「池上彰の現代史講義」がおもしろい

池上彰の20世紀を見にゆく」が面白い、とはこの間書いた。
このBSジャパンの番組は今も進行中である。1話CMを含めて10分のものが土日を除く毎日2話ずつ放送されている(6:40~7:00)。
今日は、56話「シンガポール攻略 山下奉文とパーシバル」と57話「アジアの要塞 イギリス領香港攻略」だった。

いづれも勝ち戦である。54話の「真珠湾攻撃」のすぐ後だから日本軍絶好調の頃で、見ていて気分がいい。
最終話の第103話「日本敗戦」まで、まだ大分楽しめそうだ。
この「20世紀を見にゆく」は日清日露の戦争に始まって日本敗戦で終わる103話のフィルム構成の番組である。
たしかに、この「フィルムに刻まれた20世紀の記憶」は、色々な意味で「未来への遺産」であると思える。

もう一つ同時進行中なのが、「池上彰の現代史講義」である。こちらもBSジャパン。「20世紀・・・」が敗戦までであるに対して、こちらは敗戦後から現在に至るものでだから、ぼく自身の見聞にもより近しく、より生々しい感覚と思考を得ることができるようだ。

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チャリティー・シガーパーティに行く

シガーパーティの誘いを受けた。
秋分の日に開かれた東日本震災へのチャリティーシガーパーティである。
主催は、大阪リッツ・カールトンにある「シガークラブ」という葉巻屋さんである。ここは関西一帯のシガーサプライヤーでもある。

誘ってくれたのは、友人のドクターSで、彼は歳若いにもかかわらず数千本のシガーを保有する希有なシガー愛好家なのである。このパーティでは、シガーやその他シガー関連のアイテムのオークションも行われるらしい。
彼も一本数万円もするレアーもののシガーを6本ほどチャリティーとして出品するという。

ほかにこのお店の常連の島根のドクターが、秘蔵している珍しいウィスキーを何本も出す。

これは、バーで飲めばワングラス1万円以上するというような代物らしいが、ここでは千円で提供されるという。

オークションと言えば、ヤフーオークションくらいしか体験のないぼくには、あまり関係ないと思われたし、なにせ一流の貧乏人をもって任じるぼくにはそぐわないとも思われたのだが、レアーもののウィスキーには興味がわいた。

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ヘッダー画像の説明

『葉巻のけむり』のヘッダーの画像は、私の撮ったものが15枚ほどプールされていて、ランダムに表示されるように設定してある。
中には、なんのことか分かりにくいものもあるので、おりおりに説明文を書いて行くことにした。

パキスタンのフンザ周辺では、いまも薬用としてケシが栽培されている。子供の頃、風邪を引くとミルクに混ぜて飲まされた。よく効いたよ。ナジールはそういっていた。

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なでしこはなぜ勝ったのか

ぼくは、野球は好きではありません。これといった理由も見つからないのですが、どうも性にあわないような気がする。
むかし、誰かが「ほんまにハラタツノリや」といったのですが、ぼくはそういう名前の野球選手がいるのを知らなかったので、語呂合わせのシャレが分からなかった。

その頃、Numberという雑誌が原稿を頼んで来ました。若くてコワイもの知らずのぼくは、高校野球は高校生の人間形成を阻害するというような主旨の原稿を書きました。担任していた野球部の生徒の実例をあげながらの原稿は、けっこう説得力があるつもりだったのですが、いまにして思えば、とんだ若気の至りだったようです。
以後その雑誌からは、二度と原稿依頼は来ませんでした。

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ブログのアクセス数について

新しいブログ『葉巻のけむり』を開いて、一週間以上が過ぎたようです。
開設して数日した頃、アクセス数が気になったので、アクセス数を表示するようにしてみました。
ところが、その数がすごいんです。『高田直樹ウェブサイトへようこそ』ではこんなことはなかった。この高田直樹ウェブサイトでは、Serene Bach(シリーンバッチと読むのかな)という日本人が開発したソフトを使っているのですが、このアクセス解析は日別、時間別、アクセス元などなどとても正確です。

