「元徴用工(?)判決」で思い出したこと

 最近、お隣りの韓国で、最高裁が元徴用工の損害賠償を認めるという判決を行った。これは国際協定を無視した非常識極まりないもので、いわゆる「元徴用工判決」と呼ばれ話題となっている。
 そもそも、この「徴用工」という呼び方にも問題がある。安倍首相も国会で答弁した通り、この人たちは自ら応募してきた人たちであり、正確には「戦時労働者」と呼ぶべきだ。同じような例として、いわゆる従軍慰安婦があり、これは戦時売春婦が正しく、最初からそう呼ぶべきだったと思われる。こうした呼び方を考えたのは、日本人だったからどうしようもない。さらに、「Sex Slave」を世界に広めたのは日本弁護士会の弁護士だった。彼は国連で何年にもわたって刷り物を配布し続け、慰安婦が「Sex Slave」だというでっち上げを定着させた。
 今に始まった事ではないが、特に最近の韓国の日本国に対する対応には、目にあまるものがある。
 福沢諭吉が『脱亜論』で述べたごとく、「大陸と半島の二国に対しては、ただ隣国だからという理由だけで特別な感情を持って接してはならない」と、つくづく思う。
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39年振りのラトック1登頂

 ラトック1の登頂が成功した。
 そのことを知ったのは、東京の牡蠣専門のレストランで、だった。

山の専門誌『岩と雪』が廃刊となった後は、『Rock & Snow』が後を継いだことになった。

 数年前『なんで山登るねん』が山渓文庫として再版された時の担当者で、いつも東京でぼくの世話を焼いてくれる米山くんが連れてきた、『Rock & Snow』の初めての女編集長になったばかりという大畑女史は、開口一番「ラトックが登られましたよ」と言った。彼女とは、昔から山渓編集部にいて、顔見知りだった。
 ラトック1登頂成功を聞いて、ぼくはなんだかホッとした。
 いつまでたっても第二登が成功しないことが、登頂後20年を超えた頃から次第に気になりだしていたのだ。来年で、初登以来40年を数える。
 来年には、登頂40周年になるから、それを記念してパキスタンに行きましょうという友人も現れた。来年末には、一緒に行こうというパキスタン・ツアーへの参加希望者が10人も集まったという。
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リモネットの特別メニュー

 一行4名がリモネットに着いたのは、夜半を過ぎた頃でした。
 管理人のジャコミーナに頼んでおいたので、薪は用意されていましたが、ストーブは煙るばかりで全く燃える気配なく、全員燻されて、まるで燻製状態で、全部の窓を開け放たざるをえず、寒さに震え上がる始末でした。
 一応お腹は大丈夫だったとはいえ、ニースからの夜中に開いている道中のお店もなく、何も食べずにここまでやってきたわけです。この寒さの中で、震えながら空腹を抱えて朝まで耐えるのは無理と思われました。
 そういうこともあるかと、買ってきたマツモトの鯖寿司2巻と成田空港で仕入れた細巻き寿司でお腹を満たしたのでした。
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2年ぶりのイタリアとエア・フランスの特別メニュー

 2年ぶりにイタリアに来ています。
 ピエモンテ州のリモネットは、山は紅葉に彩られて秋なのですが、寒さは冬の感じで、暖房がないと身震いするほどの寒さです。
 エールフランスで、シャルル・ドゴール空港経由でニースに着きました。
 機内食で、オーダーすると有償で特別メニューがあるというので、どんなものかとネットで注文しておきました。席もネット予約で、脚が十二分に伸ばせるエマージェンシー・ドアサイド席を取ることができました。緊急時にスタッフに協力するために英語が話せるかの確認を取られます。
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旧いドラマや映画を愉しむ日々

スターリング、ビック・モロウ!

 最近CSFoxのテレビで「コンバット!」という旧いドラマをやっていたので録画することにした。
 コンバットといえば、ぼくが大学生のころ楽しみに見ていたもので、この旧い白黒映像を見るとなんかタイムスリップしたような気分になった。出だしのテーマ音楽や「コンバット」というナレーションも懐かしかった。
 「コンバット!」は、調べてみると、1962年から67年まで放映されたアメリカのテレビドラマで、152話までのシリーズだったようだ。
当時はカラーテレビが出回り始めたころで、録画するなどということは考えも及ばないことだった。
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<葉巻のけむり>にアフィリエイト広告を入れる

 ブログに広告を出しませんかという趣旨のお誘いみたいなものが何度か来た。
 調べてみると、これはいわゆるアフィリエイト広告というものを意味しているらしかった。
 アフィリエイトとは成果報酬型の広告を意味している。つまり、それによって報酬を得ることができるというものらしい。聞くところによると、今はやりのブロガーなる人たちは結構な収入を得ているという。
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縄文あれこれ 三内丸山の丸柱

 先の稿でも書いたように、三内丸山遺跡の発掘は多くの点において、縄文文化に対する認識の変更を迫るものだったと言えます。そして、世界の古代史において、縄文文明と呼んでも良いものであると思わせるものでした。
 地面に径2mの穴が6つ掘られていて、そこには径1mの栗の丸柱が立っていたことは、大きな驚きでした。
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縄文あれこれ 三内丸山遺跡

昨今、縄文が大人気のようで、そのせいでも無いのですが、ぼくもこんな駄文を書き連ねています。
ところで、皆さんは、日本中に縄文遺跡があることはよくご存知だと思います。全部でいくつ発見されているとお思いですか?
百?千?万?10万?
2013年3月の文化庁の発表によると、その数は46万5021なんです。
もちろんこの数は、旧石器時代からのすべての墳墓・横穴なども含めていて、純然たる縄文遺跡は9万531カ所なんですが、それでもすごい数です。47都道府県ですから、各県に2000近い遺跡があることになります。次のリンクでみてください。縄文遺跡一覧
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縄文あれこれ 縄文時代

 縄文時代は、約1万3000年前に始まり、2300年前頃まで、1万年以上続いたとされています。
 こうしたとんでもない昔の年代をどうして測るのかというと、20世紀の半ばに考えられた、炭素の同位元素を使った年代測定によって、極めて正確に測れるようになりました。炭素の放射性同位元素の半減期が5730年であることを使いますから、動植物の遺骸が必要で石とか金属とかは測定できません。
 だから土器やら石器などは、それが出土した地層に含まれる植物などを利用するわけです。動物・植物は炭素を取り込みそれで体を作っていますから。

年代表記はBCですから、2000を足してください

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縄文あれこれ はじめに

 先日、はじめて北海道の更別村というところへ行く機会を得ました。
 「十勝さらべつ熱中小学校」での授業を依頼されたからです。
 更別村というところは、人口3000の村なんですが、各戸に米国製のトラクターが複数台ある家もあるというけっこう裕福な村なのだそうです。
 そこの授業では、ぼくのやってきた山登りの話をしました。ほんとうは、縄文人とアイヌ人の話をしたかったのですが、ぼくは体育特任教諭ということになっていますから、山の話をしないといけないと思ったのです。
 そういうことを、ちょっと話したら、後で多くの人たちから縄文の話を聞きたかったと言われたのです。そして、夜の焚き火を囲んでの会合では、そんな話で大いに盛り上がったのです。
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