高畠熱中小学校で授業する

 2年前頃らしいのだけど、山形県の高畠町で廃校を利用して始まった「熱中小学校」というのが、日本中に伝播している。この2年ほどの間に相次いで8校が開校している。
 先日、日本経済新聞が「廃校再生「熱中小学校」、地域の逸品通販サイトに 」という記事を掲載し、「熱中小学校」の知名度は上がったようだ。
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日露共同記者会見でのプーチン・スピーチ

 世間の耳目をそばだたしめていた日露首脳会談が終わって一週間ほどが経ったでしょうか。ようやく静かさを取り戻したようにも見えます。
 プーチン訪日のこの会談への期待は、今年になって大いに盛り上がっていたのですが、クリミヤ併合をなじるアメリカを筆頭とするG7諸国の経済制裁やドーピング問題などで、年内中には無理だとの見方に変わっていきました。
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トランプ氏の勝利スピーチとTPP

トランプ アメリカ大統領の予備選挙・スーパーチューズデーで勝利したドナルド・トランプ氏のスピーチを聞いた。
 立て板に水とはこのことだ。一気呵成に喋りまくる。原稿などは一切見ない。
 オバマなどは、一フレーズごとに間をおいて、聴衆の反応を確かめるような感じなのだが、トランプは違う。ともかく喋り通すのだ。普通の場合、原稿を書く人いわゆるスピーチライターと言われる人がいるのだが、トランプ氏はそういう人をクビにしたと自慢しているということも聞いた。本当かどうかは知らないのだが。
 ともかくそのスピーチの動画テロップを文字起こししたものをここに挙げてみる。
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「朝日新聞集団訴訟」いよいよスタート

 「朝日新聞を糾す国民会議」からのメールが届きました。
 この会議が作られたのは、朝日新聞がその誤報(本当は捏造)を認めて謝罪会見を行ったすぐ後のことで、たしか9月の初めだったと思います。桜チャンネルでの参加の呼びかけに応じて、すぐに加入することにしました。
 その時の加入者数は4000人ほどだったと思いますが、9月の終わりには7000人を越えたようで、現在では17000人に近づいているようです。
Wikipedia朝日新聞を糾す国民会議
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「韓国が勝つより日本が負ける方がうれしい」

 ようやくW杯が始まり、コートジボワール戦が終わりました。
 「葉巻のけむり」に書きたいことが次々にあったのですが、このW杯の初戦が気になって気になって筆を執る気にならなかったのです。
 テレビもワールドカップにかかわる番組が満載でした。これまでのW杯の試合はもちろん、12年も前の日韓大会の試合も放映されていました。現在とは全く違うサッカーに時代の推移を感じ、世界のサッカーの進歩も読み取れるように感じました。
 日本代表のサッカーも、全く違ったものになっていることが見て取れます。それは、コンフェデレーションカップの試合や直前の三つの強化試合を見ても歴然としていて、日本が徹底的な攻撃サッカーに変貌したことを示していました。
 日本のサッカーは、イビチャ・オシムによって変革の端緒をつかみ、ザックさんによって大きく変わったのではないかと思っていました。
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アフリカ発祥の人類は弱い集団が周辺に逃げることで地球上に広がった

東京に来て一週間ほどが経ちました。
来た頃は、これはいつものことなのですが、地下鉄に乗っている時なんともいえぬ不安を感じます。
今地震が起こったらどうしよう。とりあえず地上に逃れたとして、どっちに逃げたらよいのか、まったく分からないのです。
でもいつものように、これも一・二日で慣れてしまって、なんとも感じなくなったようです。
何年も来ていなかったので、いろいろ会いたい人があり、旧交を温めているうちに日が過ぎました。

mackinly30今回の上京の主目的は明治大学で行われた「マッキンリーから30年 植村直己を語り継ぐ」という集まりに参加することでした。別に先頃『なんで山登るねん』の文庫本化の話が山渓からあり、赤を入れたゲラ刷りの第一稿を送ったばかりだったので、第二稿を受け取りがてら寄って見るつもりでした。
明治大学には「リバティー・タワー」という23階のビルがあって、上記の会はこの8階で催されました。二百数十人収容のホールで少しの空席もあったから、たぶん150人くらいの参加者だったのではないかと思いました。
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お盆で郷里に戻る

今年も、例年通りお盆(盂蘭盆・うらぼん)の行事などのため、郷里のるり渓に帰って来た。
盂蘭盆というのは、毎年8月15日前後に、日本全国で行われる祖先の霊を祀る行事で、そのため日本中の会社もお盆休みを設けている。
もともとは、神道に基づく行事で、大昔から先祖供養の儀式や神事を行うことになっていたのを、江戸幕府が仏教の檀家制度を作るとともに盂蘭盆の行事を行わせたため、二つが習合したとされている。
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久しぶりに「穩座」へ行く

もう10年以上も昔になろうか。
その時、お昼ご飯を食べながら、『鬼平犯科帳』を見ていた。鬼平が川の袂の料理屋「五鉄」で、密偵たちと「軍鶏鍋」をつついている。
よくあることなのだが、急に軍鶏鍋が食べたくなった。
インター・ネットで探したのだが、軍鶏を売っているところはなかなか見つからなかった。取り寄せ出来るというところは、京都や大津などにあったが、置いているところはなかった。
諦めずに探していると、滋賀県真野のスーパーに置いてあるのを見つけた。大急ぎで家を飛び出し家内と二人京滋バイパスに乗った。
スーパーに着いた時はもう琵琶湖の水面は夕靄に覆われつつあった。
という訳でその夕は、家内と二人軍鶏鍋を楽しんだのだったが、この時お店で聞いたのは、「このお店は後数日でなくなります。だから次からは養鶏場の中の販売所においで下さい」ということだった。

