前稿の「新しい歴史教科書が出た!」では、「第3章 近世の日本、安土桃山・江戸時代」までを読み進み、注目した記述を拾い上げました。
同じような調子で進むと、それは大変な量になりそうなので、ほんの一部だけをピックアップしながら進むことにします。
この記述に関して激しくいちゃもんをつける人たちがいるようです。確かにこれはキリスト教を武器に世界の植民地化を策した白人たちの目論見の嚆矢と言わんばかりだというような批判なのです。ぼくが思うには、その後の歴史の流れを見れば、白人たちが虐殺を繰り返しつつ世界を植民地化していったのはマギれもない事実なのですから、細かくあげつらうこともないと思うのです。
次に「ヨーロッパ人の来航」という項が置かれ、「鉄砲の伝来とキリスト教の布教」が記述されます。
この「鉄砲伝来」をぼくは大変注目しています。これは次のように書かれています。
1543(天文12)年、シャム(現在のタイ)からポルトガル人を乗せた中国船が、暴風雨にあって種子島(鹿児島県)に漂着した。彼らは日本に来た最初のヨーロッパ人だった。領主の種子島氏はポルトガル商人から鉄砲2挺を高額で買い取り、刀鍛冶に研究を命じた。
やがて、堺(大阪府)など各地で刀鍛冶が鉄砲の生産を始めると、戦国大名たちが新兵器としてさかんに求め、日本はたちまち世界一の鉄砲生産国となった。さらに戦国大名が鉄砲を採用したことは戦闘の方法を大きく変え、全国統一を早める結果をもたらした。
外来の文物に興味を示し、自分達でももっと良いものを作ろうとするのが日本民族のようです。江戸の末期の黒船の来航時にもこれをスケッチし同じものを作ろうとしましたし、大砲も作りました。
この教科書の記述通り、日本の鉄砲の保有量は世界一で、その戦力はヨーロッパを凌駕していたと言っていい。ただ、浮世絵は日本独自に発展したもので、それが一般庶民に愛好されて発展したというのが日本独自の形です。ヨーロッパでは、絵画に限らず芸術は貴族のものであり、絵描き音楽家は王侯貴族や教会のお抱えでした。そういう点からいって浮世絵の超絶技術は驚くべきものであり、それが庶民に支えられたというのは、驚嘆すべきことだったと言えます。ゴッホ達ヨーロッパの画家がびっくりしたのは当然のことでした。
もっとも江戸時代というのはそういう時代であり、江戸は世界最高の都市で最高の民度を誇っていました。
比べうる大都市として、パリやロンドンをあげれば、そこには厠はなく、汚物はおまるに収まり、窓から投げ捨てられていました。あのシルクハットはそうした落下する汚物を避けるためのものだったという話です。道路は真ん中が高くなっており、両側の溝に入りセーヌ川に流れるようになっていました。その水がまた飲料水だった。一方江戸では、汚物は農民によって肥料として買い取られる仕組みになっており、飲料水としては玉川上水が作られていました。
これらのことについては、「日本を囲む海外の「戦後レジューム」」で既に書いたことなのですが、たとえば、江戸時代初期の関康和。
江戸が生んだ勘定方の下級武士の彼が何故、あれほど信じられないほどの先見的な発見を成し遂げたのか。たとえば彼は、円周率の計算に心血を注いだのですが、1963年に出た村松茂清の「算爼」という書物に書いてあった円周率の求め方に興味を持ちます。それは内接する正方形を描き、辺を二等分しながら多角形を作っていく。辺の数が多くなるほど、真円に近ずくわけです。どんどん辺の数を増やし、一台のそろばんでは足らなくなり、算盤3台を使って数万角形までの試算に成功しますが、それ以上は無理でした。
そして、3.14159265358979323という少数第16位までの結果を得たのです。これはのちにフランス人のブレジンスキーによって1996年に関孝和の成果として発見指摘されました。そして、ヨーロッパでは200年後の1876年ようやくネーゲルスバッハによって行われたことが分かったのですが、それがエイトケン加速法と呼ばれるようになったのは、1926年のアレキサンダー・エイトケンが発表した論文からの命名だったのです。なんと関孝和の加速法はネーゲルスバッハの200年も前のことだったのです。
実はいま、ぼくは関孝和にはまっていて、彼に関する本を読み漁っているのです。
話が大きくそれたようなのですが、実はそうでもなくて、ぼくにはどうしても、巷にいわれる如く関孝和が全くの独学でそれほどの境地に達したとは思えないのです。どうやら、この大天才には何人かの師匠がいて、それは多分キリシタン宣教師だったらしいのです。関孝和についてはいずれ稿を改めるつもりです。
鉄砲伝来を始めとして、多くの宣教師が日本列島に渡来してきます。彼らは極東の島国に住まう人々をどのように見たのでしょうか。彼らは詳細な報告書を送っていますから、まことに綿密な日本の状況が知れるのです。
◉「傑出した国民」「良い素質」
16世紀、日本にやってきたキリスト教の宣教師たちは、極東の島に思いがけず、文明化した誇り高い民族を発見しておどろきました。何よりも、下層の日本人でさえ、盗みがないことや、読み書きができることに強い印象を受けました。
神父ザビエルは、ゴア(インド)の教会へ送った書簡にこう書いています。
「日本人は私が遭遇した国民の中では、最も傑出している。異教徒の中で日本人に勝るものはあるまいと考える。彼らは総体的に良い素質を有し、悪意がなく、交わってすこぶる感じがよい」
