北杜(北杜夫)ドクターの死

友人がSMSで報せてきて、キタモリドクター(北杜夫氏)の死を知りました。

 ぼくが、最初の海外遠征隊としてパキスタンに行った時のドクターでした。それは1965年のことで、まだ外貨もままならぬ時代でした。
27才のぼくは、京都府山岳連盟派遣のカラコルム・ディラン峰遠征登山隊の最年少隊員として選抜されました。
当時は海外登山は大変なビッグイベントだったので、隊員発表が行われるとすぐに新聞記者が自宅にやってきたほどでした。ぼくは、先遣隊として、本隊より3ヵ月前にパキスタンに向かい、カラチに滞在しました。

小谷隆一隊長は、この前年まで日本青年会議所の会頭を務めた財界人で、東大山岳部のOBでした。北杜夫ドクターとは、旧制松本高校の同窓の友人でしたから、ドクターとしての参加を頼んだのです。
北杜夫氏は、有名な歌人斎藤茂吉の子供で、ドクトルマンボーとして、軽い読み物作家として知られるようになったようです。
ちょうどその頃、斎藤茂吉家をモデルにした大作『楡家の人々』を世に問うたばかりでした。



彼は精神科医ですから、山で気が変になったリしない限り役立たないと思ったものです。
でも、登山申請には医師の参加が条件となっていました。
この未踏の高峰への登山は成功はしなかったけれど、誰も死なずに終わりました。
キタモリ・ドクターと隊長は、早く帰国したので、彼の依頼でぼくはその後の偽医者をつとめました。高度障害の黄疸で真黄色になった隊員に、教わったとおりにペニシリン注射をしたり、村人に無害な薬を与えたり……。













この写真は、遠征の翌年隊員が比叡山上に集った時のもの。
左から5人目が北杜夫ドクター、4人目がぼく。みんな若いけれど、もう半分以上が幽明境を異にしています。
ぼくが『なんで山登るねん』を出版したとき、推薦文を書いてもらいました。ドクターは気安く引き受けてくださいました。文庫版ではない山渓本のカバーの裏には、次のようにあります。
北 杜夫氏・評<本書の一つの魅力は、題名のとおり京都弁につながるものであろう。ぎすぎすせず、柔かく、そして対象から距離をおいて山行のきびしさ、愉しみを暖かく語っている。これは著者の人間性、豊富な体験によるものだ。
 山登りというものは、同じ山でも登山者一人々々によって異なってくるものだ。あまり山にのめりこみ意気ごみすぎても、あるいは山に甘えてきびしさを忘れてもいけないものだろう。本書はその中庸をのびやかな筆にとらえている。
 高田さんとは、以前、京都隊のカラコルム遠征のとき、知り合いとなった。そのとき彼は体調をこわしたこともあったが、常に冷静で判断をあやまらなかった。神風登山の多い現在、多くの山の愛好家に、本書を読んでもらいたいと思う。>

この『なんで山登るねん』の<いきがりのカッコマンとまともな変人ドクター>という項で、ぼくは北杜夫ドクターについて書いています。ここでその部分抜粋をしようと思います。
キタモリドクター安らかに眠ってください。

<いきがりのカッコマンとまともな変人ドクター>後半部分抜粋。ここより――
 話が変な方にそれてしまいました。
 この時の登山については、北杜夫の『白きたおやかな峰』にくわしく書いてあります。
 この本の題についてですが、「白き」というのは文語体でロ語では「白い」です。「たおやかな」の方は、文語体でいうと、「たおやかなる」ということになります。事実、無意識に、「白きたおやかなる峰」というふうにいう人も何人かいました。彼自身話したのですが、『白いたおやかな峰』とするか、「白き……」とするか、大分迷ったのだそうです。
 そして、北杜(ぼくたちは彼のことキタモリとよぶか、ドクターといっています)はこうつけ加えました。
「や、やっぱり、〈白き〉としておいてよかったでス、ウン。あれで、十万部はちがったはずです。ハイ」
 もっとも、この時は、彼は少々「噪」だったようですし、おまけにお酒が入っていましたから、どこまで本当かは知りません。
 さて、この『白きたおやかな峰』では、ぼくは竹屋という名前で登場します。この本以外でも、『まんぼう途中下車』等でぼくのことが、京都の高田隊員ということででてきます。
 彼に最初に会ったのは、医薬品やその他の打合せで、世田谷の自宅に伺った時です。その時はまだ、「ゴールドブレンド」のコマーシャルもありませんでしたから、顔は知りませんでした。でも、『ドクトルマンボー航海記』や、『楡家の人々』は熱心に読んで、とても尊敬しておりました。
 何という駅か忘れましたが、「お迎えにゆきます」ということで、待っていると、コンテッサに乗って彼が現われました。一、二時間ほど、色々の打合せをしましたが、人から聞いていたような「変人」という感じでもなく、作家ぶった所もありません。帰りに、やはりコンテッサで駅まで送ってくれました。別れぎわに、彼が「あの電車です」といって教えてくれた電車にとび乗ったら、その電車は、なんとぼくの行先とは反対の方向に走っていたのでした。
 登山期間中には、よく一緒にお酒を飲みました。
 ある夜、やはリお酒を飲んでいて、オシッコに外にでると、ディラン峰には月がかかり、とてもよい眺めでした。ぼくは、外から大声で、
 「ドクター。とてもいい月ですヨ」
と、どなりました。
 「ハイ、そうですか。ウン、ウン、なるほど」
 ドクターはそういいながら、カメラを持って出てくると、月にカメラを向けて、「パシャ」、「パシャ」と何枚も写真をとったのです。本当に写るとでも思っているのかしら。ぼくは全くおどろいてしまいました。やっぱり常人ではないという気もしてきました。
 それから、彼は精神科医ですから致し方ないのですが、隊員が、「セキがでて、少し熱があります。風邪でしょうか」とききます。彼は、とつとつと、大真面目でいいます。
 「そう、風邪でしょう。あの、ルルを三錠のんで下さい」
 帰国してしばらくたって、彼は医者廃業を宣言しました。その時のテレビを見た友人が話してくれたのですが、彼はこういったのだそうです。
 「オカシイ人が、オカシイ人を診るというのは、やっぱり、ちょっと、どうもオカシイし、オカシイことをつづけるのもオカシイので、もう止めます」
 でも、自分がオカシイということに気付いている人は、たとえ変だとしても、きわめてまともなのではないか。ぼくはそう思いました。
 「オカシイ正常人」より、「まともな変人」の方が数等いい、とぼくはその時思いました。
――抜粋ここまで