そんな訳で、その養鶏場が町はずれであっても、車でのアクセスが悪くないこともあって、時々訪れるようになった。主人と何となく気が合う感じがしたのだ。

久慈砂鉄「すき焼き鍋」

久慈砂鉄「すき焼き鍋」

七輪は家にもあったから必要なかったが、鍋に凝っていい物を持っているつもりだったが、ここで薦められたのは、久慈砂鉄「すき焼き鍋」だった。片手では微動だにしないくらいの重さがある、凄い物だった。早速買って帰って試したがなかなか素晴らしかったので、すぐ後の大学の山小屋パーティに信州まで持参し、すき焼きを楽しんだ。軍鶏肉、鶏肉を電話で注文し、クール宅急便で届けてもらうこともあった。
ある時、田圃の中の養鶏場販売所の地所内で、建物の建築が始まっていた。これが、主人が言っていたレストランかと思い、「タバコの吸える店にしてくださいね」というと、「いろんな人からそういわれてます」と彼は答えた。
こうして出来たのが「穩座」である。名前の由来は最初の頃聞いたような気もするが覚えていない。調べたら平安時代の大パーティは大饗と呼ばれたが、その後の寛いだ歌舞音曲を楽しむ会が穩座なのだそうで、まあ言ってみれば平安時代の宴会の二次会のことなのだろう。
最近では大人気で、遠方から泊まりがけで来る客も多く、土日は来年まで予約が詰まっているという。
今回は、もな嬢が行きたいと言い出したので、ぼくが予約を取った。
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「父の日」雑記

日曜の夜、一緒に会食しようと息子一家からの誘いを受けた、近くのイタリアンだと家内がいう。
珍しく日曜日に家にいると聞いたからなのだろうかと思った。
子供たちが集まって我が家で会食をすることは時々あっても、外でというのはあまりないことである。
家内に理由を尋ねると、聞かなかったけど「父の日」やからなんと違う、という。
「父の日」は、元はなんだったんだろう。
紀元節が天皇誕生日になり、新嘗祭が勤労感謝の日などと、伝統的な名前は敗戦後言い換えられた。大東亜戦争は、GHQによってアメリカ側の呼称である太平洋戦争と変えられた。日本にとって戦場は決して太平洋でなかった。だから、サンフランシスコ講和条約で独立を回復した時、すべては元に戻すなり、問題があれば言い換えるべきだった。
ずっとずっと昔、まだ二十歳代の頃、カラチの大使館の人たちは、「天皇誕生日」とはいわず「紀元節」と呼んでいた。その時、中東から帰国途中の日綿の商社マンが、ガーデンパーティの芝生の上で「大東亜共栄圏」とか「大東亜戦争」という言葉を話したのが、新鮮に響いたのを記憶している。
最近になって、こうした呼称が大いに気になっているところだった。そういう訳で、「父の日」の元はなんだったんだろうと思った訳だ。
家を出る前に大急ぎで調べたら、これはどうやらアメリカ伝来で、1950年に制定されたということが分かった。
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揚子江屍豚大量投棄の真相、鳴霞さん語る

先きごろ、揚子江に一万数千頭の豚の屍が捨てられていたという、なんともミステリアスの報道がなされたことがあった。一体これはどうしたことなのか。これは、以後ずっと頭の片隅に引っかかっていたことだった。Youtubeの<『地球の癌』中国の急所を衝く>という刺激的なタイトルに目が行き、見てみると鳴霞氏がこのことについて語っていた。それは、4月6日の土曜日、武蔵野公会堂で行われたシンポジウムの収録動画だった。
meika 鳴霞さん、中国のあの豚の情報わかりますか。原因は不明なんですか?と問われた鳴霞氏は、次のように答えた。
 「原因は同じ内部の情報で、今日はここで始めて話します。中国全国豚は6億ぐらい育てていました。中国の村で豚育てる時に、豚の餌の中でヒ素入れます。この毒のヒ素なぜ混ぜるのか。ヒ素混ぜるとね。豚の毛に艶が出てきます。その艶出たら、店とか料理店、その豚注文する時、高い値段で売りますよ」
 去年の8月か6月頃にヒ素を混ぜた飼料を食べた豚は4ヶ月以内に屠殺しないと、内蔵がやられておかしくなる。
 ところが、去年の年末に、習近平が「これから政府のお金で共産党の幹部への饗応を一切禁止」と厳命した。マオタイ酒も売れなくなった。年末年始の忘年会・新年会は一切禁止された。
 豚は4ヶ月経って死ぬ。死んだ時に埋める池がある。その池は満杯になった。どうしようもないから揚子江に捨てた。
 中国のマスコミは投棄豚は6000匹と報道した。しかし実は7万匹だった。
 司会者「10倍すれば大体同じですね」
 「そうですよ。中国人、お金儲かるとき手段選びません。例えば病気の豚、埋めたらまた掘り出して料理するのよ。」
 今回はなぜ河に捨てるのか。不思議です。7万の豚、以前には半分は上海の人は食べました。今回は食べきれないから河に捨てました。
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