あれはたしか、阪神大震災の翌年のことだったから、もう17年ほど前になる。
トルコのリゾート・ボドルムに10日間ほど滞在したことがあった。
ボドルムというのは、エーゲ海に面した著名なリゾートだった。エーゲ海は波静かで、ギリシャはすぐ向こうという感じだった。
イスタンブールでもそうだったのだが、この国の人たちのノリは、パキスタンに極似していると感じ、このフレンドリーさは多分ムスリム教の所為ではないかと独り合点したりしていた。
ボドルムで、ジョギングをしようと思い、郊外のショッピングモールに靴を買いに出かけた。
すぐに見つかったジョギングシューズの専門店に入ると、店番をしていた30歳を超したばかりとおぼしき青年が、ぼくを迎えると、「日本では大きな地震があったでしょう」と尋ねた。
ぼくも家族も被災地から少し離れていたから、ほとんど被害はなかったんだ、という説明を聞きながら、入り口のドアを施錠した。
一瞬、ぼくはその意図を計りかね、緊張で身を固くした。
他のお客が入ってこないようにしたということはすぐに分かった。
それから、彼はぼくに椅子を勧め、「実は教えて欲しいことがある」と真剣そのものの面持ちで、地震が来たときの逃げ方を尋ねたのだった。
トルコも地震が多い国なのかも知れないが、日本は地震大国である。しかし、こんなに真剣に、地震の対処法を知りたがっている人はいるのだろうか。
帰りの道すがらそんなことを考え、確かに違いがある、でもその違いはなんなのだろうか。自分の身を自分で守るということを教えられていない、誰かが守ってくれるだろうという子供のままの考えをもち続けているのだろうか。
あの時の記憶は、今も鮮明なのである。
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日本の歴史教科書
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