倭寇に関する補遺

 倭寇について納得できない感じが残り、調べることにしました。気になりだすと放っておけないのが、ぼくの悪い癖です。
 結論から言って、倭寇というのは、コリアやチャイナでの呼び名であって、実態は交易活動であったということです。
 最近では、是正されて来たのかもしれませんが、10年ほど前の中学の教科書などはひどかったようです。倭寇の活動範囲を「侵略地域」と記載していたそうです。
 チャイナには、もともと貿易という概念はなかった。この国の皇帝は世界の統治者と思っていましたから、外国という認識はなくしたがって外国との貿易など思案の外でした。
 コリアやベトナムから貢ぎ物が届けられると、それに対して皇帝陛下が何倍もの褒美を遣わされる。という感じのいわゆる朝貢貿易だけが公認されていました。
 明の時代には、太祖・洪武帝は海禁令というものを出しました。「片板も海を下るを許さず」と、人間はもちろん板きれも海に出てはならないというもの。海辺の人間は内地に移住させ、そこに軍隊を駐屯させました。
 そして、朝貢も厳しく取り締まり、例えば日本の場合ですと、10年に1度で船は2隻と決めました。これは、日本もチャイナも大迷惑だったのですが、足利義満に取っては結構なことで、10年に1度だけだったとはいえ、国書持参が必要でしたから、彼だけが貿易を独占できた訳です。
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