「戦後70年」にシナ(中国)の歴史を考える

 日本とは全くといってもいいくらい戦ったこともない国がともに今年「抗日戦勝70周年」を祝うという。いずれの国とも日本は戦ったことはない。日本がアメリカに大東亜戦争で負けた時、大韓民国も中華人民共和国も存在しなかった。
 大韓民国の国名が決まったのは1948年憲法制定国会の憲法起草委員会においてだったとされている。それで、1948年8月15日という日本の敗戦記念日を選んで「光復記念日」と呼んで、自らを騙しているわけだ。
 中華人民共和国はどうかといえば、その建国は日本の「ポツダム宣言受諾」から4年後の1949年のことだった。日本が戦ったといえば、それは戦争というほどのものではなく、「日華事変」と呼ばれた日本と中華民国との戦闘に過ぎなかった。大東亜戦争に日本が負けたのち、支那大陸では蒋介石率いる「中華民国」と「八路軍」と呼ばれた毛沢東の共産党軍との内乱になり、毛沢東軍が蒋介石軍を台湾に追いやって、中華人民共和国を設立したのが1949年だったわけだ。
 すでに明らかなように、中国も韓国も偽りの国史を作り上げており、その偽りを取り繕うためなら手段を選ばぬあらゆる策を弄してくるように思われる。
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新しい歴史教科書(承前)

 前稿の「新しい歴史教科書が出た!」では、「第3章 近世の日本、安土桃山・江戸時代」までを読み進み、注目した記述を拾い上げました。
 同じような調子で進むと、それは大変な量になりそうなので、ほんの一部だけをピックアップしながら進むことにします。

地球を二分割しようとしたポルトガルとスペイン

地球を二分割しようとしたポルトガルとスペイン

 第3章の「近世の日本」の冒頭に記されているのは、ヨーロッパ人の世界進出という項目です。ポルトガルとスペインは新航路を開き大航海時代が始まります。コロンブスが間違って西インド諸島に到達し、アメリカの先住民をインディアンという的外れの名前で呼んだ2年後の1494年、ローマ教皇は大西洋を東西に分け、東半球で発見されるものはすべてポルトガル王に属し、西半球で発見されるものはすべてスペイン王に属すると取り決めた。これをトルデシリャス条約という。
 この記述に関して激しくいちゃもんをつける人たちがいるようです。確かにこれはキリスト教を武器に世界の植民地化を策した白人たちの目論見の嚆矢と言わんばかりだというような批判なのです。ぼくが思うには、その後の歴史の流れを見れば、白人たちが虐殺を繰り返しつつ世界を植民地化していったのはマギれもない事実なのですから、細かくあげつらうこともないと思うのです。
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新しい歴史教科書(中学社会)が出た!

市販本 新版中学社会 新しい歴史教科書

市販本 新版中学社会
新しい歴史教科書

 ついに、とうとう、やっと素晴らしい歴史教科書が出ました。  ぼくはこれまで、なんども歴史教科書について取り上げてきています。
「日本の歴史教科書」 2013/04/16
「日本史教科書、天皇は大王か」 2013/04/19
「日本史教科書・倭寇のくだり」 2013/04/20
「日本の歴史教科書について(承前)」 2013/05/14 などなどです。
 そもそも「新しい日本の歴史教科書」は、1996年西尾幹二氏等を中心として結成された「新しい歴史教科書をつくる会」によって、出版されるようになった。従来の歴史教科書が「自虐史観」の影響を強く受けているとして、従来の「大東亜戦争肯定史観」にも「東京裁判史観」ないし「コミンテルン史観」にも与しない立場から新たな歴史教科書をつくる運動を進めるとしてきた。
 路線をめぐっての幾度かの内部対立や毀誉褒貶があり、現在の会長は7代目である。
 あたらしい歴史教科書は、育鵬社と自由社の2社から出版されてきた。その路線対立を写してか、この二社は色々と争いがあるようだ。私たち日本国の国民にとってはそんなことはどうでも良いことのように思える。
 今回出たのは自由社のものである。その帯には「虚構の南京事件を載せず実在した通州事件を書いた初めての教科書」と高らかに謳っています。通州事件を始めとする謀略によって日本が日華事変にひきずりこまれたのは歴史的事実なのですが、マルクス史観を奉じる日本の歴史学者どもはついぞ取り上げようなどとはしてこなかったのです。
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「反日の國」韓国と「売国無罪の國」日本と

