「田原総一郎を疑え!」8月15日のブログを読んで

 田原総一郎さんが、「常識を疑え!」僕の原点となった69年前の終戦のできごと、というブログを書いていらっしゃる。「田原総一朗 公式ブログ」ー>BLOGOS (「公式ブログ」がなぜかアクセス不能になったので転載サイトにリンクを切り替えました)
田原総一郎 「69年前、僕は11歳だった。」そうだが、ぼくは9歳だったから2歳年下、まあ同年といっていいくらいの差だ。その時彼はまだ小学生だったはずだ。たしかぼくは4年生だった。
 蝉時雨の中、「終戦の詔勅」を窓ベリに置かれた真空管ラジオの前に正座して聞いたのだが、その内容を詳しく理解は出来なかったが、大人たちが肩を落としている様子から日本が負けたのだということは分かった。
 田原さんは、少々大げさにこう書く。
「僕は悲しくなって、自分の部屋にこもって泣きに泣いた。海軍に入って、日本のために死ぬという、「夢」がかなえられなくなったからだ。いつの間にか、寝てしまっていたようだ。気がつくと、すっかり暗くなっていた。窓から外を見た僕は、とても驚いた。家々に灯がともっているのである。」
 なんとなく違和感を感じてしまう。ほんとに「泣きに泣いた」のか。敗戦間際まで、海軍に入って日本の為に死ぬなどと考えている少年を、ぼくは同年代として想像することは出来ないのだ。小学校で予科練に入ることが決まっている人は、ぼくの国民学校にも一人・二人はいた。でも、そんな人はとてつもなく成績優秀なばかりでなく、容姿も端麗だった。田原さんのその後の経緯から見て、それほど優秀だったとはどうにも思えない。だから本当とは思えないのだ。
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