーがある。カバーには有名版画家畦地梅太郎の版画があった。






 カバーを外すと、ライトブルーの布の硬表紙が現れる。どちらかといえば小さめの活字で、つつましく銀色の文字で「白きたおやかな峰」が刻印されている。






 表紙を開けると、見開きには、ディラン峰山域の概念図とルートが書かれていた。描いた人は、ぼくの知らない人だけど、奥付には、「装画 畦地梅太郎」と並んで「地図 山本忠敬」とあった。
 見開きには、北杜夫氏のサインがあって、その真面目に丁寧に書かれたペン字を懐かしく眺めいった。
 
 純白だったボックスの表紙の最上部には、「純文学書下ろし特別作品」とあり、タイトルは大きな活字である。下部には、北杜夫の顔写真と、コメントがあった。
こう書いてある。
 昨年、私はカラコルム遠征隊に加わった。そこには
日本に於て考える尺度を遥かに越えた巨大な山があっ
た。その自然の大王国は、確かに、われわれの日常の
中で麻痺しつつある精神を刺戟し、覚醒させた。
 といって私は完全に山に没入できる人間ではない。
むしろ、山にのめりこもうとする気持と、そうした密
着を拒否しようとする意志との相剋から、この小説が
生れたのだと私は考える。         著 者

 ボックスの反対側には、4人の作家の書評がギッチりと書き込まれている。ここに紹介しようと思う。

林房雄氏評
 久しぶりに小説らしい小説を読んだ。男らしい,いさぎよい小説だ。雄大であり,壮麗であり,怪奇である。笑いのかげに権力意志の悲劇がかくされている。
 秘境ヒマラヤの処女峰に挑戦する日本の山男たち。女は一人も出てこない。いや,出てくる。巻頭から巻末まで,純白な雪の肌と太古の乙女よりもたおやかな容姿を持つ,海抜7000メートルの絶世の美女が,その身を山男たちの前に横たえている。
 彼女はすべての美女の如く危険で冷酷で拒否的である。男たちは挑戦する。挑戦者は勝利するであろうか? さりげないタッチで書かれた一種の哲学小説であり,周到に構成されたサスペンス・ストーリーであるから,結論と結末は伏せておくのが礼儀であろう。
 いずれにせよ,私は最後に「神々の哄笑」を聞いた。

吉田健一氏評
 北氏はこの小説でカラコルム山岳地帯での登山という難しい仕事を材料に取り上げ,その仕事に必要な人員と組織を扱って登山家が一歩一歩と目標に近づくのと同じ着実な手付きで話を進めて行く。この小説に出て来る,海に葡萄酒を投じる詩を書いいたフランスの詩人が,競技というのは厳しい訓練と周到な準備を課する点で現代で自分の好みに合う唯一のものだと言っていることを,この小説を読んでいて思い出す。最後のアタックに向かう増田と田代の苦闘と,その報告を待っているキャンプの状況の辺りまで来ると,いつの間にか自分もその緊張に巻き込まれて発熱しそうになっているのを感じる。

串田孫一氏評
 なだらかな山に登っても,人はそれが鋭い危険な山であったように報告したがるものだが,ごこではその逆手が使われた。しかしそれは山に対して人間が無理に抱いた尊大な気分から出た単なる逆手ではなく,正しい発見を実に静かに教えるものだった。
 「山とは何なのか。単なる地殻の出っぱりにすぎぬ。とはいえ,それはやはりわるくないものだ。」ドクターは独語し,また氷河を前にして「海に似ている。夢の中で凍った海に」と思う。
 山と人を扱ったこれまでの文学作品には見られない,経験からの思いきった切り捨てが,この新しい創造を成功させた。

安岡章太郎氏評
 クレヴァスが,肉眼では確かめられぬ速度でゆっくりと裂け目をひろげて行くとき,古い氷塊が底知れぬ空洞のなかを乾いた音をたてながら落下する。その落下音は,第一キャンプの立っている雪の下が,じつは巨大な空洞かもしれぬことを暗示する。これを読んでいる私たちは,自分の寝ているふとんや畳やベッドの床下の地面もまた,このようなガランドウの洞穴なのではあるまいかと考えはじめる。これが単なる妄想か,それとも適確な予想であるかについては,著者は口を閉ざして何も語らない。こたえるかわりに著者は,新雪のようにさらさらした純白の文章で,たおやかなる峰の山肌の美しさを再現し,その美しさを私たちの前に置くのである。ここには無垢な叙情がある,手を触れることを許さぬものを無理矢理ひっぱり出さぬかわりに,深い暗示がある。


 この本『白きたおやかな峰』は、今からは想像もできないくらいの完璧で精密な作りとなっていると思った。
 そして、その作りもさることながら、内容も実に素晴らしく、小説とはいっても内容はほとんど実際に近い。このような忠実な再現をどのようにして行なったのだらう。いま改めて読み直してみてそう感じる。おろかにもぼくは、彼の凄さを今になって気づき、あらためて惜しい人がなくなったと痛切に感じている。