 あの痛ましいセウォル号の事故以来、韓国は前にも増しておかしくなってきているのではないか。韓国という國はどうも普通ではない。
 今回の産經新聞のソウル支局長が起訴される事件が起こって、特にそんな感じが強くなってきました。
 民主党政権時に「朝鮮王室儀軌」という韓国の歴史的文書を返してくれと日本に要求してきました。この文書は複数個のコピーがあり、フランスにもあります。フランスは奪い取ったのですが、日本の場合は朝鮮が日韓併合後に宮内庁に献上したものです。
 朝鮮戦争で燃えたかどうか知らないけれど、自分の所にはなくなったから返せなどというのは馬鹿げています。当然フランスは拒否しました。ところが、バカな管総理は返しましょうと答え、返してしまったのです。
 贈ったものを返せなどという常識はずれの輩に対応したのがどうかしているのです。それにしても、返してもらったことを感謝するどころか、反対に日本から盗んだ経文や仏像を返す必要がないという司法判断が下されています。
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ポツダム宣言派とサンフランシスコ条約派の相剋

総図解『日本の近現代史』倉山満著 新科目の「近現代史」と読み比べが楽しみ

総図解『日本の近現代史』倉山満著 新科目の「近現代史」と読み比べが楽しみ

 日本も世界も大きな変動の時期にあるようで、我が国はどんどんまともな方向への変化が見られるようになり、日本という國は、まだ終わってはいないのだとも思えてきて、嬉しい限りです。
 朝日新聞はどうしたわけか32年の頬かぶりを続けてきた捏造報道を一部認めざるを得なくなったようですし、文科省は2016年か17年に予定されている指導要領の改訂で、高校での日本史の必修化と「近現代史」という科目の新設を決めたようです。
 現在は世界史が必修で日本史と地理が選択科目となっています。自国の歴史を選択科目にするとは、一体どんな神経なのでしょうか。今回、現在の世界史Aと日本史Aを統合して「近現代史」とするといいます。
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日本の歴史教科書について(承前)

 少し前に、「日本史教科書、天皇は大王か」というタイトルで、歴史教科書について始めて書いた時のことです。
 「大王の系譜? それなに。少しむかついてくる感じです。」とか、「こんな常識みたいなことを、ねじ曲げてまで、大王と書くのは変だと思ったのです。」などと書きました。
 すると、これを読んだ人が、Facebookでこんなコメントを寄せて来ました。
 「この教科書の著者も、きっと先生みたいにむかつきながら書いたのだと思いますよ」
 ぼくは、これは一体なんのことだと思い、その意味が全く分からなかったので、こんど会ったら聞いてみようと思っていたのです。

 それはさておき、前稿の続きです。
 そこで述べたように、極めて政治的な動きの中で、1982年にいわゆる「近隣諸国条項」が教科用図書検定基準に挿入されました。
 「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること」
 このまったく一方的で、二国間での取り決めではない、ある意味自己満足で手前勝手な馬鹿げた条文で、歴史教科書は大いにゆがめられ、自虐的な歴史観が再生産され続けて来たといえます。
 この頃の様子を、当時、文部官僚として条項導入に携わった元愛媛県知事の加戸守行氏は、こう語っています。「条項導入で、省内は中国と韓国に関する記述はアンタッチャブルですべて認めざるを得ないという雰囲気に陥りました。一方の教科書会社側は『削れるものなら削ってみろ』という勢いで自虐史観の記述を強めていき、明らかに条項導入前より過激になっていきました」

 こと中国・韓国との歴史関係の記述は、まったくすべて外国の立場に立ったものとなり、歴史の見方が日本国を主語としないものとなりました。日本国を主語としないということは、ではどこを主語としているのか。それはどこの国でもなく、地球であり、地球人の視点で、それをなんの違和感もなく受け取るのは、日本人ではなくて地球市民である。という非現実的な状況がいままで続いて来たといえるでしょう。

 韓国・中国は、韓国や中国を主語とした見解を「歴史認識」と称し、日本を主語とした認識を許さないという立場を取っているといえます。
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我が国の世界史の教科書のこと

 ようやく、新しい高校世界史の教科書見本が手に入りました。手元にあったのは22・23年度用でした。新しいものというのは、24・25年度用です。いづれも山川出版社のものです。他の教科のものはゴロゴロしているのに歴史は、なぜか少ないのだそうです。その理由はなにかあるのでしょうが、分かりません。
 早速チェックしたいと思っていたところを見てみました。「従軍慰安婦」については、全く記述はありません。さすがに、そのでっち上げの事実が周知の事実となったからだと思えなくもない。
 次に、「南京大虐殺」について、今年度と前年度の2冊を比べてみることにしました。
 
