この訳の分からん憲法学者ー小林 節

Kobayashi たしか憲法96条の改正が問題になっていた頃だったから、昨年の秋頃だったと思います。大阪の竹田研究会で、登壇した竹田恒泰さんが開口一番、唐突に「小林先生はわたしの恩師でもあり、私の味方です」とおっしゃった。でも、このフレーズだけで、後に続く説明はなかったのです。
 話の裏を読みたいというあまり人のよくない悪い癖のあるぼくは、あれっこれどういう意味なのだろうと考えたんです。竹田先生が96条改正に反対なのはよく分かる。憲法改正の条件を低くする96条改正は、天皇条項を変えられる危険性を孕んでいるからなのだとぼくは思っていました。
 それがGHQの稚拙な作文であるにせよ、昭和憲法は天皇条項に限っていえば、帝国憲法を現代的にアレンジしていて何の問題もないと思えるのです。それが変えられる危険性があることは断固拒否しなければいけない、竹田先生はそう考えていらっしゃるのだとぼくは考えていました。
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ウクライナの内紛と日本(クリミア戦争と黒船来航)

 このところ、そのニュースがない日はない位、連日のようにテレビ・新聞紙面を賑わわせていたウクライナ半島は、ロシアによるクリミヤの編入で終わったのかと思ったら、問題はウクライナに移って今も続いています。
 ウクライナの東にはコーカサス(カフカズ)山脈が聳えており、1971年にぼくは第二次RCCコーカサス遠征隊の隊長として、当時ソ連邦であったこの地を訪れ、シヘリダ峰(4300m)に攀りました。その頃、周辺の國のことも勉強しておかないと、などと殊勝に考え、ウクライナの歴史なども勉強したのです。
 その時の勝手な印象では、なんか日本の大正時代の自由民権運動の多摩地方が想起されたのを覚えています。
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韓国「セウォル号」の遭難に思う

 韓国の海難事故のニュースで、海面にわずかに出ている船首・船底に2人の救助隊員が乗り、一人がハンマーで船底を叩き、一人が耳を付けて音を聞いているシーンが写った。

ポセイドン号は一瞬のうちに天と地が逆さまになった。

ポセイドン号は一瞬のうちに天と地が逆さまになった。一人の船客が床に固定されていた丸テーブルにぶら下がっている。


それを見たとき、ぼくは、最近に見た「ポセイドン・アドベンチャー」の映画を思い出した。豪華客船「ポセイドン号」は巨大津波を受けて、年越しパーティーの最中、一挙に転覆して船底が海上を向いた状態で停止する。パニック状態に陥った乗客たちの中で、たまたま乗り合わせていたはみ出しもののスコット牧師がリーダーシップを発揮し、そのまま救助を待てと主張するパーサーに従う大多数の乗客を後に、自分に従う9名の乗客を率いて、脱出へと導いていくという物語である。迫り来る浸水した水面を逃れて上へ上へと進み、船底に達した時、ハンマーの打撃音を聞き、打撃音で応答するというシーンがあった。
 しかし「セウォル号」での、これに関する報道はなかったから、たぶん応答はなかったのだろう。
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光る緑色細胞(Oct4-GFP)はSTAP細胞ではなかった

 今日、笹井教授の記者会見を見た。TVの生中継では、肝心の学術的な説明に入ったところで、ぷつんと切られてしまい、ミヤネ屋がしょうもない振り方をしてイラっとした。しかし夜にはニコニコ動画に全会見がアップされ、終わりまでじっくり観ることが出来た。それは、3時間20分にも及ぶ長時間のものだったが、退屈せずに最後まで見た。
 笹井さんはなかなか立派な報告を行ったと、ぼくには思えた。
 この研究の発案者はバカンティー教授、そのアイデアを実践研究したのは、小保方さんと若山さん、そしてnatureへの論文作成への協力を行ったのは、笹井さんだった。
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小保方さんのSTAP細胞は出来たのか