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プチ断食を行う

つい先頃、プチ断食なるものを行った。
丸一日半くらい水以外を口にしませんでした。
少し前から、知り合いの美容外科の女医さんKちゃんが、しきりに断食を薦めたからである。
回教圏では年1回の重要な行事として断食月(ラマザン)の断食がある。回教圏では月を基準にした太陰暦を基準としているので、新月から新月までの一ヶ月が断食月となる。

この約30日間、ムスリム(回教徒)は、日の出ている間一切のものを口にしてはいけない。日の上る前に朝食を済まし、夕方日没とともに断食明けの食事(イフタリ)を食べる。
ラマザン月に回教圏の都市にあなたがいたとする。夕方、あなたは不思議な体験をするはずだ。夕闇がちがづいて日が没するとともに、独特の喧噪に溢れていた街全体が、突如水を打ったような静寂に包まれるのだ。全ての人々が一斉に食事を始めるからである。
例えば、商店などでは、店にいる全員が床に敷いたシートの上で車座で食事を始める。一番最初に食べるのは、棗(なつめ)などのドライフルーツと決まっている。

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終戦の詔勅

日本が起こした(あるいは、起こさざるをえなかった)戦争は、あの「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び・・・」で知られる終戦の詔勅で終わった。
この玉音放送もまた録音盤に収録された。徹底抗戦を信じていた日本の国民は、この放送によって敗戦を知った。録音は皇居の地下室で行われた。徹底抗戦を主張するごく一部の軍人グループは皇居に乱入し、この録音盤を奪い取って玉音放送を阻止しようとした。隠されていたので見つけ出せず、放送阻止は未遂に終わったという。

ところで、みなさん。玉音放送を全部聴いたことはありますか。ぼくはない。先頃、敗戦記念日前後で、相次いで太平洋戦争関連の番組が放送された。興味を持ったぼくは、インターネットで玉音放送の全文を知ることがで出来た。驚いた。特に次のような一節があることを全く知らなかった。

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ぼくは軍国少年ではなかった

どうやらぼくは軍国少年ではなかったと思える。同年輩の人たちの話から、考えるとどうもそんな気がする。どうしてか、少々気になることではある。何故なんだろうと考えてみた。

満一才になった時から小学生に行くまでの期間、ぼくは祖父母の元で育った。そこは、丹波の山里で、鹿が現れたり、狸が樹に攀って柿を食べていたりというような場所だった。町中にいたら、大人達の話を聞いて戦争のことも少しは聞き知ったかもしれないけれど、トンボや蝉と遊ぶ子供には、まったく関係のないことだった。
学校に行くようになっても、この傾向は変わらなかった。だから、国民学校の門をくぐって、奉安殿の前を通過するとき、「歩調取れえ」「かしらみぎい(頭右)」と号令をかけていても、それはたんなるプロシージャーに過ぎなかったようだ。(奉安殿というのは、天皇陛下のご真影が収められている建物で、校門を過ぎた辺りにあった)

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「20世紀を見にいく」を見る

「フィルムに刻まれた20世紀の記憶。それは未来への遺産である」というナレーションで始まる<池上彰の20世紀を見にゆく>というBSジャパンの番組を、最近熱心に見ている。最近終了したが、そのまま最初から再放送が始まっている。月〜金の毎日で、2話づつの15分。

日露戦争の二人の元帥ということで乃木将軍と東郷元帥についてが初回で、太平洋戦争での日本敗戦で終わる。ほとんどが、知っているはなしではあるが、知らなかったことも多い。今更のように思えるのは、この世紀が大変な激動の時代だったということだ。

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3.11で日本は変わった

「9.11で世界は変わった」と10年前の2001年に、ぼくは書きました。(ウェブサイトの記事索引から「体験的自然教育論もっと外で遊ばなあかん(1)」参照

9.11のあと何を信じたらいいのか分からないような状況になったと感じ、では本当にぼくにとって信じられるもんはなんなのだろうかと考えました。考えあぐねて到達した信じられるものは、自然だった。大自然の中には、神がいると言い切れると思えましたし、自然そのものが神だった。

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