乗馬の愉しみ(1)

受付で予約してあるレッスンでの馬匹名を知らされる。

受付で予約してあるレッスンでの馬匹名を知らされる。

 受付で乗馬料と保険のチケットを渡し、指定された馬・ブラックゼウスのいるC厩舎に向かっている時、アナウンスが流れた。
「まもなく、チャイムが鳴ります。追悼のため1分間の黙祷をお願いします」
 そうだった、今日は3月11日だったと気付いた。後で聞いたのだが、東北の厩舎でも多くの馬が溺死したのだという。
 チャイムが鳴った瞬間、みんなはそれぞれの場所で、それぞれの作業を止めて、黙祷した。手を合わせている人もいた。
 急に信じられないくらいの静寂があたりを支配した。耳を澄ますと、近くで馬の息づかいだけが聞こえ、遠くの方で馬のいばり(尿)の音が微かに聞こえていた。
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乗馬の思い出

パキスタン・カラチの海岸で

パキスタン・カラチの海岸で。

 初めてぼくが馬に乗ったのは、たぶんパキスタン・カラチの海岸でのことで、それ以前に日本での体験はなかったと思います。それは、1965年のカラコルム・ディラン峰遠征の時のことでした。
 大使館のM氏が愛車のオペル・レコルトで連れて行ってくださった。大量の船荷のカラチ港への陸揚げ業務や現地調査の為に本隊より何ヶ月も前に入国していたぼくは、毎日のように大使館に出かけ、仕事を手伝ったり夜はパーティーに連れて行ってもらったりしていました。
 何年か前、池田首相が東南アジア4ヶ国歴訪の一環としてこの國を訪れた時、「こんな暑いところで仕事をしていらっしゃる皆さんは大変です」と、お金を下さったので、それでこれが建ったんです。M氏がそう説明したのは、カラチ市街地のそばの海岸・フォークスベイに立つシー・ハウスでした。(調べたら、池田首相の訪パは1961年のことで、彼はまるで安倍さんの地球儀俯瞰外交の先駆けをやっています。東京オリンピックを招致したのも彼だったようですが、ぼくがパキスタンに行った1965年に癌でなくなっています。65歳でした。政権は東京オリンピック閉会の翌日、佐藤栄作氏に禅譲されました。富国強兵によって日本の地位を高めたのはまさしくこの人だったと思います。)
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