幽明界を異にしたセキタとハヤシドクター

少し前のことだったが、ほとんど音信不通だったバンコックにいる教え子が、電話してきた。
なんのことかと思ったら、ずっとセンセのブログの更新がないので、心配になりましたという。
確かにとんでもなく長く書いていないと気づいた。

昨年暮れに関田が亡くなった。
すぐに『葉巻のけむり』に書き始めたのだが、十数行書いて思いとどまった。その記述はあまりにも冷静なものではなかった。これはいかん。少し時間を置く必要がある。そう思っているうちに年があけた。
すると今度はドクターのタカヒコが後を追うようになくたった。彼とは2ヶ月ごとに会っていて、暮れに会ったときには、「2月まではもたんやろな」と言うので、そんなことないと思うで、と返した会話が最後となった。
これで、ブログの執筆はまた延びることになった。
そうこうしているうちにウクライナの侵略が始まった。近平がおんなじことをすぐにやるとは思えないけれど、これを一つのシミュレーションとして見ている可能性がある。とすれば、経緯や思惑はどうあれ、プーチンには絶対に勝たしてはならない。近平に変な手出しをしてはやばいと思わせる必要がある。さもないと日本が危ない。
そう思って、推移を追い続けているうちにどんどん日が経ってしまったと言うわけである。
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「ラトック1遠征を終わって」(3/3)

3、メンバー相互の呼称
 「混成隊」の場合、メンバーがどう呼び合うかは、一つの重
大な問題であると考えていました。なぜならば、高所登山とい
うフィールドに於ては、登攀能力のみに限られない、総合的能
力が必要とされ、そうした実力序列は、否応なしに、全メンバ
ーの眼に明らかとなります。そして、そうした序列を反映する
のが、呼称であると考えていたからです。
 基本的に、名前でよんだり、ニックネームをつけたり、ある
いは「ちゃん」づけにするようなことには、賛成できませんで
した。それは、安直に、擬似親近感を醸成するのみで「個人」
の消滅につながるのではないかと考えていたのです。
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「ラトック1遠征を終わって」(2/3)

2、母性原理と父性原理
 唐突なタイトルで恐縮ですが、この二つの対立概念は、遠征
期問中に、ぼくの頭に漠然大洋かび、帰国後しばらくして、か
かり明確になったものです。
 明察な諸氏は、すでにご承知と思いますが、母性原理とは、
没契約的、包容的、許容的か母の愛の様々考え方であり、父性
原理は、反対に、契約的、区別的、競争的、価値判断的な切り
捨て原理といえます。
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「ラトック1遠征を終わって」(1/3)

ラトック1峰遠征を終って  高田直樹
 成功したにしろ、失敗したにしろ、遠征隊に関ずる分析は、
すべて結果論である。ぼくはそう思っています。だから、いか
にも科学的な装いで行われる因果関係の分析は、時に、実に馬
鹿げた結論を引きだすことがあります。
 というようなことを充分承知したうえで、なおかつ、ラトッ
ク1峰隊の分析を試みたいと思うのは、一つには、今の山の世
界で、行ってきました、登れました、では何とも芸のない話で
あると考えること。また、テクニカルなデータを披露してもあ
んまり意味はないし、第一、ぼく自身、むろんベースのお守り
をしていたのではないにせよ、頂上に立ってはいない以上、そ
れはぼくの任ではないと思うのです。
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39年前に『山岳』に載せた遠征報告

 39年ぶりにラトック1峰が登られたことを知った。それで、1979年にラトック1に成功して帰国後、確か1年後だったと思うのだが、日本山岳会の会報・『山岳』に報告を書いたことがあったことを思い出した。

300ページの大冊『山岳LXXV』 山岳75年

 書架を探して見つけた『山岳第七十五年』には、確かに「ラトック1遠征を終えて」というぼくの稿が載っていた。
 その分厚い会報を開きながら、ぼくはあの頃のことを思い出していた。
 正直いって、あの頃、この遠征の成功を素直には喜べず、なぜか他人事のように見ようと努めていたようだった。
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39年振りのラトック1登頂

 ラトック1の登頂が成功した。
 そのことを知ったのは、東京の牡蠣専門のレストランで、だった。

山の専門誌『岩と雪』が廃刊となった後は、『Rock & Snow』が後を継いだことになった。

 数年前『なんで山登るねん』が山渓文庫として再版された時の担当者で、いつも東京でぼくの世話を焼いてくれる米山くんが連れてきた、『Rock & Snow』の初めての女編集長になったばかりという大畑女史は、開口一番「ラトックが登られましたよ」と言った。彼女とは、昔から山渓編集部にいて、顔見知りだった。
 ラトック1登頂成功を聞いて、ぼくはなんだかホッとした。
 いつまでたっても第二登が成功しないことが、登頂後20年を超えた頃から次第に気になりだしていたのだ。来年で、初登以来40年を数える。
 来年には、登頂40周年になるから、それを記念してパキスタンに行きましょうという友人も現れた。来年末には、一緒に行こうというパキスタン・ツアーへの参加希望者が10人も集まったという。
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ロシアの新聞記者からのメール

 ロシアの新聞記者から突然、iPhoneにSMSで連絡が来た。先々週のことだった。
 「私はロシアの新聞イズベスチャの◯◯◯◯(ロシア文字で読めない)と申します。突然ですが、私のインタビューを、もし迷惑でなければ、受けていただけませんか。インタービューはSkypeでやり、録画してTVにも載せたいと思います。実は、友人がLatok1で死に1人がまだ戻りません。」
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高畠熱中小学校で授業する

 2年前頃らしいのだけど、山形県の高畠町で廃校を利用して始まった「熱中小学校」というのが、日本中に伝播している。この2年ほどの間に相次いで8校が開校している。
 先日、日本経済新聞が「廃校再生「熱中小学校」、地域の逸品通販サイトに 」という記事を掲載し、「熱中小学校」の知名度は上がったようだ。
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本多勝一氏と吉田二郎氏と

 先の項で『岩と雪ベストセレクション』にぼくの『登山と「神話」』が取り上げられたとして、その内容がデジタル化されている<高田直樹ドットコムへようこそ>なるサイトを紹介しました。しかし正しくは、その冒頭の1章「スポーツ神話について」のみでした。正確を期してここで訂正しておきます。
 さて、前に示したこの本の紹介文で、冒頭に掲げられている作品は、本多勝一氏の「パイオニアワークとはなにか」であり、そして二番目は吉田二郎氏の「スーパーアルピニズム試論」でした。
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『岩と雪』ベストセレクションの発刊

厚さは2cmすこしで、けっこう重い

 山と渓谷社から、今度出版された『岩と雪 ベストセレクション』という、けっこう大冊でずっしりと重い堅表紙の本が送られてきました。
 むかし山登りが盛んでブームだった時代に、高級誌であった季刊誌『岩と雪』は、やがて隔月刊となり、岳界の思潮をリードしていたのですが、20年ほど前に廃刊となりました。
 この1958〜1995年のバックナンバーからの選り出した論文と記録をまとめたものです。
 ネットで調べると、次のような紹介が載っていました。
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