 70日間ほども表に出なかった小保方さんが、理研の調査委員会による自分のレポートの改ざん・捏造という判定に不服申し立てを行う記者会見を行いました。
 会見は9日の午後1時より大阪のホテルのホールで多くの報道陣を集めて開かれ、ニコニコ動画を始めTVでも報道され、ぼくはニコ動でしっかり見たのです。
 TVのほとんどのチャンネルでも同時中継で流されたのですが、やはりカットされてる部分が多く、ニコ動には及ばないと思われました。
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君が代・日本の国歌

群馬県の富岡製糸が世界遺産に登録されることになって、みんな大喜びで万歳。

群馬県の富岡製糸場が世界遺産に登録されることになって、みんな大喜びで万歳。(’14/04/27)。しかし正しく万歳している人は一人もいない。

 選挙戦に勝った人たちが、大喜びで万歳を三唱します。そういう場面をテレビが写すことが多い。でも少し気になることがあるのです。その時の掌の向きなんです。掌は前を向いていてはいけない。それは、ホールドアップ!と銃を向けられたときの対応で、つまり万歳ではなくて降参のポーズだからです。万歳には掌は拍手をするような方向に向いていないといけません。
 知らない人が実に多いことが画面を見ていて分かります。ぼく自身5・6年前まで知りませんでした。もっとも誰も教えてくれなかったし、万歳をする機会などあまりありませんでしたから。
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日の丸の旗・日本の国旗

 先頃、サッカー場で、一つの入り口に「Japnese Only」と書いた表示が掲げられたことが問題となりました。FIFAの日本事務局が陳謝し、次の試合は無観客試合とする決定を下したようです。これは結構な厳罰と思います。なぜなら一試合の入場料がどれくらいになるかを考えれば、容易に分かることです。

日章旗

日章旗

 日本と韓国の間には、普通の日韓関係よりもっと特化した因縁めいた対立があります。サッカー競技場では特にこうした反日感情が顕在化するようなパフォーマンスが多かったといえます。だいたい韓国側から仕掛けられることが多かったようです。
 安重根の垂れ幕を掲げた韓国のサポーターには、それなりの厳しい処置を要求すべきだったし、FIFAにも厳重注意の申し入れをすべきだったと思います。例によって、まあ直ぐに引っ込めたからいいではないか、という考えだったと思われます。あの戦後教育の優等生ともいえる古市くんは、現場にいたそうです。
 プライムニュースで「でも、すぐに引っ込めましたよ」と弁護したものですから、「あんな大きなものが、すぐに引っ込められますか」と八木キャスターに突っ込まれていました。
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『なんで山登るねん』は差別文書だった

『なんで山登るねん』表紙

ヤマケイ文庫『なんで山登るねん』表紙

こんど「ヤマケイ文庫」から『なんで山登るねん』の文庫本が出版されることになった。
『なんで山登るねん』が初めて単行本になったのは1978年3月のことだった。その後、版を重ねたが、2002年には河出書房新社から文庫本が出た。
今回の「ヤマケイ文庫」出版までに36年が経過しており、かなりのロングセラーといえるだろう。
36年の間には、この本に関しては色々のストーリーがあったのだが、そのうちの一つを紹介する事にしよう。

この本は、山と渓谷社の月刊誌『山と溪谷』の3年間の同名タイトルの連載をそのまま単行本にした物だった。連載中より若者読者から圧倒的な関心をもたれていたようだ。こんな話を聞いたことがあった。
ある人が夏山の帰り、富山駅前の喫茶店に入ったという。すると、そこに数人の高校生が口角泡を飛ばして猛烈な勢いで激論を戦わせていた。何事かと思って耳を澄ますと、『なんで山登るねん』の内容についての議論だったということだった。
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「トランスポータ3」を観る

なんとはなしに「トランスポーター3」を見てしまった。

レオンのシーン

「レオン」のシーン

見始めてしばらくして、前に見たことがあることに気付いたが、もう大方は忘れていた。
監督が、リュック・ベッソンなのがいい。 ぼくはリュック・ベッソンは大好きだ。
中でも一番好きなのは「レオン」。
何度も見たが、なんどみても胸苦しくなるような感動を覚える。
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