 古い方ではこうなっています。
 「しかし、中国側の抵抗は予想以上に強く、日本軍が南京をはじめ上海・広州など諸都市を占領したが、国民政府はこのあいだに四川省の重慶に移り、アメリカ・イギリス・ソ連の援助を受けて抗戦を続けた。」
 この「南京」のところに脚注印があり、脚注ではこう記述されています。
 「南京占領の時、日本軍は一般市民や捕虜を大量に殺害し(南京虐殺事件)、世界の世論から非難をあびた」
 「南京虐殺事件」を脚注として置いているのは、えらく控えめになっているのだなと感じました。それで24・25年度用を見ると、こうなっていました。
 「37年末までに、日本は華北の要地と南京を占領したが、南京占領の際には多数の中国人を殺害して(南京虐殺事件)、世界世論の非難を浴びた」
 脚注の部分が本文に出て来て変な違和感はなくなっていました。
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倭寇に関する補遺

 倭寇について納得できない感じが残り、調べることにしました。気になりだすと放っておけないのが、ぼくの悪い癖です。
 結論から言って、倭寇というのは、コリアやチャイナでの呼び名であって、実態は交易活動であったということです。
 最近では、是正されて来たのかもしれませんが、10年ほど前の中学の教科書などはひどかったようです。倭寇の活動範囲を「侵略地域」と記載していたそうです。
 チャイナには、もともと貿易という概念はなかった。この国の皇帝は世界の統治者と思っていましたから、外国という認識はなくしたがって外国との貿易など思案の外でした。
 コリアやベトナムから貢ぎ物が届けられると、それに対して皇帝陛下が何倍もの褒美を遣わされる。という感じのいわゆる朝貢貿易だけが公認されていました。
 明の時代には、太祖・洪武帝は海禁令というものを出しました。「片板も海を下るを許さず」と、人間はもちろん板きれも海に出てはならないというもの。海辺の人間は内地に移住させ、そこに軍隊を駐屯させました。
 そして、朝貢も厳しく取り締まり、例えば日本の場合ですと、10年に1度で船は2隻と決めました。これは、日本もチャイナも大迷惑だったのですが、足利義満に取っては結構なことで、10年に1度だけだったとはいえ、国書持参が必要でしたから、彼だけが貿易を独占できた訳です。
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日本史教科書・倭寇のくだり

倭寇Page パラパラめくりながら斜め読みしていると、またまた引っかかりました。なかなか先に進めません。困ったことです。
 <南北朝の動乱のころ、対馬・壱岐・肥前松浦地方の住民を中心とする海賊集団が、朝鮮半島や中国大陸の沿岸をおそい、倭冦とよばれて恐れられていた。倭冦は朝鮮半島の人びとを捕虜にしたり、米や大豆などの食料をうばうなどした。>
 倭冦というのは、けっこう有名な史実で誰でも知っていると思えます。ぼくも中学の頃、これを習って、へえー日本って強かったんだと、なんか誇らしい気分になったのを覚えています。しかしこの海賊集団はまた交易船でもあり、海賊専門とは言い切れないのではないか。
 それに、対馬・壱岐・肥前松浦地方の住民が海賊商売をしていたのだろうか。おかしいと思い、調べてみました。
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日本史教科書、天皇は大王か

日本史 前稿で歴史教科書について書いたことから、今の教科書はどうなっているのかと、気になり始めました。そこで、友人のイノウエ君にメールで依頼しました。
 早速彼は、木曜の定例ミーティングに高校の日本史と世界史の教科書を持って来てくれました。
 まず、日本史を開きました。
 詳説・日本史というタイトルで、改訂版と書いてあり、石井進以下5人の著者名があります。5人とも東大の先生です。
 最初の部分を少し読んで、なんか変だなと思いました。
 【前期・中期の古墳】というあたりです。
 <最大の規模を持つ古墳、大仙陵古墳(現、仁徳天皇陵)は、第2位の規模を持つ大阪府誉田御廟山古墳(現、応神天皇陵)などとともに5世紀のヤマト政権の盟主、すなわち大王の墓と考えられる。>
 天皇陵がなんで大王の墓なんや。天皇陵は天皇の墓と違うのか。なんでヤマト政権なんや。大和政権と違うのか。それに、この(現、仁徳天皇陵)の「現」とは、どういう意味なのだろう。昔は違ったということなのか。大王の墓はいつから天皇陵になったのか。
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