「日本人はたいてい貧乏である。しかし、武士たると平民たるとを問わず、貧乏を恥と思っている者は一人もいない」
◉ヨーロッパをしのぐ豊かさと賢明さ
布教長トルレスは、日本人の暮らしが自給自足していて豊かだと言います。
「この国の豊かさはスペイン、フランス、イタリアをしのいでいる。キリスト教国にある一切のものが、この国にある。彼らの長所を数えてゆけば、紙とインクのほうが先に尽きてしまうであろう」
オルガチーの神父は、日本人を知るにつれて、さらに高い評価をしています。
「私たちヨーロッパ人はたがいに賢明に見えるが、日本人と比較すると、はなはだ野蛮であると思う。私は本当のところ、毎日、日本人から教えられることを白状する。私には全世界でこれほど天賦の才能を持つ国民はないと思われる」
◉ヨーロッパと日本の文化の違い
ただし、誰もが日本人をよく言ったわけではありません。布教長カブラルは、日本人を司祭に登用せず、ラテン語も学ばせまいとした心の狭い人でした。彼は冷淡にこう言っています。
「彼ら日本人教徒が(修道会に入って)共同の、そして従順な生活ができるのは、ほかに生活手段がないからだ」
しかし、東インド管区巡察師ヴァリニャーノは、カブラルのような態度は布教の妨げになるとして解任し、こう述べました。
「日本人は、外国人の支配に耐えしのぶほど無気力でもなければ無知でもない。日本の教会の統括は日本人に委ねるよりほかに考えるべきではない」
『日本史』を書き残したフロイス神父は、日本と西洋がまったく正反対である点を列挙して「日本人は罪人を平然と斬首するが、家畜を殺すと仰天する」と首をかしげています。
彼らにとって日本はやはり「不思議の国」だったのです。
中身を一挙に飛ばします。大東亜戦争(この呼称を堂々と採用している教科書はこの「自由社」と「育鵬社」(多分)のみで、ほかの6社すべては太平洋戦争を使っているはず)で負けた後のいわゆる近現代史に属する記述です。
なぜに飛ぶかといえば、今の日本の状況を見ていて、まことに興味深いと思うからなのです。
そこには、例の「もっと知りたい」というコラムがあり、タイトルは「占領下の検閲と東京裁判」で、中身は
◉占領期は戦争の継続
◉戦争についての罪悪感を植え付ける
◉東京裁判と国際法
◉マッカーサーの反省
となっています。
この、「戦争についての罪悪感を植え付ける」の項には、GHQが行った、有名なWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)が軍事作戦として実施されたことが書かれています。「日本人が、「自分たちには悪い戦争をした罪がある」と考えるように仕向けるためでした」とあります。
ここで、「大東亜戦争」や「八紘一宇」などの用語の禁止が行われました。神道の廃止を命じた「神道指令」も行われました。中華民国の要望を受けて、「支那」の使用を禁じました。
このWGIPが教科書に載り、その内容が詳らかにされるなどということは、つい最近までは、考えられないことだったと言えます。その30項目を列記してみましょう。
占領軍が禁止した30項目
①連合国最高司令官もしくは総司令部に対する批判
②極東国際軍事裁判への批判
③GHQが日本国憲法を起草したことに対する批判
④検閲制度への言及
⑤アメリカ合衆国への批判
⑥ロシア(ソ連)への批判
⑦英国への批判
⑧朝鮮人への批判
⑨中国への批判
⑩その他の連合国への批判
⑪連合国一般への批判(国を特定しなくとも)
⑫満州における日本人の取り扱いについての批判
⑬連合国の戦前の政権についての批判
⑭第三次世界大戦への言及
⑮冷戦に関する言及
⑯戦争擁護の宣伝
⑰神国日本の宣伝
⑱軍国主義の宣伝
⑲ナショナリズムの宣伝
⑳大東亜共栄圏の宣伝
㉑その他の宣伝
㉒戦争犯罪人の正当化及び擁護
㉓占領軍兵士と日本人女性の交渉
㉔闇市の状況
㉕占領軍軍隊に対する批判
㉖飢餓の誇張
㉗暴力と不穏な行動の煽動
㉘虚偽の報道
㉙GHQまたは地方軍政部に対する不適切な言及
㉚解禁されていない報道の公表
プレスコードは、7年後のサンフランシスコ講和条約がなり、日本が独立を果たしたのちも、生き続け日本人の魂を侵食し続けたかのようです。
このマスコミを飲み込んだこのWGIPと戦後に獄中より復活したいわゆる「引かれ者」学者先生たちは、独立後も活動し続け、70年が経ったわけです。間違いなくWGIPは日本人の誇りを奪いつづけ、金権亡者を生み出しつづけてきた。
国会議員の先生も、この教科書のこの部分を読めば、国会質問で安倍さんに「先の戦争は悪い戦争ではなかったのか」と迫ったり、ポツダム宣言を読んだのかなどというカン狂う質問をしたりしなくなるのではないかと思うのです。
今現在の日本のこの状況で、憲法を変えるなどということは大変難しいことだと思います。憲法を変えないまま、日本を守り国際的にも品格と名誉ある国柄を標榜することが可能なことを現政権は実証しつつあると考えられるのではないでしょうか。
日本の教科書が、すべてこの「新しい歴史教科書」に近づき、それから50年ほど経った時、帝国憲法の精神を引き継いだ新しい憲法が生まれることになるのでしょう。
憲法というのは国民や政府を縛るものではなく、国と国民の規範と形を示すものであるはずだからです。